かつてのスターに花束を カレンは熱心な方のファンでリチャードの出てくる作品は大概網羅してある。 確か、ロザリー・リトルトンという有名な美人女優とよく共演していて、一時期『黄金コンビ』と言われ、一世を風靡していたことがある。 ――ロザリーは去年、死んだはずだ。 新聞やテレビがだいぶにぎにぎしく彼女の生涯や生前の作品を報じていたが、そういうことでもなかったら、彼女の名前はせいぜい映画雑誌の記事を飾るくらいのものであったろう。 彼らの時代は既に去ったのだ。 では、その片割れ、リチャード・シンプソンは、今、何をしているのだろう。 カレンはそれを生かして作家になろうとさえ思ったほどの想像力で、彼のその後の生活を、頭の中で組み立て始めた。 何となくものになりそうだったので、これをシナリオに書こうと思い立った。 カレンはこれまで作品が完成するまでは、徹底的な秘密主義を通していたが、ふと誰かに洩らしたところ、どういうわけか映画製作所をやっている叔父の耳に入ったらしい。 叔父は、彼は自分の知り合いだから、と言って、リチャードに姪のことを紹介した――……。 「で、君の書こうとしているのは、どんな話なんだい?」 「それは……えーと……」 カレンは言葉に詰まった。 いきなり盲点を突かれた気がした。 どんな話なんだっけ? 頭の中ではわかっているつもりでも、いざ説明しようとすると、上手く言葉が出てこない。 「かつて有名だった男が、その後どんな生活をしているか……です」 よほどの名匠でない限り、そんな内容で二時間も引っ張れるわけがない。 カレンは本格映画脚本家を目指していたが。 彼女は、顔から火が出るような想いを味わった。 「ほう」 リチャードは目を細めると、次なる質問をした。 「その男は、どんな人間なんだい?」 リチャードは、おそらく何気なく訊いたのに違いなかった。 だが、カレンはまたもや説明に困った。 頭の中のイメージが先行して、一言では言い表せないのだ。 「あ……あなたのような……人です」 カレンは蚊の鳴くような声で答え、黙りこくってしまった。 他人が読んで、何かを感じるものを書かなくては駄目だ。 常日頃そう思っているカレンは、自分の答えを恥じた。 自分の考えた話を他人にわかってもらう為には、やはり自分も他人の目で見なければならないことを実感したのだった。 あんな曖昧な説明で、自分の書こうとしている話を面白いと感じてくれるわけがなかった。 リチャードは、 「それは面白そうだね」 というお愛想も、 「何が何だかわからない」 という率直な意見も口にしなかった。代わりに、 「まだ書き始めたばかりなんだね。――探せば、きっともっとぴったりした表現が見つかるよ」 と言った。 「ありがとう……リチャードさん」 「シナリオができたら、私にも見せてくれるかい?」 「――喜んで」 それからしばらくの間、雑談をして、リチャードと別れる時間が来た。 「すっかり遅くなったな――送って行こうか?」 犯罪の急増するこの都市において、この文句は男性の常套句になりつつあった。 「ありがとうございます。でも、ご心配には及びません。さようなら。リチャードさん。あなたといろいろ話ができて、本当に楽しかったです」 「またおいで」 さて、リチャードと別れて、カレンがまずしなければならないことは、今まで創り上げてきた主人公の像を修正することだった。 それは彼自身のイメージというよりは、はっきりいえば、時代に見捨てられた男のイメージであったからだ。 実際のリチャード・シンプソンは、カレンの予想を裏切って、荒んだわびしい生活をしている風でもなく、わざと朗らかに見せようとしている風でもなく、淡々と日を送っている無名の人間達と同じだった。 時代に見捨てられた人間の代表格は、例えば『黄金コンビ』の一人、ロザリー・リトルトン――夫と離婚し、たった一人いた娘からも縁を切られ、孤独のうちに世を去ったといわれている――であろうか。 その話が本当なら、彼女は、栄光に満ちた過去から、逃れることができなかったのであろう。 だが、リチャードは違う。 かつてのスターとしての自分のことを、まるで他人事のように冷静に語ることができた。 彼は輝ける過去よりも、地道ながらも現在を生きることを選ぶ男だった。 カレンは取材の対象やモデルではなく、一個人としてのリチャードに興味を持ち始めていた。 (メモを取ってくるのを忘れていたわ) 彼女は、はたと気がついた。 だが、次にはこうも思い直した。 (メモなんか取ってたら、かえって話なんか上の空だったわ) カレンの性格では、おそらくメモ取りの方にばかり熱中したであろうから。 それは、リチャードに対しても失礼なことだ。 体が内側からぽかぽかしてくるような気がした。 それは、リチャードとあの部屋がかけてくれた魔法だ。 テレビすらもない部屋。だが、不思議と居心地が良かった。 テレビを他の人にあげた――しかも、おそらく、誰だか知らないが、その相手への好意から。 他の人だったら、カレンは、 (若い頃の自分しか出ていないテレビは観たくないのかな? 名画特集かなんかで、すっかり想い出にされるのが怖いのかな?) と疑うところであるが、よもやリチャードに関しては、そんなことはあるまい、と予測できる。ロザリー・リトルトンならどうかわからないが。 キャデラックがやってきた。 「カレン!」 母方の叔父、ロナルド・エーヴリーであった。今は彼のところにお世話になっている。 この叔父のところに転がり込んで行ったのは、わずか二日前のことである。 ロナルド叔父も、カレンには弱い。 話はついていたのだが、カレンが着くと、ロナルドは間を置かず、彼女の家に連絡した。 カレンの母からは、 「娘をよろしく」 とのことだったらしい。 カレンがロナルドのキャデラックに乗車する。 「待たせて悪かったね」 ロナルドがすまなさそうに謝る。 「ううん。いろんな話ができたし――それにほら、考えをまとめる時間もできたし」 「行きも送ってあげられなかったね。忙しかったから」 「叔父さん……私、もう子供じゃないのよ」 「でも、この辺もいろいろ物騒になってきたからね」 帰る道々、カレンとロナルドは話をした。主にリチャードの話である。 「彼、結構ユニークだろ?」 「ええ、まぁ」 実は、ユニークと言うより、この叔父より地に足つけた生活を送っているのではないかと思っていたが、そのことはもちろん内緒だ。 それが、ユニークといえばユニークかもしれない。 あんなに虚名に満ちた生活を送っていたであろうに――と、カレンは、思い返す。ある意味では、 (おかしな人) かもしれない。 尤も、有名俳優の生活なんてカレンにはわからない。だが、リチャード・シンプソンがどうやって暮らしているかはわかる。 若い頃からああいう暮らしを続けていたに違いない。――淡々と、ひっそりと。まるで植物か何かのように。 (ロザリーとはどうだったんだろう) ロザリーとリチャードの仲……それは或る意味謎のベールに包まれていた。 二人はデキてんだよ、という人がいた。いや、そんなわけない、という人もいた。カレンは、どっちだっていいと思う。 ある時期、ロザリーとリチャードの二人が、高いギャラでプロデューサーに雇われ、映画監督にもいろいろ注文をつけられながら――それが気位の高いロザリーには気に食わなかったらしい、という話は聞いたことがある――、卓抜した演技で人々に夢を与え続けていたのは、紛れもない事実であったのだから。 かつてのスターに花束を 3 BACK/HOME |