かつてのスターに花束を ギルバート・マクベインの靴音が響く。立ち上がったカレンに、彼は近付く。 「お名前は?」 「カレンです。カレン・ボールドウィン」 カレンは些か緊張気味のようであった。 「ギルバートだ」 「ギルバート・マクベインさんでしょう? お名前は存じております」 そういえば、カレンはギルバートのことをあまり良くは思っていなかったようだったな――リチャードは目を眇めてそんなことを考える。 「見知っていただけたとは光栄です」 そして、ギルバートはカレンの手を取り、手の甲に口付けをした。 それを見ていたリョウが店中に響く大声を上げた。 「リ……リョウ」 リチャードが片方の耳を押さえた。聴覚にすこぶるダメ―ジを食らった。 「あ、すみません、大声出して――じゃなくって! ギルバートさん、あなたはいきなり、その、その……カレンの手の甲に……」 「キスを? そう驚くほどのことでもないと思うが」 「だよなぁ」 ケヴィンが同意する。 「ところで、アンタは誰だ?」 「リョウです。アーサー・リョウ・柊」 「日系人か」 「そうです」 バチバチッと二人の間に火花が散ったような気が、リチャードにはした。 「カレンの恋人かい?」 「違います」 リョウが言うより早く、カレンが断言した。 「何もわざわざそんなはっきりと――」 「では、俺がこの娘をもらってもいいんだな?」 「駄目です!」 リョウはきっぱりと言い切った。 「俺は……カレンが好きです」 「ほう――ならばライバル同士と言う訳だな」 再度、火花が散った。 (尊敬する俳優から一転、恋のライバルという訳か。リョウにとっては) リチャードは冷静に分析する。 「おう。そっちの黒い方のは、誰だっけ?」 「話を聞け!」 リョウは怒っている。ケヴィンがふうっと呆れたように溜息を吐いた。 「ひどいなぁ。ケヴィンですよ。この前お会いしたでしょうが」 「ああ、そうだったな。すまんすまん」 ギルバートは、かかか、と笑う。 (ああ、この人には誰も敵わないな……) トラブルの予感は予感として、面白そうなので、リチャードは見物することにした。 「ところでリチャード」 「――私のことは覚えてくださっているのですね」 「皮肉を言うな。アンタに話がある」 「なんなりと」 リチャードはすまして答える。リョウはまだきいきい言っている。エレインはそれを宥めに回る。 「アンタ――銀幕に戻る気はないかね」 「実は同じような話が来ている」 「それは好都合。今回の話はおまえさんが主人公なのだそうだ」 「奇遇ですねぇ。私のところにもそんな話を持ち込まれました」 「カレン・ボールドウィン」 ギルバートが愛おしそうに目を眇めた。 「ロナルド・エイヴリーから聞いた」 「叔父を……知っているんですか?」 「昔、仕事を一緒にしたことがある」 ギルバートの顔に浮かぶ笑い皺。 「リチャードが主人公の脚本を書いている――確か彼はそう言っていた。それ以上は聞いてないし、知らない」 「はぁ……」 「だが、スクリーンの中のリチャードも見たくてねぇ……」 悪い予感がしてきた。 「だから、脚本を見せてもらいたい。暇な時でいいから」 「あ……今……持ってます」 カレンがギルバートに紙の束を差し出した。 ギルバートは煙草をくわえながら熟読玩味していた。しばらくして、読み終わったかと思ったら、また最初から読み返している。煙草の灰が長くなる。その度に灰皿にぎゅっと押し付けた。 あまりの緊迫感に、リョウの方も声が出ない程であった。 「カレン……」 「あ、あの……如何でしょうか」 「気が変わった」 ギルバートは煙を吐き出す。リョウがわざとらしく咳き込んだ。 「この主人公役は俺がやろう」 「ええっ?!」 「ほんとかよ!」 カレンとリョウが同時に叫んだ。 才能は未知数の、まだ若い無名の脚本家のたまごの作品に、大スターのギルバート・マクベインが出ると言うのである。 草野球にベーブ・ルースが出て来るようなものだ。 「でも、これはリチャードさんの為に書いた脚本で――」 「もちろん、細かい設定は変えてもらう。ただ、俺は、この話が気に入った。それでは俺が演じる理由にならないかね」 「嫌です! そんな横暴なこと、許しません! もし、リチャードさんが主人公をやらないとなったら――私はこの脚本を燃やします!」 「威勢の良い女だ。ますます気に入った」 「まだコピーを取ってないから、返してください」 カレンが手を伸ばした。 「おっと」 ギルバートが余裕で避ける。 「リチャード、あんたはいいと言ってくれるだろう?」 「いや。私はその娘と契約を交わしている。リチャード・シンプソンは、カレン・ボールドウィンの脚本の映画に出ると」 ケヴィンとリョウが目を丸くしている。 「ただし、シナリオを練り直すことを条件としている」 「これで充分いけると思うんだがなぁ――」 ギルバートは反論を述べる。 「あなた、わかってないわね。これはリチャードさんが出ることに価値があるのよ」 エレインが口を挟んだ。 「わかったよ。別嬪な姐ちゃん。確かに、このシナリオ、若書きだが、書き直したら大化けするかもしれない」 ギルバートは考え込むように顎を撫でた。 「よし、わかった」 ゆっくりとギルバートはスツールから立ち上がる。 「決闘だ! リチャード・シンプソン! 私が勝ったら、この話の主役の座と、カレン・ボールドウィンをもらっていくぞ!」 「わ……私も?!」 カレンが驚きの声をあげた。 なるほど。トラブルの予感は当たった。リチャードはどこか遠いところの世界での出来事のように感じていた。 2012.8.8 かつてのスターに花束を 19 BACK/HOME |