かつてのスターに花束を
18
「失礼」
 ギルバート・マクベインの靴音が響く。立ち上がったカレンに、彼は近付く。
「お名前は?」
「カレンです。カレン・ボールドウィン」
 カレンは些か緊張気味のようであった。
「ギルバートだ」
「ギルバート・マクベインさんでしょう? お名前は存じております」
 そういえば、カレンはギルバートのことをあまり良くは思っていなかったようだったな――リチャードは目を眇めてそんなことを考える。
「見知っていただけたとは光栄です」
 そして、ギルバートはカレンの手を取り、手の甲に口付けをした。
 それを見ていたリョウが店中に響く大声を上げた。
「リ……リョウ」
 リチャードが片方の耳を押さえた。聴覚にすこぶるダメ―ジを食らった。
「あ、すみません、大声出して――じゃなくって! ギルバートさん、あなたはいきなり、その、その……カレンの手の甲に……」
「キスを? そう驚くほどのことでもないと思うが」
「だよなぁ」
 ケヴィンが同意する。
「ところで、アンタは誰だ?」
「リョウです。アーサー・リョウ・柊」
「日系人か」
「そうです」
 バチバチッと二人の間に火花が散ったような気が、リチャードにはした。
「カレンの恋人かい?」
「違います」
 リョウが言うより早く、カレンが断言した。
「何もわざわざそんなはっきりと――」
「では、俺がこの娘をもらってもいいんだな?」
「駄目です!」
 リョウはきっぱりと言い切った。
「俺は……カレンが好きです」
「ほう――ならばライバル同士と言う訳だな」
 再度、火花が散った。
(尊敬する俳優から一転、恋のライバルという訳か。リョウにとっては)
 リチャードは冷静に分析する。
「おう。そっちの黒い方のは、誰だっけ?」
「話を聞け!」
 リョウは怒っている。ケヴィンがふうっと呆れたように溜息を吐いた。
「ひどいなぁ。ケヴィンですよ。この前お会いしたでしょうが」
「ああ、そうだったな。すまんすまん」
 ギルバートは、かかか、と笑う。
(ああ、この人には誰も敵わないな……)
 トラブルの予感は予感として、面白そうなので、リチャードは見物することにした。
「ところでリチャード」
「――私のことは覚えてくださっているのですね」
「皮肉を言うな。アンタに話がある」
「なんなりと」
 リチャードはすまして答える。リョウはまだきいきい言っている。エレインはそれを宥めに回る。
「アンタ――銀幕に戻る気はないかね」
「実は同じような話が来ている」
「それは好都合。今回の話はおまえさんが主人公なのだそうだ」
「奇遇ですねぇ。私のところにもそんな話を持ち込まれました」
「カレン・ボールドウィン」
 ギルバートが愛おしそうに目を眇めた。
「ロナルド・エイヴリーから聞いた」
「叔父を……知っているんですか?」
「昔、仕事を一緒にしたことがある」
 ギルバートの顔に浮かぶ笑い皺。
「リチャードが主人公の脚本を書いている――確か彼はそう言っていた。それ以上は聞いてないし、知らない」
「はぁ……」
「だが、スクリーンの中のリチャードも見たくてねぇ……」
 悪い予感がしてきた。
「だから、脚本を見せてもらいたい。暇な時でいいから」
「あ……今……持ってます」
 カレンがギルバートに紙の束を差し出した。
 ギルバートは煙草をくわえながら熟読玩味していた。しばらくして、読み終わったかと思ったら、また最初から読み返している。煙草の灰が長くなる。その度に灰皿にぎゅっと押し付けた。
 あまりの緊迫感に、リョウの方も声が出ない程であった。
「カレン……」
「あ、あの……如何でしょうか」
「気が変わった」
 ギルバートは煙を吐き出す。リョウがわざとらしく咳き込んだ。
「この主人公役は俺がやろう」
「ええっ?!」
「ほんとかよ!」
 カレンとリョウが同時に叫んだ。
 才能は未知数の、まだ若い無名の脚本家のたまごの作品に、大スターのギルバート・マクベインが出ると言うのである。
 草野球にベーブ・ルースが出て来るようなものだ。
「でも、これはリチャードさんの為に書いた脚本で――」
「もちろん、細かい設定は変えてもらう。ただ、俺は、この話が気に入った。それでは俺が演じる理由にならないかね」
「嫌です! そんな横暴なこと、許しません! もし、リチャードさんが主人公をやらないとなったら――私はこの脚本を燃やします!」
「威勢の良い女だ。ますます気に入った」
「まだコピーを取ってないから、返してください」
 カレンが手を伸ばした。
「おっと」
 ギルバートが余裕で避ける。
「リチャード、あんたはいいと言ってくれるだろう?」
「いや。私はその娘と契約を交わしている。リチャード・シンプソンは、カレン・ボールドウィンの脚本の映画に出ると」
 ケヴィンとリョウが目を丸くしている。
「ただし、シナリオを練り直すことを条件としている」
「これで充分いけると思うんだがなぁ――」
 ギルバートは反論を述べる。
「あなた、わかってないわね。これはリチャードさんが出ることに価値があるのよ」
 エレインが口を挟んだ。
「わかったよ。別嬪な姐ちゃん。確かに、このシナリオ、若書きだが、書き直したら大化けするかもしれない」
 ギルバートは考え込むように顎を撫でた。
「よし、わかった」
 ゆっくりとギルバートはスツールから立ち上がる。
「決闘だ! リチャード・シンプソン! 私が勝ったら、この話の主役の座と、カレン・ボールドウィンをもらっていくぞ!」
「わ……私も?!」
 カレンが驚きの声をあげた。
 なるほど。トラブルの予感は当たった。リチャードはどこか遠いところの世界での出来事のように感じていた。

2012.8.8

かつてのスターに花束を 19
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