かつてのスターに花束を
15
 カリフォルニア州ロサンゼルス――
 ここに、アーサー・リョウ・柊の父親、柊龍一郎の教会、『聖ファウンテン・チャ―チ』がある。
 ニューヨークから一歩も外に出たことがない、生粋のニューヨークっ娘のカレンは、慣れぬ旅でへろへろになってしまっていた。飛行機なんてものにも乗ってしまった。
 リョウとアリスは元気だった。若いからだろうか。とりわけアリスは元気だった。
「嬉しいわ。またリョウの御両親に会えるなんて♪」
「こらこら。勘違いするんじゃない。俺の母親がどれだけ素晴らしいかカレンに見せてやるだけだからな」
「ええ。あたしのこと、フィアンセとして紹介してくれるのよね」
「違ぁう!」
 リョウとアリスの夫婦漫才を聞くのは楽しかったが、いかんせん距離が長過ぎた。
 カレンは早くどこかに腰を落ち着けたかった。
 教会は、およそ教会らしくない外見をしていた。陽の光をたっぷり受けたサンルーム。それがカレンの第一印象だった。最初、教会堂はどこかと思わずきょろきょろしてしまったぐらいである。
 リョウに訊いて、初めて、この馬鹿でかいサンルームが教会だとわかった。
「えー?! すごいすごい! リョウの御両親ってお金持ちなのね!」
 アリスはきゃっきゃとはしゃいでいる。金色の巻き毛が揺れる。そうすると年よりも幼く見える。もともと小柄なのに。けれど、
(可愛いな)
 なんてカレンは思ってしまう。リョウは、何でこんないい娘に冷たいのだろう。
 それより、アリスだったら彼氏候補がたくさんいるだろうに、どうしてリョウだったのだろう。わからない。
「ねぇ、本当にリョウのどこがいいの?」
 と、リョウがトイレに立っている間アリスに訊いたら、
「顔と性格!」
 との答えが返って来た。
(まぁ、確かにリョウは美形だけど……性格はともかく)
 リョウが夢中になっているのは彼の母親である。きっと美人なのだろう。
(どんな人なのかな)
 カレンには並々ならぬ好奇心がある。旅で疲れてはいたが、ニューヨークの外に出て来られたのもこれ幸いと、いろいろな物を目に焼き付けようとした。
 モニターがところどころに下がっている。あれで映像が映るのだろう。
「そろそろ礼拝の時間だよ」
 リョウが言った。三人は備え付けのソファに座った。ニューヨークは寒かったが、ここは暖かい。冬だというのに雪の「ゆ」の字もない。
 ぱっと画面に人の顔が映る。
「お集まりの皆様、おはようございます。柊龍一郎です」
 朗々とした美声が響く。モニターから見ても、リョウに似ているようだ、と思う。
 白髪交じりだが、童顔のせいか若く見える。四十代ぐらいだろうか。日本人は若く見えるというが。
「――それでは、奏楽の中で主に心を傾けましょう……」
 すると、隣のお婆さんが何やら手を組み合せて祈り始めた。日本だったら仏様にでも祈るのだろうか。
 リョウとアリスもそれに倣った。カレンも慌てて手を組み合わせる。
 別に信者ではないが、ここはキリスト教国なのだ。
 カレンも、キリスト教のことはわかっているつもりだし、祖母から誕生日祝いに贈ってもらった聖書はぼろぼろになるまで愛読していた。旧約聖書よりも新約聖書の方が好きだが。
「それでは、マタイの福音書を開きます――」
 しまった! ――カレンは思った。自分も聖書を持ってくれば良かった。すると、隣のリョウが素早く親切に聖書を開いて見せてくれた。「ここだよ」と指さして。
「あれが親父だよ」
 リョウがカレンに囁いた。
「俺ほどじゃないけど、なかなかいい男だろ? ゲイに求婚されたこともあるんだってさ」
 教会でその話題はNGなのではないかと、カレンははらはらしたが、リョウは平然としている。
「ま、お袋と結婚してくれて良かったよ。俺といういい息子が生まれたんだからな。将来はちゃんと介護してやるつもりだぜ」
 いい息子……自分で言うなんて。カレンはさっきの心配も忘れて思わず吹き出してしまった。
「そうよねぇ。そして、あたしに巡り会えたんだもんねぇ」
「そうだな。カレンと会えて、生まれて良かったと思えたよ」
 アリスとリョウの台詞には、かなりの食い違いがある。
「でも、私は若くないし、美人だなんてとてもとても……」
 自分でも顔立ちは整っている方だとは思う。けれど、美人だとは思えない。醜くくもないつもりだけど。
「あー、親父の説教なんか飛ばせ飛ばせ」
 リョウが苛立ったように手を横に振った。
「そうかな。私はもぅちょっと聞いていたいな」
 聖書がなくても、柊牧師の話は面白い。聞いてて飽きない。話上手な人だと思う。
 今日は山上の垂訓の話をしていた。
 例の『心の貧しき者は幸いである』という箇所が出てきた。
 龍一郎は語った。
「何故、『心の』が入るのか。ただの貧しい人ではいけないのか。心が貧しいとは、イエス様に満たされていないのではないか。そんな論議をクラスメート達と侃々がくがく戦わせていたものだった。しかるに、これは日本語訳に問題があるという説がある。本来は謙遜な人、という意味がちゃんとあるようなのだ」
 日本の聖書事情がわかって、少し得した気分がカレンにはした。文学談義なら、カレンも相当やった。読書が好きなので、本をたくさん読んだ。それが今に繋がっている。
 だから、他人のことでもそんな話を聞くと、ついわくわくしてくる。龍一郎となら、話が合いそうな気がしてきた。
 画面が切り替わった。
「あ、お袋だ」
 リョウが嬉しそうに飛び起きる。
 ――白いサマードレスが良く似合う、美しい人だ。この距離で美しいとわかるのだから、近くで見ればもっと美人なのだろう。
 そして、髪。
 真っ黒な、ウェーブした髪。多分、柔らかい髪の毛なのだろう。自分の硬い髪とは違う。
 リョウみたいな大きな息子がいるとは思えない。
 嘘つき。
 カレンはリョウを心の中で責めた。
(あっちの方が、ずっとずっと美人じゃない)
 リョウは、どうして母親とカレンを少しでも似ていると思ったのだろう。それはもちろん、あんな美しい人に似ていると言われれば嬉しくはなるが、しかし――。
(私はみそっかすだもん)
 いつも言われてきた。男の子のようだって。自分でも、子供の頃は男なのだと思い込んでいた。
 少しずつ胸が膨らみ始め、クラスメートのそばかすの子からも告白されるようになった時、徐々に自分が『女』である、と知り染めて行った。決定的な出来事は、月のものが始まった時である。
 ああ、自分は女なのだと、その時思った。もう昔には戻れない。
 リョウの母親――アイリーンはどうだったのだろう。子供の頃から可愛かったに違いない。
 可愛くて、ちやほやされて――自分は女の子であるという自覚を幼い頃から持っていたのではあるまいか。
 それに、アイリーンには、中から滲み出て来る気品、というものがある。彼女は遠いモニターからも輝いて見える。
 ぱっとアイリーンのアップが大映しになった。皺ひとつない。美しい。
 その彼女が歌っている。神の喜びに溢れている。綺麗な声だ。天使の声と呼ぶにふさわしい。
 ああ、柊牧師は正しかった。彼女こそ、天使のような女性だ。自分が本当に男だったら、プロポーズに行ったところであろう。リョウなんかに渡さずに。
 モニターからでも、そんな風に思わせる人だ。男性のファンも多いことだろう。ラブレターなんか来てたりして。
 彼女は、女優になるべき人だったのではないか――? そうも思うのだが、アイリーンは銀幕向きではないとも思う。
 それにしても、ハリウッドに彼女のような女優がいないのは残念だ。歌手でもそういない。
 歌がやんだ時、リョウがパチパチパチと盛大な拍手をした。それを止めるつもりはなかった。アリスも拍手をすると、波のような大歓声が起こった。拍手の波だ。
(神様に用いられている人達って、本当にいるのね)
 カレンも拍手をした。手を叩きながらそう感じた。
 クリスチャンには、特別な賜物がある。
 そう言ったのは、名前も忘れた友達だったけど――それはあるかもしれない。神によって作り変えられるのだ。
 神はえこ贔屓する。だが、それも悪くない。
 本当に信仰に生きるということは大変なことなのだから、せめて才能豊かになったり、主の力によって守ってもらえる――そんな特典がないと、クリスチャンとしてはやっていけないのだろう。
 何もいいことがなくても、神により頼んで生きる。人々に優しさを与えるとしたら。ヨブやイエス様のように、愛と信仰によって生き抜いたとしたら――わぁお! そんな人こそ、本当の神様だ!
 イエス様が神の子と言われるのもわかる。時には神そのものと言われることも。
 ああ――何て素晴らしいのだろう。神の子であるということは。
 カレンは今すぐにでも洗礼を受けたくなったが、
(ちょっと待って。私にはやることがある)
 と、思い留まった。
 私は作品を書かなくてはならない。
 それも、俗っぽい――しかし、華やかに煌めいて、美しく儚く消える何か。綺麗事では済まされない、汚泥に満ちた世界の話。あの話の世界も、カレンを魅了し、惹きつける。
 アイリーンのように綺麗でも純粋でもない自分は、クリスチャンには向いていないのではないか、とカレンは落ち込んで塞ぎがちになった。龍一郎の説教の続きも耳に入らなかった。リョウの気持ちが、本当にわかったような気がした。

かつてのスターに花束を 16
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