イーストウッド・カンパニー 2

「うっ……」
「相手は誰だ? 社長じゃなさそうだな。社長に代わってもらうように言え」
「レナード。パパと代わって?」
『お前のパパは仕事でいねぇんだよ』
 ジェシカは足元が崩れ去ったような気がした。こんな時に父親がいないなんて。それを知ったら、逆上した犯人達に何をされるか……。
「出たか? 社長……」
「う……」
 ジェシカには、はかばかしい返事ができなかった。
「――よし。じゃあ、『助けて』って言え」
 ――どすの訊いた低い声。
「た、助けて、助けて!」
『おい、ジェシカ!』
「そこまでだ」
 男が受話器を取り上げる。
「お宅のジェシカは預かった。返して欲しければチェルシー埠頭に百万ドル持って来い。五時半までにだ。わかったか」
 ジェシカは息を飲んだ。
「愛娘の危機に声も出ない――か。イーストウッド・カンパニーの社長さんも案外大したことないな。――じゃあな」
 電話が切れた。
 パパが来るはずない。彼らの電話の相手はレナードだったんだから。
 冷たい風が吹く。レナードがパパに言うはずがない。だってあたしは――。あたしは――あいつに酷いことばかり言ってきたんだから。
(神様――!)
 今、初めて神様に祈る龍一郎の気持ちがわかるような気がした。
(龍一郎――馬鹿にしてごめんなさい)
 二人の男はひそひそと話をしている。ジェシカは上半身をロープで縛られたまま、聞くとはなく聞いていた。見張りが銃をこちらに向けている。彼らは小さいけれどテログループらしい。
 情けない。こんな時に神頼みしかできないなんて。でも、相手は三人。あたしは一人。
 それに、ああ、レナード――。
 喧嘩ばかりしてたけど、あたし、アンタのこと嫌いじゃなかった。
 ジェシカの頬に涙が流れた。
 あたし、死ぬんだ。レナードに見捨てられて、あたし、死ぬんだ。
 だったら、もうちょっと仲良くしておけば良かった。もうちょっと、優しい言葉を言うべきだった。
 会った時から気になってた。
 彼がゲイとわかった途端、あたしはあいつを馬鹿にした。そのツケが今、回ってくるなんて――。
 レナード・オルセン。彼は、あたしを嫌いだろう。無理ないよね。こんなはねっ返り娘――。
(帰りたい)
 それは父親の元であるかもしれなかったし、レナードとしょっちゅう言い合ってたあの陽だまりの午後かもしれなかった。
(あいつに借りてた本があったんだっけ)
 ジェシカは急に思い出す。ジェシカが殺された後、レナードはそれを見つけて彼女のことを思い出すのだ。――思い出してくれるだろうか。少しは。
 まだ、死にたくない――!
 でも、死ぬのだろう。テログループに誘拐されてしまったのだから。
 ジェシカはぐるぐる考えていた。
(龍一郎は立派だった)
 龍一郎のことをまた考える。彼は命を危機に晒してまで妻を殺されおかしくなった男、ルース・マッケイの魂を救おうとした。まるでイエス・キリストのようだ。あたしはダメ。そんなことできない。
「――時間だ」
 男の低い声がする。仲間の男二人が頷いた。
「来なかったな、社長」
「…………」
 来るわけないじゃない。
「では、お前を殺す」
 フランスの男は託宣のように厳かな口調で言葉を紡ぐ。ジェシカはぎゅっと目を瞑った。
 さよなら、リチャードさん、アイリーン、龍一郎、――レナード!
 その時、一発の銃声が。ジェシカは自分が撃たれたのだと思ったがそうではなかった。――踏み潰された蛙のような声が聴こえた。
「だ、誰だ!」
 ジェシカがおそるおそる目を開く。ジェシカの見張りの男が倒れていた。警察だろうか――彼らは数人いるようだった。制服を着た男性がテログループの一人と戦い――ものの数秒でやっつけた。
「あ……」
「くそっ!」
 リーダー格の男が銃を構える。警察らしき男が彼の胸を撃った。敵は何も言わずに傷口を庇うようにうずくまった。それでも尚撃とうとしたが狙いが定まらないらしい。結局は彼もまた正義の味方に打ち負かされた。
「ジェシカ――無事か?」
「え、ええ……」
 警察がジェシカのロープを解く。戒めを解かれた開放感があった。
「あの――あなたは?」
「トレバー・マッキンレー。ニューヨーク市警の者だ」
 その男は太い眉。黒いもみ上げ。強い短髪。きっぱりとした男性形の顔をしていた。
(レナードと随分違うのね――)
 ジェシカは何となくそう思った。でもどこか似ている。
「レナードから連絡があった。遅くなってすまない」
「いいえ。ありがとう、ございます」
 ジェシカは切れ切れに言った。
 リーダーは撃たれた時、銃弾が急所から外れていたらしくまだしぶとく生きている。彼の銃を取り上げた自分の部下に、そいつを運べ、とトレバーは指示した。
「トレバー!」
 ジェシカ達が埠頭から出るとレナードが目の前に現れた。そして――あろうことかトレバーに抱き着いた!
「レナード! 待ってろって言ったじゃないか!」
「だから、待ってたよん。トレバー……何人殺したの?」
「一人だ。娘の見張りをしていた男。リーダーと生き残った仲間の男一人は警察に連れて行った――病院の方が先かもしれんな」
「さすがだね」
 レナードとトレバー。何か、いかがわしい雰囲気がこの二人にはあるような気がする。ジェシカは訊いた。
「あの――トレバーさんとレナードってどういう関係?」
「恋人」
 レナードはすぱっと言った。
「えええええっ?!」
「駄目だろう。ばらしては」
「えへへ」
 ニューヨーク市警にゲイの男がいるなんて! いくら五十年代だからって、そんなに乱れてていいものなのだろうか!(注:この話の舞台は1959年である)
「あ、あの、警察に、ゲイ……」
「ああ、大丈夫。大っぴらにはしてないから。でも、これバレたらトレバー、警察辞めさせられるかもしれんなぁ」
「私にはお前がいればそれでいい」
「こいつね、オレの為に離婚したんだって。馬鹿でしょ」
 うん、馬鹿だ。
 そんな風に思わず頷いてしまいそうになった。
 レナード……助けてくれたのはいいけど、警察に連絡してくれたのはいいけど……。
「こんの馬鹿ー!!!!!」
 ジェシカはレナードを思い切り殴った。
「え? 何で? オレ、助けたのに……?」
「レナードはもう少し女心を勉強した方がいいな」
 トレバーが呆れたようにコメントした。
「お前だって人のこと言えねぇじゃねぇか」
「ああ、だから妻と離婚したんだ」
 レナードとトレバーを置き去りにしてジェシカはその場を後にした。
 もう、レナードなんか知らないッ!
 家に帰るとリチャードが飛んできた。アイリーンと龍一郎。そして、ジェシカの父。話を聞いて駆け付けたらしい。
 ジェシカは思った。あたし、やっぱりリチャードさんの方がいいなぁ……。彼も勿論難ありだけど。

次へ→

2019.12.06

BACK/HOME