イーストウッド・カンパニー 1

「ねぇ、ジェシカ。日本人の青年がピーターさんのところに住むことになったんだってね」
「そうなのよ。日本人のくせに牧師になりたいんだって。変わってるでしょ?」
 ジェシカ・イーストウッドが友達のアリーナと世間話をしていた。世間話と言っても、今話しているのはピーター・ベルクソン家に寄宿している柊龍一郎のこと。
「可愛いって評判じゃない」
「いくら可愛いかどうか知らないけど、日本人と結婚する気にはなれないわね。それに――」
「龍一郎の方でお前なんか願い下げだよ。ブース」
 ごん。
 ジェシカとアリーナの間に割って入ったのは、レナード・オルセン。ソドムの男。ジェシカと同じ大学に通っている。龍一郎が可愛いという噂を広めたのもこの男だ。
(まぁ、龍一郎も可愛いっちゃ可愛いけどねぇ……)
 ジェシカは思う。それでもリチャードさんには敵わないわよ――と。
「アンタにあげるわよ。龍一郎なんて。あたしはリチャードさんの方が……」
 ジェシカが学生食堂のあまり美味しくないパンを飲み込んでから言った。
「無理無理。リチャードはアイリーンにお熱だぜ」
「龍一郎だってアイリーンのこと妙な目で見てるわよ」
「知ってる。あー、羨ましいな、アイリーンさん。代わって欲しい」
「アンタは理想が高過ぎんのよ」
「お前は身の程を知らないんだ」
「何ですって!」
「やるかぁ?!」
 そして――彼らにとってはお馴染の取っ組み合い。アリーナがまたか、と溜息を吐いた。

「ジェシカ……大丈夫?」
 アリーナが心配するほどジェシカはボロボロだった。いつものこととは言え、友達として思わず優しい声でもかけたくなるのが人情と言うものであろう。
「ふん。あいつにはあたし以上の傷を負わせてやったわ」
 その頃のレナード――。
「あ、痛い、染みる、染みる。そっとやって……」
 大学の医務室で大柄な年配の看護師に傷の手当てをしてもらっていた。それを想像したらしいアリーナがキャハハ、と笑った。
「レナードも可哀想に」
「自業自得よ」
「でもさー、アンタ達って本当にお似合いじゃない? レナードだってジェシカが好きよ。本当は」
「あーんなホモ。性病にかかって死ねばいいんだわ」
 因みに、この時代にはエイズなる病気はまだない。
「ちょっとー。それって酷くない?」
「酷くない。いくら顔が良くてもゲイなんてお断りよ」
「へぇ~」
 アリーナがニヤニヤ。
「な……何よ」
「美形だよね。レナード」
「まぁ、そこだけは認めるのにやぶさかではないけれどね」
 ひとつに縛ったキャラメルブロンドの長い髪。切れ長の目。細い鼻梁。琥珀色の瞳。
 確かに美形といえば美形である。けれど――レナードは男が好きなのだ。難ありの美形なのだ。ジェシカの周りには、難ありの美形が多い。
「もう経験しちゃってるのかしら。彼って。ねぇ、ジェシカ」
「知らないわよ。――授業よ。アリーナ」
 ちょうどその時、教授が教室に入ってきた。つまりはこんな調子で、ジェシカとレナードの日常は過ぎていたのである。これもひとつの青春の一コマ――だったら良かったのだが。

 或る日の放課後――。
「じゃあねぇ」
「あ、ジェシカ」
「なぁに?」
 ジェシカはアリーナに対してにっこり笑う。アリーナもいろいろと問題のある友達ではあるが、友達には違いないのだ。
「ママがね、またスコーン作ったんだって」
「あら、ほんと。あたしアリーナのママのスコーン大好き!」
「ジェシカにはイギリス人の血が入ってるに違いないわ」
「名前からしてイギリス系でしょうが。あたしは」
 それに、世界規模の貿易会社の社長の愛娘だ。ジェシカ・イーストウッドほど恵まれた女子大生は滅多にいないだろう。ジェシカは特別扱いは嫌っていたが。
「またね」
「うん」
 ジェシカが鼻歌を歌いながら歩いていると――。
「アロー。ジェシカ様」
 白い車が止まっていた。
「あら誰?」
「お迎えです」
「お迎えって――いいって言ったのに、パパったら――。それとも、グランパの方かしら」
「リチャードさんが大変なんです」
(あら、この人、フランス人かしら)
 言葉のアクセントに訛りがある。『ハロー』を『アロー』としか言えない。
 普段だったらジェシカも良家の子女。当然誘拐を警戒すべきであったが――。リチャードの名前を聞いた途端、ジェシカの理性は吹っ飛んだ。
「どこ? ねぇどこ? リチャードさん、どうしたの?!」
「事故で重傷を――」
「早く乗せて! ――ねぇ、どこ? どこの病院? 連れて行って!」
「わかりました」
 男の口の端が密かに上がったのをジェシカは見逃した。
 ジェシカの他に乗っているのは三人の男。彼女は車の景色が動いている間、リチャードのことしか考えていなかった。
(神様。あたしはどうなってもいいから、リチャードさんを助けて早く――)
 ジェシカはぎりり、と唇を噛んだ。
 着いたのは埠頭だった。
「リチャードさん……」
 外国の病院に連れて行かれるほど重症なのね。――そう思ったジェシカは確かに迂闊だった。
「リチャードは来ないよ」
 フランス訛りの男が言った。もしかして――嵌められた?!
「騙したのね!」
「おっと。騙される方が悪い。アンタは当然、俺達を警戒すべきだった。アンタがリチャードという男のことを好きなのは本当みたいだな」
「何よ、誘拐犯!」
「黙れ!」
 さっきとは別の男の声がびぃんと響いた。そして一転、猫撫で声で――。
「なぁ、お嬢ちゃん。我々だってこんなことはしたくないんだ」
「誘拐犯の常套句ね」
「――今から電話をかける。『助けて』って言え」
 今度は声にどすを効かせて男が懐からピストルを取り出す。
「わ――わかった」
 レナードと渡り合うジェシカも飛び道具やナイフには弱い。ジェシカもか弱き女性なのだった。受話器から聞こえる電話の呼び出し音が永遠に鳴ってるのではないかと思った。
『はい。もしもし。イーストウッド・カンパニー……』
 聞き覚えのある声。レナード・オルセンだった。
 ジェシカは思わず安堵で脱力しそうになる。もし彼女ほど心が強い女でなかったら、へなへなとその場に頽れるところであったろう。だが、ジェシカは体勢を整えて言った。言ったというより、叫んだ。
「なぁんでアンタがそこにいるのよっ!」
『あー。ジェシカか……何だよ』
 レナードの声が余所行きのものから、いつも通りの声に変わる。
「聞きたいのはこっちよ!」
『あー……オレ? バイトで電話番。給料いいからさ。つか、どうしたんだよ。いつもとちげーぞ。おい。何か変わったことでもあったのか?』
 レナードの声が緊迫感を帯びてくる。ジェシカは銃をこめかみに突き付けられた。

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2019.11.25

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