田園交響楽 8

「紹介しよう。カレン。この男はレオ・オブライエンだ。レオ、こっちはカレン・ボールドウィン」
「こ……こんにちは」
 ――カレンはつい目を伏せてしまった。こんな美しい青年は見たことがない。まるで銀を振りこぼしたような――。
 ファンタジー小説に出てくる王子様みたい――。或いはニンフか。そういえば、何となく、優雅な匂いというかオーラが纏いついている。
 この人なら男にも女にもモテそうだな、とカレンは思った。リックもレオが好きなんだろうか。
 ――何となく、女として悔しい気がした。
「どうだい? レオは」
「――とても、綺麗な方だと思います」
「そんなにしゃちほこばってないで――席に着き給え。レオ」
「それじゃ」
 レオはリックの隣ではなく、カレンの隣を選んだ。それが、カレンには嬉しかった。
「このレオ・オブライエンは、アルバート・オブライエンの息子なんだ」
 アルバートは知っている。レオに負けず劣らず綺麗で――でも、トラブルメーカーとマスコミにあだ名された男だ。レオは、見た目は父親譲りだが、性格はどうであろうか。
「カレン。アルバートと違って、このレオは性格いい人だから――」
 レオはカレンをまじまじと見た。その瞳には好意的な色が浮かんでいた。
「カレン。宜しく」
「よ……宜しく」
「さ、挨拶の握手をしよう」
 レオが手を差し出す。カレンも手を握り返す。冷たいだろうと思っていたレオの手は、存外温かかった。
「この子はリックの彼女かい?」
 ――レオはまた、声も美しい。リックが笑いながら答えた。
「違うよ。僕が今フリーなのは知っているだろう? それに、他に好きな人もいるし」
「何だ。結構可愛い娘なのに――リックは結婚しないのかい?」
「しないよ。未来永劫、する気もない」
 そして――リックはレオを見つめた。
 ――カレンは、あ、と思った。
 リックは、レオのことが好きなのだ。
 これは、カレンのもって生まれた観察眼が見抜いたことであった。リチャードとロザリーの密かな恋だって見抜いた観察眼だ。カレンは自分の勘を信じていた。
「レオ、カレンは脚本家なんだよ」
「それはそれは……すごいですね」
 カレンは、レオは中身より外見の方が優れているのではないかと疑った。だが、それが何だというのであろう。美男子は世界の宝だ。少なくとも、女性にとっては。
 レオは、いるだけで目の保養になった。
(レオは、リックより――リチャードさんより美しい……)
 だが、その男が恋愛対象になるかどうかはまた別の問題で――。
 カレンにとって恋をするには、レオはあまりにも美し過ぎた。
(完璧な美貌だわ――)
 カレンはうっとりしたが、それでは、そんな美貌に生まれて来たかったかといえば、そう簡単に頷けない。クロエでさえ、いろいろと苦労しているのだ。カレンは自分が「ちょっと可愛い」くらいの容貌で良かったと思っている。
 ギルバートがどうして自分を狙ったのかは今でもわからない。そう。ギルバート・マクベイン。彼のところにも再びお見舞いに行きたいとカレンは思った。
 それよりもまずは――。
「レオさんはリックと友達なんですか?」
「――レオでいいよ。うん。リックとは友達だよ。子供の頃から知ってたけど、ここ数年で仲良くなったんだ」
 レオがにこりと笑う。綺麗な花が開いたようだった。
(わぁ……)
 カレンは見惚れてしまった。
「何で見てるの?」
 レオが優しく訊く。カレンも微笑む。
「レオ……あなた、とても綺麗だと思って」
「ありがとう」
 そして――完璧な笑みを、だが、さっきとは違う笑みを浮かべた。リックが咳払いをした。
「ああ、リック。忘れてた。ごめんね」
 レオは悪びれもせずに言う。リックは愛おしそうにレオを見遣る。
「いや、いいんだよ――三人で話でもしようか」
「――いいの? お邪魔しちゃ悪いんじゃ……」
「いや、君も来た方がレオも喜ぶ」
「うん。僕、君が好きだな」
「好き……」
 心臓が高鳴る。リックに恋してるくせに、とカレンは思ったが、どうしようもない。レオみたいな美男子に好意を示されたら、女性だったら大抵はいい気になったり、ときめいたりするであろう。
「リック。僕、お腹空いたな」
「……あ、そうか。僕達は済ませてきたんだが」
「さっきのお店でいいんじゃない?」
 と、カレン。
「ああ――いや、変な目で見られると困る。幸い、ここにはレストランが沢山ある。どこか探して落ち着こう」
「リックの方が詳しいんじゃなくて?」
 カレンはまだ土地勘が働かない。元々、少々方向音痴の気味がある娘なのだ。普段ならそんなに問題でもないのだが、今は心が浮ついている。迷子になっても不思議ではない。
「そうだな――少し歩こう。この三人じゃ人目について仕方がないかもしれんが」
「あら、リックやレオはともかく、私なんか――」
「何言ってんだい……」
「カレンも充分可愛いよ」
 リックの言葉を遮って、レオがのたまった。
 レオは案外ジゴロの素質があるのかもしれない。純粋無垢に見えて――気をつけなければ、と思う思いと、天まで昇っていきそうな思いを同時に抱えた。
 でも、それは恋ではない。どちらかというと、憧れ――に近い。銀幕に現れたリチャードに対する遠い存在への淡い恋心のようなものだ。
 一方、リックはというと――。
 正直に言おう。カレンはリックに抱かれたかった。彼女は処女だが、その処女をリックにもらって欲しかった。
 それなのに、今一番憎いのはリックでもある。愛憎入り混じった感情を、カレンはリックに抱いている。レオが顔を覗き込む。
「きゃっ!」
 ――この男は心臓に悪い。
「どうしたの? カレン。可愛い顔が台無しだよ」
 何の邪気もなく、レオが言う。可愛いと言われて、カレンも満更でもなかった。相手が絶世の美男なら尚更だ。
「ははっ。カレン。レオに気に入られたな。レオは好き嫌いが激しいからな」
「リックも好きだよ」
「――それは……どうも……」
 リックも照れている。さもありなんとカレンは思った。例え社交辞令でも、この男が言うと真実の言葉に聞こえる。
(美人って得だな――……)
 カレンはこっそりそう思う。このレオという存在を巡って、戦いが起こっても不思議ではない。そう思える。それは――もう起こっているのかもしれない。リックはカレンのことを恋敵とは思っていないが。
 そして、カレンも、リックに恋をしている最中だが。
(とんだ恋敵ね……)
 どんな美女も裸足で逃げ出すであろうレオ・オブライエン。アルバート・オブライエンもどこかそんな魔性を抱えていた気がする。
(けれど、アルバートはリチャードさんに負けてしまったから――)
 だから、ロザリーの悲劇は起きたのだ。
 今、リックがアルバートの息子のレオに夢中になったのは、おあいこである、ということであろう。
 リチャードはどう思っているのであろうか。アルバートがいない人生を歩みたかったであろうリチャード。アルバートを憎んでいたリチャード。
 けれど、リチャードの憎しみが――ロザリーの人生に破綻を来した。アルバートはその後別の女性と結婚して、レオを設けたらしい。だが、その直後、離婚している。
(アルバートの奥さん……レオのお母さん……何て名前だったかしら)
 アルバートも結構有名人だ。その奥さんなのだから名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれない。けれど、カレンはレオに母親の名前を訊こうとは思わなかった。すっかり忘れていたのだ。
 カレンの隣でレオが無造作に歩く。人々が振り返っても、レオは気にしない。或いは、こういうのは慣れっこだったのかもしれない。風を切って、レオはジャングル大帝のように伸びやかに歩く。
 ネオンサインが照らされた街だから、レオの美貌がよく映える。男どもからも口笛がかけられる。
「相手にするんじゃないよ。レオ」
「わかってるよ。リックはいつもそれだなぁ」
 過保護だよね――そう言ってレオはカレンに向かって微笑む。何だこの無防備さ。レオはもう少し気をつけなければいけないんじゃないかと思う。
 リックもそう思ったらしく、彼もまたレオの隣に並んで歩く。レオに対して惚れてる男とレオに対して満更でもない感情を持ってる女――二人に挟まれて彼がどう思ったかはわからない。だが、カレンは己のことは置いておいて、その関係を興深く眺めていた。

次へ→

2021.12.05

BACK/HOME