アジアンハート 6

 リチャード達はカウンター席を陣取った。窓際が遥で、一番奥まったところがリチャードである。
「カレン、ニューヨークにいるんだって?」
「ああ、そう言ってた」
 勢い込んで訊くリョウに遥が答える。
「なぁ、カレンの脚本は最高だろ? 途中からリチャードさんの息子が現れてめためたにしたのは許せないんだけどさ」
「お前にはアリスがいるからいいじゃん」
「アリスも確かにいい娘だよ。でも、カレンと比べるとどうしてもねぇ――遥、アリス好きなの?」
「まぁ、それなりに」
「じゃあ、遥と付き合うように言っとくよ。あ、カレン――」
「こんにちは……」
「待ってましたよ。カレン・ボールドウィン」
 リョウが気取ってスツールから降りる。礼紀が吹き出した。
「せっかくかっこつけても、鼻血で染まったティッシュがあるんじゃ台無しだな」
「うるさい!」
「はいはい。氷水持って来たわよ。リョウ、頬が腫れてるものね。これ濡れタオルね。しっかり当てていて」
「ありがとうエレインさん」
「どういたしまして」
 エレインはひらりと身を翻すとカウンターの向こうへ行った。
「後で薬つけてあげますからね」
「そんなことまでしなくていいって――」
「どうしたの? リョウは」
「俺の心配してくれるの? カレン。実はね――」
「反日家の少年に殴られたんだ」
 リョウの台詞を遮って遥が答えた。
「まぁ……ごめんなさい」
 カレンが口元を押さえて涙を流した。
「何でカレンが謝るの?」
「だって――そんな人種差別をするような人がいるようなアメリカに、私は堕して欲しくないもの……」
「カレン……」
「俺と礼紀だって日本人だからと言って露骨に差別されたことあるよ。でも、俺、ジャパン・バッシングなんかに負けねぇ。俺達にはアジアンハートがあるんだからな」
「アジアンハート?」
「こいつの口癖なんだ。アジアンハートと言うのは。まぁ、まじないみたいなもんさ」
 礼紀が説明した。アジアンハート……使えそうね。そんなカレンの呟きがリチャードにも聞こえて来た。
「カレンさんは新しい脚本を書いてるんですか?」
「そうだけど――あなたは?」
「俺は羽田礼紀。こいつ――大澤遥の悪友だ」
「遥君なら知っているわ。電話で話したもの」
「何? いつ?」
 リョウはこういう時は鋭く反応する。
「いつって……リョウと話してからすぐに」
「俺が絵を探してた時だ」
「どんな絵?」
「俺の描いた紫陽花の花の絵を礼紀と探してたんだ。肖像画以外の他の絵も見たいって言うから」
「悪いね、リョウ。何だか邪魔しちゃったみたいで」
「いや。礼紀は悪くないよ」
「私も花の絵、好きだわ」
「ほんと? じゃあそのうちカレンの為に描いてみせます」
 リョウはすっかり元気を取り戻したらしい。頬は腫れて顔の形は歪になっていたとしても。カレンは嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「い……いや……どうも……」
 リョウは照れて俯く。純情な青年なのだ。カレンは遥の隣に座る。
「あのな、さっきの少年達、芯から悪い奴らではなかったと思うんだ」
 礼紀がいきなり話の腰を追った。
「ただ――そういう風に育てた風潮が悪いんじゃないかと。以前からジャパン・バッシングとか、いろいろあったし」
「そうだな。私もずっと昔――若い頃は日本人が嫌いだったよ」
「戦争のせい?」
 リョウがリチャードに訊く。
「それもあるな。日本は敵だと教え込まれていたもんでね。でも、その偏見を取り除いてくれたのがリョウの父親、龍一郎だった」
「私、龍一郎さん好きよ」
「ありがとう。カレン。親父も喜ぶよ」
「真っ直ぐな気性だからな。あいつも。日本人なのにクリスチャンだと聞いた時には何かの冗談か、と思ったんだがな」
「俺は――親父は嫌いじゃないけど、どうもよくわからないところもあるな。話もお袋との方が合うし」
「それは龍一郎とリョウだって、親子だとは言え別々の人間だということだな」
「リチャードさん。何か注文しないの?」
 エレインが口を挟む。
「おお。すっかり話に夢中になって忘れてた。私はマティーニにするよ。遥、礼紀、君達は?」
「オレンジスクリュー」
「トマトジュース」
「礼紀は酒が飲めねぇもんな」
「うるさい、うわばみ。僕はお前がアル中になんないか心配だよ」
「遥――あなた達、いつもこんな感じなの?」
「そうだけど」
「面白いわね。礼紀のことも脚本に出したくなったわ」
 カレン・ボールドウィンと言ったら、『かつてのスターに花束を』で一躍有名になった脚本家だ。リチャード・Jrと共作であることを隠さなかった為、『リチャード・シンプソンの息子を利用した』という非難もない訳ではなかったが、そう言う輩には、
「作品を見てください」
 と、カレンは反論している。そして、またそれは名作と呼ぶにふさわしい出来だったのだ。監督が良かったから――と、カレンは謙遜していたが。
 スイングドアがきいと鳴る。
「こんにちは。あら、カレン」
「クロエ!」
 クロエ・J・バーンズ。版権代理人。藤色のスーツに赤いハイヒール。いかにもやり手の女性だと思わせる。
「久しぶり。――カレン。作品は書いてる?」
「勿論!」
「その元気が羨ましいわ。――私はまた断られたのよ。あなたの専属になること」
「だって……クロエは有能な女性だもの。私の専属になってあたら能力を無駄遣いすることはないわよ」
「――と、上層部も考えているようなのよ。私はちっともそんなこと考えてないんだけどね」
 カレンの隣に座ったクロエが机に頬杖ついてふーっと溜息を吐いた。
「クロエ……それはあなたがいた方が心強いけど……」
「前にも言ったと思うけど、私はあなたの才能に惚れ込んだの。新しい脚本が出来たならいの一番に私に読ませて」
「わかった。誓うわ。クロエ・バーンズ」
「この子達は?」
「遥に礼紀よ。リョウの友達なの」
「そう。リョウの友達だったら信頼出来るわね。どっちが遥でどっちが礼紀なの?」
「青メッシュの方が遥で、黒髪の武者人形みたいな人が礼紀よ」
「――どうも」
「あら。礼紀ってちょっと私の好みね」
「ははっ。光栄です」
『十月亭』の電話を取ったエレインが青褪めている。
「どうしたの? エレインさん」
 カレンの様子には陽気さが戻っていた。エレインの顔には迷いが見えたが、やがてリチャードに対して口を開いた。
「ねぇ、リチャードさん。落ち着いて聞いてね――あなたの息子さんが亡くなったの」

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2020.05.11

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