アジアンハート 5

「はいはーい。お電話代わりました。大澤遥でっす」
『遥……?』
「はい。そちらはカレン・ボールドウィンさんですね」
『……リチャードさんが教えたの?』
「ん――それもあるけど、俺、アンタのこと知ってたんだよね」
『映画が公開されたから?』
 カレンの言う映画とは、『かつてのスターに花束を』のことだろう。
「うん。だけどそれだけじゃなく――昔から知っていたような気がするんだよ」
『デジャヴってやつね』
「そうそう。俺、カレンさんに会いたいな。リョウからも話に聞いてんだよ。もう火が点いて消すに消せなくなっちゃって」
『じゃ、いずれお会いしましょ』
「俺達はこのニューヨークに一週間滞在予定なんだ。あ、そうだ。『十月亭』って知ってる?」
『ええ。私も何度か言ったことあるわ』
「じゃあ、『十月亭』で待ってるから会おうよ。ね?」
『そうね――気晴らしにはそれが一番よね。私も今ニューヨークにいるの。傷心旅行(センチメンタル・ジャーニー)ってとこかな』
「早く元気出してね。それじゃ」
 遥はチン、と受話器を置いた。
「カレンも『十月亭』に来るって。リチャードさん」
「それはそれは。元気を取り戻してくれるといいんだが」
「カレンはリチャードさんの息子に恋してたんだよね。――で、リチャードさんは……カレンに恋していたと」
「な……!」
「ふふふ、遥クンの目は誤魔化せませんぜ」
 そう言って遥は自分の目を指差した。
「ああ。――君は千里眼だったな」
「そう言うこと。……否定しないんだね」
「否定したって仕様がないさ。それに、カレンは女と言うより、娘みたいなもんだからな」
「でも、女としても見ていた。そうでしょ?」
「それはまぁ……」
 リチャードもたじたじとなった。
「こんなところにリョウのライバルがいたなんてね」
「リョウには言うなよ」
「わかってますって。多分リョウも気付いていると思うけど」
「黙っているならお礼に『十月亭』の酒と料理をおごってやってもいいが?」
「俺達、初めからそのつもりだったけど。俺、金ねーもん」
「ちゃっかりしてる」
「まぁね」
 遥がウィンクした。

 リチャードは大澤遥という青年が好きになった。罪のない軽口を叩ける人間は嫌いじゃない。
「おーい、リョウ、礼紀ー。いつまでごそごそやってんだー?」
「何だよ、遥……声が大きいぞ」
「礼紀だって声でけぇじゃねぇか」
「まぁいい。何か用か?」
「これから皆で『十月亭』に行こうと声をかけるつもりだったんだが。さっきは電話で中断されたからな」と、リチャードが言った。
「『十月亭』の飯は旨いぞ」
「遥のヤツ、行ったことあるような台詞だな。……ああ、行ったことあったんだっけか」
 リョウが呟いた。遥が元気に拳を突き上げる。
「いざ、『十月亭』へしゅっぱーつ!」

『十月亭』に行くと、柄の悪そうな白人の少年達が何人か塊になってボックス席に座っていた。皆こちらを見てにやにやしている。
 嫌な予感がするな――リチャードの本能が告げる。少年達の視線は主に遥――と礼紀――に注がれる。彼らは全員十五、六歳と言ったところか。
(遥……)
 ここを出た方がいいかもしれない。遥達に知らせようとした時だった。太った少年が近づいて来た。
「おい、ジャップ」
「――誰?」
「誰でもいいだろ。ここはジャップが住んでいい国じゃねぇんだよ。さっさとサルの島に帰んな」
「――聞き捨てならないな」
「遥、相手にするな」
 礼紀が遥の袖を引っ張る。
「そっちの二人もジャップだな」
 礼紀とリョウのことであろう。
「リョウは日系二世だ!」
「じゃあ、ジャップの血が流れてんだな。今日は大人しく帰れ」
「嫌だ!」
「何だと……!」
「おい、喧嘩なら付き合うぜ」
 リョウがバキボキと手を鳴らした。リョウはどちらかと言うと血の気が多い方だ。父の龍一郎は穏やかな男だったから、その妻アイリーンに似たのかもしれない。
「野郎!」
 少年が、がっとリョウの頬を殴った。リョウが倒れる。鼻血が流れていた。
「やめ給え! 君達!」
「そうよ! やめなさい! でないと出禁にするわよ!」
 リチャードとオーナーのエレインが同時に叫んだ。
「ほれ、出て行けとさ。サル共」
「出て行くのはあなた達の方よ!」
 エレインの口調には怒りが滲み出ていた。
「最初に挑発したのも、手を上げたのもあなた達の方なんだからね! それに、リョウ達は大事なお得意さんなんだから!」
「へっ、ロザリーの娘も大したこたねぇな。そっちはリチャード・シンプソンだろ? 映画観たぜ。大根なのは相変わらずだな」
「何だと……?!」
 リョウが気色ばんだ。
「止せ、リョウ」
 リチャードはリョウの肩を抱いた。大根と言われて怒る気には最早なれない。散々言われて来た。
 だが、リョウに怪我させたのは許せない。だからと言って、これ以上乱闘騒ぎになるのは御免だった。少年達はともかくリョウに被害が及ぶのは良くない。
「さっさと出て行きなさい。あなた達! 今度リチャードさんやリョウ達を侮辱したら許さないわよ」
「へっ、ジャップの出入りする店になんか二度と来るか。あばよ」
 太った少年はリーダー格らしく、子分を連れて店を出て行った。
 リチャードはほっとした。もしこれ以上リョウの悪口を言われたらリチャード自身冷静でいられたかどうかわからない。
「――嫌なヤツらだわ」
 エレインの怒りは収まらない。リョウ達もだ。――遥が言った。
「ああいうヤツら、どこにでもいるんすね」
 リョウは持って来たティッシュを鼻の穴に詰めている。――この店に他に誰もいないのは幸いだった。
「リチャードさんは昔日本人が嫌いだと言ってたようだけど――あいつらの気持ちもわかる?」
「馬鹿な質問をするな。リョウ。あんな奴らと一緒にされてたまるか」
「さぁさ、席に着いて。リチャード。リョウの手当ては私がするわ。それから、そちらの可愛い二人は?」
「可愛い? 俺が?」
「そう、とってもキュート」
「キュートって言われると照れちまうが――大澤遥です」
「――羽田礼紀です」
「遥に礼紀ね。宜しく。エレイン・リトルトンです。さっきの愚連隊が言った通り、ロザリー・リトルトンの娘です。――今日は君達に嫌な思いをさせたから、何でもタダで飲んでいいわよ。料理もありますからね。どんなに頼んでもいいですからね」
 そう言ってエレインは微笑もうとした。リチャード達も早く気持ちを切り替えようとする。遥の次の言葉でリョウだけは完全に立ち直った。
「俺、カレンさんとここで待ち合わせしてるんだ。早く来ないかな。俺、カレンさんのファンだから」

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2020.04.22

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