アジアンハート 4

 リンリンリン――電話が鳴った。
「ちょっと待っててくれるかい? 君達」
「はーい」
「のんびり待ってますので」
「じゃあ、お前らに俺の絵を見せてやるよ。リチャードさん、部屋入っていい?」
「構わないよ」
「わーい。リョウの絵かー。嬉しいぜ!」
「リチャードさんに捧げた絵だからね――部屋こっちね」
「そんなお宝だったら是非見たいぜ!」
「君達少しうるさいぞ」
 礼紀が注意する。君もうるさいぞ、とリチャードが言う。
「もしもし――」
『リチャードさん。私……』
「カレンか! 久しぶりだな!」
 カレン・ボールドウィン。脚本家。天然パーマの黒髪の女性である。リョウの意中の相手だ。
 だが、カレンの声は低かった。というより、暗かった。
「どうしたね? 元気がないようだが」
『――私、振られたの』
「……誰に?」
『あなたの息子さんに』
 リチャード・シンプソンの息子と言ったら、ロサンゼルスで医者をやっているリチャード・シンプソン・Jrのことである。
「あの子がどうして君を――?」
『……あの人には本命がいるの』
「――誰だね?」
『言えないわ。あなたに言ったら、あなたはきっと怒るから』
「もう既に腹が立ってるんだけどね」
 リチャードはアンドレ・ジッドの『田園交響楽』を何故か連想していた。
「――馬鹿な息子だ」
『リチャードさん……あなたの息子さんは馬鹿じゃないわ。ただ、他に本命がいる。それだけよ』
「……まぁ、あれでも年頃の息子だ。自主的な判断に任せたいと思う。ただ――カレンを振るとはやはり馬鹿だ」
「え? カレンさん振られたの?」
 期待に満ちたリョウの声。リョウは確かリチャードの部屋にいたと思ったのだが。――ああ、煩い。リチャードは頭が痛くなってきた。
「なぁー! リチャードさんに捧げた絵ってどれー?!」
 遥の声。
「探せば見つかるだろ? で? カレンさん振られたんだって? 俺のことはどう言ってたか訊いてみて」
「悪いがリョウ――カレンはお前のことなんか何とも想っちゃいないだろう」
「訊いてみてよ!」
「あー、わかったわかった。カレン、リョウのことはどう思ってる?」
『――リョウ? いい友達よ』
「貸して」
 リョウがリチャードから受話器を取り上げる。
「カレン――俺のこと、少しは特別に思ってる?」
『え? ええ、まぁ――大切な友達だし』
「友達ね……まぁ、今はそれでいっか。でも、いつかはあなたのハートを射止めますよ」
 アジアンハートかい。リチャードは心の中でこっそり呟いた。
 そう言えば、カレンもアジアの血を引いている。
 リョウの父親、柊龍一郎も日本人だしな――アジア系の人間にはリョウにとって身近な存在であろう。遥も礼紀もリョウの持つアジアンハートに惹かれたのだろう。
「あー! みぃつけた! すっげー! 美人なアジア人!」
「遥……この女性はラテンの血も入ってるみたいだぞ」
 礼紀は地声が大きいみたいだ。
「はい。リチャードさん」
「――ん」
 リョウはリチャードに受話器を返した。そして、遥達のいるリチャードの部屋に行った。
『リョウの他にも誰かいるの?』
「ああ。リョウの友達が来ている。二人いるがどちらも日本人だ」
『元気そうな声ね』
「元気過ぎるのが玉に瑕でね――」
 リチャードは困惑していた。
『会ってみたいわね。リョウの友達ならきっといい子なんでしょうね』
「そうだな――彼らに触れて、失恋の痛手を癒すのもいいかもしれないぞ」
『そうね……』
 カレンは迷っているようだった。
 リチャードも失恋した。まぁ、元々、カレンのことは恋人というように娘のように思っていたのだが。エレインみたいに。
『後でね――私もニューヨークに来ているの』
「じゃあ、また『十月亭』にでも来るといい。エレインも待っていると思うよ」
『――ありがとう』
 ぐすっと鼻を啜る音が聴こえた。
 あのドラ息子も女を泣かせる甲斐性が出て来たということか。しかし、本命とは誰のことだろう。相手はどんな女なのだろう。
 ――いや、女とは限らんか。
 何となく嫌な気持ちがしてリチャードは我知らず眉を顰める。ジェシカと結婚する前のレナードは男好きで通っていた。今ならバイセクシャルと言うのだろうか。
 しかし、レナードの時は和やかに眺めていられた。けれど、今は――。
 私も自分で思う程寛容ではなかったということか。リチャードは口元を歪めた。それに、息子の本命については心当たりがないでもなかった。
「まさか、あの――」
「わあい!」
 遥の大きな歓声が響く。
「どうした?! 遥!」
 リチャードが受話器を手で押さえて怒鳴る。
「あ、リチャードさん、すみません。リョウが俺の絵も描くって言ってくれたから――」
 部屋から出て来た遥が軽く頭を下げた。
「まぁいい――少し静かにしてくれ給え」
「わかりました」
 遥のはしゃぐ理由はわからないでもない。リョウはリチャードの肖像も描いている。女の人の肖像と自分の肖像。リチャードはどちらも大切にしまっていた。リョウには「ちゃんと飾ってくれよ」と言われているのだが。いずれ額縁を買って壁にかけようと思う。
「カレン。君が来たら遥も喜ぶと思うよ」
『ハルカ……?』
「リョウの友達だ。ハルカ・オオサワって言うんだ。もう一人いるんだ。レイキ・ハダと言って、そっちは結構しっかりしてそうな子だったよ」
『まぁ……会うのが楽しみね』
「一週間はいる予定だと言うから、その時までには来られるといいね」
『そうね。――あのね、リチャードさん。私、新しい脚本を書き始めているの』
「ほう」
『元気な青年の巻き起こすドタバタ喜劇――青年には不思議な力があって、それで……』
「なら、遥に会ってみるといい。ちょうどぴったりの役回りだろう」
『あの、でも、不思議な力はないでしょう?』
「リョウ達の話によると、遥はちょっと普通ではないらしい。今、呼んでみようか?」
『そうしてもらえれば。迷惑でなければいいんだけど』
「わかった。おーい。遥ー」
「はぁい」
「電話に出てくれ。カレン・ボールドウィンからだ」
「わかった。そろそろ来ると思っていたんだ」
 遥が受話器を受け取る。――そして、笑い声が聴こえた。カレンも元気になったかな、とリチャードが思った。
 カレンが普段の明るさを取り戻してくれれば、リチャードとしても嬉しい。しかし、自分の勘が正しいとしたならば、息子も大変な恋をしたものだと考えずにはいられなかった。

次へ→

2020.04.08

BACK/HOME