アジアンハート 3

「おや、リョウの奴、寝てるな」
 リョウはソファに沈み込みながら熟睡していた。
「リョウ、リョウ。お茶が入ったよ」
「う……ん……」
「あ、リョウは寝かせてやってください。俺らのお守りで疲れただろうから」
 遥が言う。思いやりのある青年のようだ。
「そうか」
「あ、俺、お菓子も持って来たんですよ。リョウが起きたら分けてあげてください」
「何から何まで済まないね」
「しかし、俺らのお守りじゃない。――遥、お前のお守りで疲れたんだ。リョウは」
「礼紀君、結構言うね」
「それぐらいじゃないと遥の面倒は見きれませんから」
 リチャードは思った。――もしかしたら自分はとんでもない男と知り合ったのではないだろうか。
 ――まぁ、アルバート程ではないにしても。
「美味しい」
 遥が笑顔で紅茶を啜る。
「おい、遥。音を立ててお茶を飲むな。リチャードさんがこっちを睨んでるぞ」
「悪かったね。どうせ元々こんな顔だよ」
「――済みませんでした」
 礼紀が頭を下げた。
 リョウは人間関係で苦労してそうだ。――リチャードが空になったカップを台所へ運ぼうとする。
「もう飲んだんですか」
「そうだよ、君達はゆっくりして行き給え」
「やっぱりいい人だな。リチャードさんて」
「そうだな。多少ずけずけ言いのところはあるようだけど」
「俺達のこと、日本人だの何だのって文句言わない」
「遥……」
「リチャード・シンプソン。この人は死んでも――日本人のことを悪く言わない」
 遥が遠い目をした。その目は彼の名前の通り、遥か遠くをみはるかす――。
「何を見てるんだ? 遥。おーい――」
 礼紀が手を遥の目の前でぴらぴらと振った。
「はっ、ついトリップしてしまった」
「――と、こういうヤツなんだ。でも、悪いヤツではないよ」
「そのようだな。だが、私は昔は日本人が嫌いだった」
「戦争があったから?」
「それもあったが――私が心を開いた日系人は私の元から去った。それで、私は日本人及び日系人を信用しなくなったんだ」
「自分は結婚詐欺師になったくせに?」
「――もうその話はいいだろう。よく知ってるな」
「有名な話だもん」
「遥。本当のことだって言っていいことと悪いことがあるぞ」
「それは君にも言えることだろう。礼紀君」
 そう言いながらも彼らも類友か、とリチャードは思った。
「ああ。済みません」
 礼紀が平謝りをする。
「でも、君達に来てもらえて嬉しいよ。君達がいる間、退屈だけはしなさそうだからね」
 リチャードもはっきり言う。いやぁ……と遥が青メッシュの頭を掻いた。
 何だかんだ言っていい子達だ。リチャードは自分が微笑んでいるだろうことを自覚した。特に遥。流石にリョウの絵を好きだと言うだけのことはある。人を見る目があるということか。
 リチャードは台所にカップを置いてまた戻って来た。
「ん……」
「あ、リョウ」
「……つい寝ちまった……あ、紅茶、もらうよ」
 リョウがマグカップを傾ける。リョウは音を立てて紅茶を飲むなんてことはしない。育ちの違いかな、と、リチャードは贔屓目で見る。
 だが、そんなことはおくびにも出さずに、リチャードは言った。
「君達、いつまでここにいるつもりかね?」
「んー、一週間はいる予定かな。後、いろいろ友達の家に世話になるつもり」
 遥がお菓子を食べながら答えた。
「この時期のニューヨークは寒いだろう」
 と、リチャード。
「俺、寒いの平気だもん」
「そっか。俺はちょっと参ってる」
「礼紀は寒いの苦手だもんなぁ」
「暑いのも苦手なんだ」
「贅沢なやっちゃ」
 けれど、確かに礼紀には暑さにも寒さにも弱いお坊ちゃん育ちのような線の細さがあった。
「夏もダメ冬もダメ……じゃあ、どんな季節が好きなんだよ」
「春と秋だな」
「いい絵が描けそうな季節だな」
 リョウは絵描きの立場から意見した。遥が手を叩いた。
「さすがリョウ! また絵を描いてよ」
「描けと言われれば描くが……」
「リョウ、がんがん絵を描いてアジアンハートを世界中に知らしめてくれ!」
「お前はよくよくアジアンハートが好きだな」
 リョウがくすっと笑った。
「まぁ、俺もアジア人の端くれとして頑張るよ」
「おう。リョウだったら将来すごい画家になるよ」
「遥……その言葉が俺にとっては嬉しいよ……皆、理解者であるとは限らないけれどさ」
「わかった。じゃあ、俺がお前の数少ない理解者になってやる!」
「数少ないって何だよ……」
 自分から水を向けたくせに、リョウは不満そうだ。
「僕もリョウの絵はいいと思うぜ」
 礼紀に褒められると、リョウはふふっと含み笑いをした。――リチャードが何となくそちらを向く。リョウの笑顔はあどけない。
「礼紀に認められると嬉しいなぁ。遥だけだと少々不安だけど」
「何だよー。どういう意味だよー。お菓子持って来たけどリョウにはやんね」
「あー、うそうそ。お前に認められるのもすごい嬉しいって」
 年相応――それよりほんの少し幼いやり取りを始めたリョウ達を見て、リチャードは楽しくなった。リョウの年頃の青年は大人びた意見の交換をしていたかと思えば、子供っぽいジョークの応酬もする。
 こんなに楽しいのは久しぶりだ。昔の自分達を思い出す。
 龍一郎、アイリーン――。
 彼らの息子は、今も立派に育ってる。
「リョウ、遥、礼紀――『十月亭』に来ないかい?」
「うん! 俺も行きたいと思ってたところなんだ。遥達も来るよな」
 リョウがうきうきしている。
「『十月亭』か。美人のオーナーがいるところだよな」
 遥は知っていた。
「エレインのことか」
「お前、『十月亭』に行ったことないのに、どうして――と訊くだけ無駄だな」
「俺もこことは違う時間軸にいた時に『十月亭』に行ったんだよ」
「時間軸?」
「ほら。見ろよ、遥。話についていけないリチャードさんがぽかんとしてる。まぁ、尤も、無理もないがな」
 リョウの奴、何だか偉そうな口調だ。リチャードは思った。だが、やはり遥が只者でないことは今までの話からも十分見て取れた。
 それよりも、ロザリーの娘エレインが美人と言われて、リチャードは我が子が褒められたように嬉しかった。

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2020.03.23

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