Satoru ten years old 真雪はしみじみと言った。 本当に優しい子である。 「痛かったけどね。……一瞬のことだったから」 「そうか……」 「僕は大丈夫だよ」 またおまえにも会えたしね――その台詞は心の中で呟く。 「やっぱり聡、いつもと違う」 真雪は、私のことをよく見ている。 淳一兄さんは、どちらかと言うと、真雪の方を可愛がっていたような気がする。 その真雪は、私を何くれとなく気遣ってくれていた。 これで、真雪も淳一兄さんを慕っていたら、私の居場所はこの家になかったかもしれない。 けれど、真雪は淳一兄さんを煙たがっていた。 訳は知らない。 今更、どうでもいいことだ。 私は、真雪も淳一兄さんも好きだ。 ただ、それだけだ。 「ねぇ、君達……」 遥が言った。 おお、すっかり忘れていた。 私をこの世界に連れてきた張本人だと言うのに。 「ああ、そうそう。その懐中時計、ちょっと貸してくれないか?」 私の言葉に、遥が神妙な面持ちで頷いた。 時計の蓋を開ける。 時計の針は前に見た通り、逆方向に勢い良く動いている。 「何だこれ」 「一度壊れてからずーっとこうなんだよ」 遥が真雪に説明する。 「ただの壊れた時計じゃねぇか。どれ」 真雪が遥の手からそれを取り上げ、じろじろ見たり、ひっくり返したり、蓋を開けたり閉じたりしていじくり回した。 「何も起こらないじゃねぇか」 「そりゃ、今はね。でも、この時計に縁があったのかもしれないよ。おまえも」 「そうかねぇ……」 真雪は半信半疑といった態で遥に時計を返した。 「そのことはまぁいい。それよりも聡、元いた世界に帰りたいか?」 遥が真剣な顔をした。 帰りたいか――。 私には愛する者がいない。 独身貴族を気取っているわけではないが、ついこの年まで結婚せずに来てしまった。 女友達ならたくさんいる。 だが、結婚する気になれなかっただけだ。 付き合う相手には不自由しなかった。 私だって、鈴村家の血をひいている。 淳一兄さんも真雪も、そして私も、女性にはもてる方だった。 だけど――帰りたいか、といえば……。 (カエリタクナイ) その思いがあるのに驚いた。 だって、私は私のいる世界でそれなりに楽しくやってきたのだ。 それなのに、帰りたくないなんて――。 真雪と淳一兄さんのいるこの世界から離れたくないなんて……。 私は、夢でもいい、この世界にいることを欲していた。 「僕は……別に帰らなくても……」 「駄目だ」 遥が首をゆっくり横に振った。 「そう言うと思ってたよ。ここは居心地がいいしな。けれど、おまえは使命を果たしたら、元の世界に帰らなければならないんだ」 「使命……?」 「そう。おまえがここに来た使命だよ」 使命か――私は、少し考え込む。 「なぁなぁ、それよりもさ、俺の大人になった時の姿ってどうなってるんだ? 少しは今よりかっこよく成長してるか?」 真雪の言葉に、私は物想いから覚めた。 ああ――私は嘘をつかなければならない。 「かっこいいよ」 「そうか――そんならそれでいいや」 真雪はそれ以上追及しなかった。 ごめんな、真雪。 おまえは大人になれずに死ぬんだよ。 でも、言うわけにはいかない――遥にも。 「まあ……さ」 遥がぽりぽりと頭を掻く。 「聡、おまえがどうしてここに来たのかしんないけど、できる限りのサポートはするつもりだぜ」 「あっ、俺も俺も」 真雪も勢いよく手を上げた。 私は吹き出した。 「聡――元気になったんじゃねぇの?」 「うん。まぁ、風邪みたいだったけど、そんなにだるくないし」 「いや。精神的にさ。何となく元気なかったみたいだし」 真雪はにっと笑った。 何だか美少女に微笑まれたみたいで、私はこそばゆくなった。 私の同業者には、こういう少年が好きなのもいる。 そういう輩に真雪は見せたくないなぁ――私は思った。 弟の欲目と笑ってくれ――私は、もうどうでもいい。 使命とやらもどうでもいい。 真雪と淳一兄さんを助けることができればだ。 せっかくこの世界に来たんだ。 この二人は助けたい。 遥が――わかるよ、と言いたげに視線を送った。 ほんの少し悲哀の混じった、共感に満ちた目。 この人も、タイムスリップしたんだっけ。 それは、どんな体験だったのだろう――彼は、大切な人を助けることができたのだろうか。 「遥。大切な誰か、助けることができたか? タイムスリップによって」 私の突然の質問に遥はきょとんとしたが、やがて、満面の笑みを浮かべて親指を立てた。 ああ――良かった。 「俺は上手くいったよ。だから――おまえのことも助けたい」 「じゃあ、それまでこの家にいてくれるね?」 私は勢い込んでそう訊いた。 「そうだな――あんたらがいい、と言ってくれれば」 「いいよな、真雪」 「……まぁ、聡がそういうんなら、仕方ねぇか」 真雪は渋々と、という風に承諾した。 しかし、私にはわかる――真雪がすっかりこの話を信じ込んだこと、これからの冒険の予感にわくわくしてること。 Satoru ten years old 9 BACK/HOME |