Satoru ten years old
26
「遥……くん」
「遥でいいって。何?」
「これ、返そうと思って」
 私は懐から懐中時計を出した。
「ああ、それ。何故かしょっちゅうなくなるんだよね。でも、必ず俺の元に戻って来る。――ありがと」
 遥は時計をしまった。
「お客さん、いや、聡さん、何か買いますか?」
 風見さんが営業用の笑顔を見せた。
「いや……鏡を……」
「鏡ですか?」
「いや。今はもういいです」
 今は、こんなに幸せだから――。
 だから、鏡の中の不思議な世界は必要ない――少なくとも、今は。
「……遥くん、平行世界を知っているかい?」
「知ってますよー。でも、それって可能性のことっしょ?」
「可能性?」
「俺達がもっと良くなる可能性。もっと幸せになる可能性。それを選ぶことが、俺達にはできるんだということ」
「――なるほど」
「なぁに生意気言っとんだか。遥め」
 風見さんは髭の下からふん、と鼻息を鳴らした――元気そうで良かった。
「世界のどっかに、もっと幸せになれる可能性がある、と俺は思うんだ。だから、世界はどうにでも変えられる。もっと良くなることだって、きっとできるんだ。何故なら全ての可能性が存在してるのだから」
「そうだな」
 だが、私はこのまま作家を続けていようと思うのだ。
 そんなに才能がなくても――。
 私は幸せになる道を模索し続けようと思う――書くことで。
 何故なら書くのが好きだから。
 プールで初めて5メートル泳いだ時の達成感、今でも覚えている。
 一生大切にしていこう、それらのことを。
「じゃあな、遥くん」
「何か買っていかないんすか」
「――また来るから」
 私は店を出た。
 タイムスリップした時のことを書こうと、その時はっきり思った。
 ちゃんと形にできるかどうかわからないけれど――。
 タイトルは『Satoru ten years old』と決めていた。
 どのぐらいの長さになるかわからないが短編ぐらいにはなるだろう。
「せ、先生」
 おや、高橋くん。
 息を弾ませている――目が生き生きと光っているのは何かいいことでもある印だろう。
「――どうした。高橋くん」
「鈴村先生、やりましたよ! 先生の作品が賞を取りました!」
「――え?」
 私は一瞬目が点になった。
「あ、そんなに大きな賞じゃないんですが――鈴村先生の作品がやっと日の目を見ましたよ!」
 高橋くんは飛びあがらんばかりに喜んでいる。
 嬉しいことが続く――こんなこともあるもんなんだなぁ。
「悪いが寄るところがあるんだが」
「はい。パーティーは明日。ホテル『キャロライン』で六時からです」
「わかった。ありがとう」
 私は高橋くんと別れると久々にダイアナの墓に行った。
 ――ダイアナ。
 ダイアナに会いたくなったら、夢の世界で会える。
 私があの茶毛の不思議な猫に会いたくなったら……。
 どうしても会いたくなったら、鏡の世界に連れて行ってもらおう――風見さんと、遥に。
 でも、それは今ではない。
 そろそろ私も新しい猫を飼おうと思っている。
 しかし、その猫の名は大二郎にだけはしないつもりである。

 その帰り――。
「やぁ、花村」
「あら、鈴村くん」
 なかなか個性的な顔をしている相変わらずの彼女だ。
「花村――私はやっと君の言っていたことがわかったような気がするよ」
「あら。私の与太を本気で信じる気になったの?」
「ああ。この世にはいろんなことがあるんだな。四次元世界も平行世界も――神の啓示も」
「そうなの。私はそれは両親に信じてもらえなくて、結局病気だってことにされてしまったわ」
 花村智子の目から涙が一筋流れた。
 たまらなくなって、私は花村を抱き締めた。
「辛かったな……」
 誰にも理解されないで――辛かったな。
 花村は私の胸でわんわん泣いた。
 彼女が落ち着いたところで、私は言った。
「結婚しよう――智子」
 私が彼女を下の名前で呼んだのはこれが初めてであった。
 智子は頷いた。
「まだしばらく闘病生活が続くけどね」
「治るさ。いや、治す」
「アンタは医者なの?」
「違うけど……一生そばで話を聞くことぐらいはできるよ」
「アンタは作家だから話のネタにできるしね」
「そういうこと」
 そして、私達は口付けを交わした。
 私が気懸りなことといえば、智子は猫が平気だったかどうかということぐらいであるが――前に彼女は、『私、猫好きなんだ』と言っていたから、多分、猫を飼っても可愛がってくれるだろう。

「こんばんはー」
 スピーチの後、パーティーで鈴村真雪一家に会った。
 淳一兄さんや家族とも。
「遠路はるばるようこそおいでくださいました」
 私は淳一兄さんの奥さん――蛍さんと握手を交わした。
 蛍さんも笑顔だった。
 兄さんの子供達は、元気いっぱいにもりもりと食べている――立食式のパーティーだったのだ。
 男の子ばかり四人、みんな生意気盛りで――と、蛍さんは困ったように笑う。
 生意気なのはいいことだ。
 私達もかつては生意気な子供だった。
「ねぇ、聡おじさん。今日は家に遊びに来てくれるよね」
 姪の美雪が袖を引っ張った。
「ああ、いいとも」
「ねぇ、おじさん。結婚するんでしょ?」
「そうだよ。近いうちにね」
 さて、私の話はこれで終わりである――これを読んで何らかの感想を持ってくれたなら、私としては嬉しい。

END

後書き
はー、やっと聡の話が終わったー。
聡が遥達と一緒にこの世の不思議不思議をとくのは、もうちょっと先のことであるみたいだが。
付き合ってくださった方、ありがとうございます。
ところで後日談を少し。
鈴村真雪はタイムパトロールになっていろんな冒険をします。その予定です。風見さんの予言は当たったということになります。
それでは! またお目にかかりましょう!
2012.8.17


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