Satoru ten years old
23
 夏休み――。
 我々は今、学校のプールにいる。
 遥は父兄ということで一緒にいた。
 先生は多少うろんげに彼を見ていた――青メッシュのせいかもしれない。
「ほら、もっと足動かして!」
 真雪は厳しくバタ足を私に教えてくれていた。
 だんだん疲れてきた。
 しかし、ここで諦める訳にはいかない。
 真雪は自分の時間をつぶして私に付き合ってくれているのだ。
「がんばって! 聡くん!」
 ――なぎさちゃんも。
 なぎさちゃんが見ているからいいとこ見せたいというわけでもないが、少しは泳げたらいい、という気持ちが私の中に湧いて来た。
「よし、今度はもぐりっこだ」
 もぐりっこなら私もできる。
 真雪と一緒にプールに潜る。
 真雪が変な顔をする。
「ぶぷっ、ぷっ」
 私はひっかかってしまい、急いで水面から顔を出す。
「ぷはっ」
「やーい、聡の負け―」
「うるさい!」
 しかし、このままでは真雪を助ける前に自分が死にかねん。
「――それにしても」
「――何だよ」
「あれ」
 真雪が顎でしゃくる。
 見ると、遥がクロールで泳いでいる。
 私達のことなんててんで考えていないのだろう。
 母親達も遥の方を見てる。
「遥さーん!」
「すごいすごーい!」
 女子児童の黄色い声を聴いて遥はスピードを速める。
 何しに来たんだろう、あいつ。
 私を泳げるようにする為に来たんじゃないのか……?
 もう私のことなどすっかり忘れているようだ。
「はい、タオル」
 遥は喜んで美人の若いお母さんからタオルを受け取っていた。
 ちぇっ。
 私が大人なら、遥より私に夢中にさせる自信があるのに。
 やはり泳げなければ駄目なんだろうか。
「遥さん、どのぐらい泳げるの?」
 私達のところへ戻ってきた遥になぎさちゃんが訊いた。
「んー。五百メートルかなぁ」
 すごい……!
 これは……託してみる価値あるかもしれない、真雪を。
「遥、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「真雪が溺れたら助けてやってくれ」
「俺、おぼれるようなへましねぇもん」
 真雪は取り敢えず無視!
「決まってるじゃないか! 俺達、マブダチだろ? ダチは助け合うのが当たり前じゃねぇか」
 遥は筋肉質の胸をどんと叩いた。
 ああ、頼りになるなぁ……。
 なぎさちゃんなんて眩しそうな顔で遥を見ている。
 遥に恋することができるのは女の子の特権だよなぁ。
 私なんてわかっていてもジェラシー感じてしまうものだから。
「だから、おぼれねぇって言ってるのによぉ……」
 真雪は不満をもらす。
 気持ちはわかる。
 私だって泳ぎに自信があれば溺れることなど考えもしないだろうに。
 私は小説を書けなくなる不安を感じたことはない。
 いつも小説を書いていた。
 寂しい時、嬉しい時、一人の時……。
 窓際に座りいつも空想に浸っていた。
 まぁ、それが私の性格を形成したと言える。
 売れるかどうかはともかく……いかん、落ち込んで来た。
 高橋くんだけは、今にきっとわかってもらえる日が来ます、と言ってるのだが。
 ありがとう、高橋くん。
 君だけがわかってくれた。
 それが何より嬉しい。
「――聡、聡」
 あ、真雪か。
 この「あ、真雪か」という感覚、長らく感じていなかったような気がする――事故に会うあの日までは。
 懐かしい……懐かしい……懐かしい。
「暑さでやられたか? ぼーっとして」
「いや……」
 ひとつ思い出したらどんどん思い出す。
 目の前にいるのは鈴村真雪、十一歳。
 勉強が苦手で運動が得意で――私とは正反対。
 私はいつの間にか微笑んでいたのだろう。
「な……何がおかしいんだよ! 急に笑って」
「いや。別に」
「にやけてるんじゃねぇぞ! 今日中に泳げるようにビシバシしごいてやっからな!」
 真雪――改めて思うけど、おまえいい奴だな。 
 遥……真雪を救ってくれ……。
 お願いだ、遥……。
「さー! もぐれ。バタ足バタ足」
 真雪が教えてくれる。
「足の動きは小さく!」
 私は懸命に足を動かす。
 すっと誰かの横を通った。
「そうだ、いいぞ」
 ――真雪はそう言っているに違いない。
 私は泳いでいた。
 たとえ溺れているのと区別がつかなくても。
 もう少し、もう少しだ――後少しでプールサイドに届く。
 私はプールの縁にタッチして泳ぐのをやめて立ち上がる。
「聡、泳げたじゃないか!」
 真雪が喜んでいる――私も嬉しい。
 泳いだのはたった五メートルくらいだったろうが達成感があった。

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