Satoru ten years old
22
 何だってっ?!
 真雪は能天気に、
「マジ? 行こう行こう」
 なんてはしゃいでるし。
 う……。
 恨むぞ、なぎさちゃん。
 せっかく真雪を助けようと思ったのに……。
 これでは元の木阿弥ではないか……。
 なぎさちゃんに悪気はないのはわかってる。
 けど、けど……。
 真雪は知らないんだ。
 自分の未来を、自分の運命を。
 私が、変えてみせる。
「あー、なぎさちゃん、海は急に荒れることもあるよ」
「今からそんな心配しないの。聡くんてば、心配性なのね。でも、大丈夫。そんなことめったにないから。聡くんも行こうよ」
 にっこり笑われた。
 私はこの笑顔に……弱い。
「かなづちだってさ、練習すれば泳げるようになるよ、ね?」
「…………」
 再度言う。
 恨むぞ、なぎさちゃん。
「おー、それいいな。学校のプールで練習しようぜ」
 真雪に他意があるとは思えない。
 けれど――。
 私は三十六の今でも泳げない。
 それに……真雪は海に行かない方がいいんだ。
「真雪っ! 海なんか行っちゃだめだ!」
「どうして?」
「どうしても、だ! 海には危険がある! 特に、おまえには」
「何でだよ、占い師気取りかよ。いい加減にしろよな。聡」
 駄目だ、信じてもらえない。
 私は初めて、カッサンドラの気持ちがわかるような気になった。
「あのー」
 間延びした声がした。
 遥――どこ行ってたんだよ!
「何だよ、遥」
 真雪が唇を尖らす。
「遥、助けてくれ! 一緒に説得してくれ。な?」
「何をだよ」
 遥が訝しげな顔をする――無理もない。
「あの……あちらの方は?」
 なぎさちゃんがおずおずと質問してくる。
「あ、俺? 大澤遥っす。この家でしばらく暮らすことになった。よろしく」
 そして、ピースサイン。
「大澤さん……ですか」
 なぎさちゃんはまだ警戒心が解けない様子。
「遥でいいよ。俺も海行きてぇなぁ」
「駄目っ! 絶対駄目っ!」
「そんなに反対して……ははーん」
 遥がにやりと笑った。
「海で溺れて、この子に笑われるのが怖いんだろ」
 遥は親指でなぎさちゃんを指す。
 違うんだってば、ああ、もう!
「大澤遥さんでしたっけ。私、白鳥なぎさと言います。宜しくお願いします」
 そう言って、なぎさちゃんは礼儀正しく深々と頭を下げた。
「おうっ、宜しくな」
 そう言って遥は真雪に耳を寄せる。
「あれ、おまえの彼女か?」
「違う」
「隠すな隠すな」
 どうでもいいけど――私にも聞こえるような声でそんな話をするのはやめてくれないかな。
 なぎさちゃんにも聞こえていたらしく、両手を口元に当てて、困った顔をしている。
 ああ、やっぱりなぎさちゃんは真雪のことが――好きなんだ。
「おやつですよー」
 淳一兄さんののんびりした声が響く。
「ドーナツたくさん作ったからね。なぎさちゃんはドーナツ好きだよね」
「はい、大好きです。ありがとうございます」
「いいよ。改まらなくて」
 淳一兄さんはドーナツを机の上に置いた。
「うっまそー。いただきまーす」
 真雪が駆けて行ってドーナツをひとつ取る。
「こら。真雪。手を洗ってから」
「これ食べたらな―」
 真雪は動じない。
 本当に――仲の良い兄弟だ。
 私達は一時休戦となった。
「聡、聡」
 私は怒っていたので、「何?」とつっけんどんな返答をした。
「真雪が危なくなったら、俺がついているから」
 遥は、今度は正真正銘の小声で私に囁いた。
 真雪もなぎさちゃんもおやつに夢中で気付いていない。
「な――!」
 何故私が考えていたことを知っている!
 それは、確かに遥がどうにかしてくれたらいい、と思ったこともあったが。
 けど、これは――私の力で何とかしたい。
「いいよ……遥さん」
 私は――少々みじめな気持ちで答えた。
 三十六の私なら、泳げなくても注意したら真雪はきくだろうな。
 真雪が反対しても――押し切ることができたろうな。
 今の私は――無力な十歳の子供でしかない。
「どうした? 浮かない顔して」
 真雪の台詞に、何でもない、と私は答える。
 私は嘘つきだ。
 高橋くんも、「もっと正直に打ち明けてくださいよ、鈴村さん」と困ったように諭されたことがあったっけ。
「学校のプールで練習、そんなに嫌か?」
 私は黙って首を横に振った。
「心配しなくても――俺もなぎさもついてるし」
「そうだよ。聡くん。私達、協力するから」
「俺も行っていいか?」
 遥の言葉に真雪は、もちろん、と答えた。

Satoru ten years old 23
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