Satoru ten years old
21
「今、ここにいることが奇跡――」
「そう。こんな仕事をしていると、いろいろな縁が見えてくるんだ。『私はここにいる』。品物達は必ずそう叫ぶ」
 風見さんは一呼吸、間を置いた。
「生きているだけでね、奇跡だと思うよ。日常がね。どんなに神がかっているように見えても、そこには必ず日常があるんだ」
 私の意識が本当にまだたったの十歳だった頃、時間は無限に思えた。
 三十六の今ならわかる。
 時は早く流れ過ぎさる。
 だから、淳一、真雪――君らと会えたことは奇跡なんだよ。
 私は作家だから、人よりは少し想像力は豊かかもしれない。
 けれど、宇宙単位で、出会うはずのない人々に、私は出会った。
 遥だってそうだ。
 あの日、遥に出会わなければ、私は――このような体験をしなかった。
 だから、これも奇跡のひとつなんだ。
 何も私だけではない。
 不思議な体験をした人はいっぱいいる。
 そのことを身を持って体験した人の中で、精神病棟に入れられた人間を私は知っている。
 その人は、花村智子と言う。
 私の友達だ。
 下手な小説やイラストを書き散らす以外、およそ能のない人物だが、神様を信じていて、教会にも通っている。
 そして偏屈な変人だ。
 この世に生きていて何か有用なことをする人物とは思えないが、まだ生きているということは、おそらく何らかの目的で神に生かされているのだろう。
 私も人のことは言えないが。
 私は鈴村聡として、この人生を選んで来たのだろう。
 運命は変えられる。
 変えてみせる。
 そして、最後には、みんなで――幸せになるんだ。
 死は幸せか?
 有限の命を持つ私にはわからない。
 けれどいつかは――
 このパズルを解いてみせよう。
 遥や、真雪と一緒に――。
 とりあえず、真雪を助け出すことが先決だな。
 真雪の運命は真雪の運命だが、袖すり合うも他生の縁。
 力になれるなら、この鈴村聡、力を貸そう。
 そして真雪、力を貸してくれ。
「あなたの存在そのものが、神の啓示なんだ」
 変人の智子はそう言っていた。
 私は話半分に聞いていたが、こんな奇跡も起こってくると、彼女の言い分も不思議ではない気にさせられる。
 私はずっと黙って、猫と遊ぶ真雪や、風見さんと熱心に話している遥を見ていた――。

「あー、楽しかったぁ」
 うーんと、真雪が伸びをする。
《Long time》から帰る途中である。
 ダイアナは真雪に抱えられていた。
 遥は、
「また来るかぁ?」
 と言った。
 私達はおのおの、力強く頷いた。
 世界の謎を解く。
 我々はその使命を帯びているのだ。
 抵抗しないこと。
 しかし、変える努力はすること。
 一見矛盾した考えだが、私の中ではちゃんと折り合いがついている。
 東日本大震災は神罰だ。
 そう言った中学生がいるらしい。
 原子力発電の危険性も取り沙汰されている。
 この日本は危ないのではないか。
 だから――私達は変えなければならない。
 前だけを真っ直ぐ向いて。
 真雪――おまえは、まだ死ぬな。
 私がここに遣わされた以上、死んじゃいけないんだ。
 私もあの時一度死んだのかもしれない――トラックに轢かれて。
 この次元は、平行世界なのかもしれない。
 ああ、でも――。
 もう、考えるのはよそう。
 真雪とダイアナはラヴラヴで、傍で見ていて恥ずかしいほどだった。
 美少年と猫というのは、微笑ましい構図ではあるのかもしれないが。
 とにかく、この世界で私は幸せだ。
 痛いほどの幸福。
『パームシリーズ』という漫画に載っていた。
 ジャンル不詳の大長編漫画で、今、第九話が終わったとか終わんないとか。
 作者が若い頃から描きためていたらしい。
 私も、絵心があればそういうライフワークともいえる漫画を描くことに挑戦してみたかった――結局小説の方へ行ったが。
 小説でも、もし才能があれば、身も心もこの作品に捧げてみたいと思う作品を書きたかった。
 しかし、そんな才能は私にはなさそうである。
 変人女の花村智子の父は、
「物理を教えてもらいたい人が一人でもいれば、俺はそこに行く」
 と言っているらしい――立派といえば立派だ。
 根っからの物理屋なのだ。
 しかし、限界も感じていて、死ぬまでに物理の全てを理解することは不可能だろうと言っている。
 娘と違って、謙虚な親だ。
 智子の母方の祖父も変わっていて、がんの研究をしているから自分はがんでは死なないだろうと信じていた。
 結果、胃がんで死んだ。
 けれど、死ぬまでがんの研究に携わっていた。
 難しいことは私にはわからない。
 彼の一族の中に、彼の研究を受け継ぐ者はいないであろうことは、はっきりしているが。
 閑話休題。
 人それぞれに使命がある、と言いたかったのだ。
 作家になって、人を楽しませることも使命であろう。
 尤も、私の作品は読者を怒らせることが多くて、担当の高橋くんはいつも胃薬を持参していた。
 隠してはいるが、私にはわかるのだ。
 けれど、私のことを天才だと信じていて、そこが彼の変わったところである。
 いつか、彼の期待に応えたいが、応えられないだろうな、と思う。
 家に帰ると、淳一兄さんが待っていた。
「真雪、聡、なぎさちゃんが来てるよ」
 え? なぎさちゃんが?
 一体何の用だろう。
 なぎさちゃんが来てくれるのは嬉しいが。
 なぎさちゃんは真新しい白いドレスをひらひらさせていた――家で着替えたのだろう。
「ねぇ、真雪くん。夏休みになったら、海、一緒に行かない?」

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