Satoru ten years old
19
 私がぼーっとしていると――。
「君は砂糖は何杯?」
 と、スプーンが訊いて来た。
「あ、私……じゃなかった、僕はいいや」
「はあい」
「お代わりいります?」
「そうだね、少し休んでてくれ」
 風見さんがポットに微笑みかけた。
 私は少し紅茶を口にする。
「――美味しい」
「良かった」
「そう言われることが僕達の何よりの喜びだよ」
 スプーンとポットが口々に言う。
「あったかいね」
 ここは、あったかい――何か仄々してしまう。
 ここでは何も考えなくていい。
 自分の売れない原稿のことも、孤独なことも――真雪や淳一兄さんが死んだことも。
 だって、二人はこの世界で生きているではないか。
 私もこの世界に留まっていたい。
「駄目だよ、それは」
 風見さんが言った。
「この世界ではな――俺の感応力は少しは発達するよ。いつもよりな。だから、君が今何を考えているかわかる」
「…………」
 私は黙って風見さんを見た。
「いつかは君も帰らねばならない。だが、ここに来たのは、君だけにしかできない使命があるからだ」
「僕だけの……使命?」
「そう。おまえは自分を救う為にここに来たんだよ」
「自分を救う為? 人を救う為でなく?」
「そう。自分を救うことは、結果的に人を救うことになるんだよ」
「俺は難しいことはよくわかんないけど――」
 真雪が口を挟んだ。
「聡は聡自身を救うために俺達のところへ来たの?」
「そうだよ、真雪くん」
「おまえ、そんなに悩んでたのかよ、聡! それなのに俺に何にも話さないなんて!」
「ご……ごめん」
 私は思わず謝ってしまった。
 相手に強く出られると弱いのだ。
 結論、私は気が弱い。
「本来ならこういうのは竜月の得意分野なんだが――あいつは行方知れずでね……でも、そうか……死ぬことができたのか。良かったなぁ」
 風見さんがはらはらと涙する。
 何だか話がおかしい。
「どうしてじっちゃんが死んだのが良かったんだよ」
 遥が気色ばむ。
「俺達はな――俺の種族は、滅多に死ぬことができないんだ。死ねるのは、全て自分の仕事を終えるまで」
「へぇ……」
「アンタもそうだぞ。大澤遥。何せ、竜月の血をついでいるのだからな。尤も、おまえの体の中には人間の血も流れているようだが」
「おまえ、人間じゃねぇの?」
 真雪が遥の方に向き直る――相変わらず失礼な奴だ。
「そうだな――確かに俺は人間じゃねぇみてぇだ。と言って、化けモンでもないつもりだけどよ」
 遥は笑った。
「そっかー。化けモンじゃないなら、ま、いっかー」
 それでいいのか真雪!
 私は思わず心の中でつっこんだ。
「しかしねぇ……辛かったな。今まで」
 隣の風見さんがぽんぽんと私の頭を撫でてくれた。
「ん……」
 私は涙が出てきそうになった。
 兄さん、真雪――。
 私は、君達の前で無力だ。
 こんなにも、無力だ。
 それでも――君達を助けられるなら、私はどんなことでもしよう。
「少年」
 風見さんは言った。
「僕は少年じゃない」
「けれど、おまえは俺や遥や竜月に比べたら遥かに若い」
「私は……もう三十六だ」
「まだ、三十六だよ。それに、やり直しはきく。その時計のおかげでな」
「え……?」
「なぁ、風見さん。俺にもできることはないか?」
 真雪が話に割り込む。
「できるよ。というか、君こそ、俺がずっと探していた子供だ」
「俺が……?」
「そう。君は『選ばれた子』だからな。だから、聡もここへやってきたのだろう」
「選ばれた子……」
 真雪の目がきらきらしてきた。
 元来、子供はこういう話に弱い。
 風見さんを疑うわけではないけれど、いい加減超常現象に慣れっこにはなってきていたけれど――私は少し心配になった。
 真雪、調子に乗らないといいな。
 この世で悪ノリした真雪ほど、始末に負えないものはない――と昔は思っていた。
 今は、たとえ始末に負えなくても、幽霊になっててもいいから出てきてくれ、と願う程になってしまったが。
「ああ、おまえは将来、この世界を旅することになるだろう。いや、この世界だけでなく、他の次元もな」
 片目をつぶって風見さんが話した。
「たっのしそー! いいのか?! 俺で、いいのか?!」
「おまえでなくては多分駄目だろう。それに、いいことばかりではないぞ」
「わかった!」
 真雪は自分の想像にうっとりしてしまったようだった。
 こいつの考えているのは多分スターウォーズとか、MIBとか――。
 この時代にはそんな映画はないか――スターウォーズはどうだか知らんが。
「おい、聡。おまえも仲間にしてやるよ」
「悪いが興味はない」
「何でぇ、冷てぇの」
「何とでも言え」
「まぁまぁ、二人とも――ここは大人しく風見さんの話を聞こうじゃないか。ねぇ、風見さん――」
 遥が私達を窘めてから風見さんの方に向き直る。
「あのな――」
 風見さんが口を開きかけた時だった。
「やぁ、バカの真雪にお利口さんの聡くんじゃないか」
 声が聴こえた。
 私は耳を疑った――これは、ダイアナの声だ!
 果たして、目の前にひらりととんぼを切って現われたのはダイアナだった。

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