Satoru ten years old
14
 熱を計ってみた――六度二分だった。
「だいぶ下がってきたみたいだね」
 淳一兄さんが優しく言った。
「これなら、もう学校行けるかな?」
 学校?!
 そういえば、今まで学校の話は出なかった気がする――不自然なまでに。
 そうか……私は学校へ行けるのか……。
 学校と行ったら小学校だよな……。
 私は、小学校へ生徒として行くのか……。
 何か、複雑な気分だ。
「聡! 学校なんかフケちまえよ! どうせ終業式しかねぇんだから」
「いけません!」
「それは許さん!」
 淳一兄さんと遥のユニゾンの迫力に気押されて、真雪は――
「――すみません」
 と、一見素直に謝った。
 けれど、心の中ではあかんべえをしていることだろう。
「僕達、気が合うみたいですね」
「この悪ガキに関してだけはね」
「何ッ?! 悪ガキとは誰のことだ!」
 ――おまえだよ、真雪。
「君だよ。真雪」
 おお、今度は淳一兄さんと私が気が合った。
 遥がくすっと笑った。
「何がおかしい!」
 真雪の怒気に、遥が大笑いし出した。
「だっておまえら……仲がいいんだもん。呼吸が合うっていうの? 漫才見てるみたい」
「ま……漫才?」
 淳一兄さんもさすがに気分を害したようだった。
「真雪のこと以外では意見が合わないようだね、僕達……」
 淳一兄さんはぼそっと呟いた。
 うん、確かに淳一兄さんは天然だと思う。
 大真面目なのに笑われたから、機嫌損ねたんだ。
「あっはー。漫才か。そいつはいいや!」
 反対に、真雪は喜んでいる。
『漫才なんかにうつつを抜かさないで勉強しなさい!』
 これが、淳一兄さんの口癖だった。
 当時はPTAの風当たりも強かったはずだ。
 それなのに、今は芸人の活躍はお茶の間で当たり前になっている。
 テレビ芸人もがんばったんだなぁ……。
 私もがんばらなくては――しがない作家でしかないが。
 いや、しがないなんて言ってはいけない。
 それに今は小学生だ。
 小学生としてがんばらなければならない。
 私は今、十歳だ。
 五月生まれだから、小学四年生。
 もしかしたら――あの子に会えるかもしれない。
 初恋のあの子に。
「俺、小学校に送って行きますよ」
 遥が、点数を稼ごうとでもいうのか、進み出た。
「ああ、お願いします」
 淳一兄さんも、すっかり機嫌が直ったみたいだった。
 単純……と真雪だったら言うかもしれない。
「でもさー、遥。俺達の通っている小学校わかるの?」
 真雪が質問した。
 いくら何でもそれはわかるだろうと思っていたが――。
「知らん」
 と言われて私もこけた。
「何せ、この町に来たのが初めてだしなぁ……」
「じゃ、じゃあ、案内するよ」
 私が勢い込んで言った。
「ほんと? じゃ、お願いしようかな」
「いいけど、この学校まではかなり歩くからね」
 この家は田舎に属している。
 私達の通っている花園小学校は、街の中にある。
 徒歩で約三十分。
 真雪と喋りながら通うとあっという間なのに、一人だと、何となくうら寂しい。
 子供の頃はずっと遠くにあると思っていたのに、大人になってからその道を辿ってみたら、案外短い道のりだった。
 私が大人になった証拠だろうか――。
 あの世界には、真雪はいない。
 真雪を助けないうちは、帰ることができない。
 何故なら、あの世界では、真雪と一緒に乾杯することができないからだ。
 私の記憶の中では、真雪はいつまでも小学生のままだ。
 これは――神の啓示かもしれない。
 真雪を助けろという、何者かの。
 私はオカルトは信じないが、現に小学四年生に戻っている。
 この事実は認めないわけにはいかない。
 真雪だって信じてくれた。
 私が考え事をしていると、真雪がにこっと笑った。
 ――ああ、可愛い。
 こんな可愛い子が、水難事故に遭っていいものだろうか。
 真雪のファンが男女問わずいるのは、そういうところがあるからかもしれない。
 女の子っぽい顔と、ガキ大将気質のギャップ――彼の魅力を表現するなら、こうなるかもしれない。
 いや、違う――真雪には、もっと何かがあるはずだ。
 人を従える何かが――。
 私には、ついぞ現われた試しのなかった何かが――。
「どうした? 聡。辛いのか?」
 真雪に訊かれ――私はふるふると首を横に振った。
 真雪は――底なしに優しい。
 口は悪いが、人が一番気にしていることに関しては、決して触れたことがなかった。
 それがわかるのは、この少年が繊細であるからだ。
「俺、聡が辛いのが一番辛いよ――」
 聡が辛いのが――
 その途端、涙が溢れた――何度も何度も聞き慣れたフレーズのはずなのに。
「うわっ! どうしたんだよ、聡」
「何でもない。先に用意してて」
「そうだな。行こう。遥。聡、おまえは休んでろよ」
「いや」
 遥はきっぱり真雪に反対した――私の顔を覗き込みながら。
「おまえも一緒に来るんだ。聡。俺に学校案内するんだろ?」

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