Satoru ten years old
10
「ダイアナ、聡の部屋に勝手に入っては駄目だよ」
 淳一兄さんは、茶色の毛皮の猫のダイアナにめっ!をする。
 ダイアナは出て行ってしまった。
「ごめんよ。話し中だった?」
「うん……まぁ」
 私は曖昧に頷いた。
「ああ……はい。でも一応、一区切りついたから……いいっすよ」
 遥が何だか戸惑いがちに淳一兄さんに話す。
「よかねぇよ。これから何かが始まるって時に」
 真雪が綺麗な細めの眉を顰めた。
「兄貴はあっちに行っててくんな」
「お呼びじゃないようだね。真雪」
「おうよ」
「ああ、そうだ。あの……お願い事があるんだけど」
 遥が遠慮がちに言った。
「何だい?」
 と、淳一兄さんが訊く。
「あの……しばらくここの家にご厄介になってもいいっすか?」
「大澤さん。君が、この家に?」
「俺、宿なしなんすよ。頼みます! お手伝いでも何でもしますから」
「お手伝いは間に合っているけどねぇ……僕がいるから」
「では、弟さん達の面倒を見ますよ」
「困ったな……」
 淳一兄さんは、考え込むように腕を組む。
「僕からもお願い」
「俺からもだ」
 私と真雪がほとんど同時に言うと――
「よし、わかった。何とかしよう」
 淳一兄さんが承諾した。
 すると、真雪が遥に抱きついた!
「良かったな! 遥!」
「ああ」
 遥が真雪の背中をぽんぽんと叩く。
 真雪の愛情表現は直接的だ。
 私は、そんな真雪がいつも羨ましかった。
 私も昔はシャイだったのだ。
「さぁ、真雪、出て行きなさい。ダイアナも連れて行くんだよ。――遥さんも失礼してもらえませんでしょうか」
「ああ……はい」
 遥はちらっとこちらを見た。
 時間はたっぷりあるのだ。
 いつでも遥に会えて、いつでも遥と話ができる。
 そう思っただけで安心できた。
 彼にはそういう、不思議な磁力がある。
「ちぇー」
 真雪は不服そうに口を尖らせると、遥達と一緒に出て行った。
「熱はどう?」
 淳一兄さんが、私の額に手を当てる。
「ないようだね」
「淳一兄さん」
「何だね?」
 何かを話したいのだが、何を話せばいいのだろう。
 私の思考回路は、わやくちゃになった。
「僕ね……淳一兄さんが大好きだったよ」
 すると――
 涙腺が刺激されたようだった。
 涙で景色が滲んだ。
 どうしてだろう――何でだろう。
 あまり泣けない自分が――泣いてる。
 風邪をひいてたらしいから、気持ちが弱くなっていたかもしれない。
「聡……」
 淳一兄さんはひんやりした手を私の方に滑らせた。
「私だってさ」
 淳一兄さんは言った。
「真雪も、聡も大好きだよ」
 そうして、微笑んだ。
 透明な笑みだった。
「でも、『だった』って、過去形だね。どうしてなのかな?」
「いろいろあるんですよ」
「はいはい」
 淳一兄さんが、今度は苦笑した。
「飲みたいものはあるかい? たとえばジュースでも」
「――このままでいい」
「だけど、水分を摂らないといけないよ。風邪を引いた時にはね。――辛くない?」
「大丈夫……みたい」
 もう悪寒もしない。
 熱冷ましを飲んだ……らしいからそれが効いたのだろう。
「何か持ってきてあげるよ。何がいい」
「――カルピス」
 昔からこの清涼飲料が好きだった。
 カルピスを水で薄めたものが好きだ。
 口の中に幕ができて、それを味わうのも楽しい。
「聡は本当にカルピスが好きだな。じゃ、ちょっと待っててくれないかな。そんなにかからないから、大人しくしてるんだよ」
 淳一兄さんが出て行くと、私はベッドに横たわった。
 何だか――嬉しい。
 みんなが私のことを心配してくれているのが。
 気にかけてくれているのが。
(遥)
 私は、自分の心の中で、そっと青メッシュの男の名前を呼んだ。
(あんたのおかげだ。遥)
 淳一兄さんや真雪に再会できたのも。
 私はそんなに眠くなかったはずだが、約一分ぐらいで幸福感の中で寝入ってしまった。
 気付くと、ベッドのそばのテーブルに、コップに入ったカルピスが。
 淳一兄さんが用意してくれたのだろう。
 淳一兄さんにも、世話になるなぁ――もしかして、これからも。
 私はコップに口をつけた。
 ちょうど良い甘さだった。
 甘過ぎず、水っぽすぎず――兄さんはちゃんと私の好みの濃さを覚えててくれていたんだ。
 それにしても――これから何が起こるというのだろう。
 真雪ではないが、私の心も高ぶっていた。
 大澤遥――あの男には、謎が多い――その謎を是非ともひもとこうと思った。

Satoru ten years old 11
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