Satoru ten years old
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 私は行きつけのアンティークショップの前でふと立ち止まる。
 小説のネタにつまると、私はよくこの店に来る。尤も、私――鈴村聡――はそう大した小説を書いているわけではなかった。読者だって少ない。
 それでも顔の造作は良いようなので、女達からは少しは優遇されている。
「鈴村さんには敵わないよ」
 高橋くんはいつも私にこぼす。彼こそいい男なのに。
《Long time》――そんな名を持つこの店は、繁華街から少し外れた場所にある。商品がショーウィンドウに陳列されている。
 精巧な造りのオルゴール、時代がかった置き時計、褪色の感は否めないフランス人形――もう駄目だ。私はこの店に入りたくなる。
 扉を押して中に入った。
 爽やかな鈴の音がする。そう広くない店内は茶一色だった。
 一見雑然としているが、片付いていないわけでもなく、独特の秩序を持って商品が並んでいる。
 タンスやライティングデスクなどの家具もあるが、この店は時計やアンティークドールなどの小物が主な商品である。
 時計――この店は驚くほど多い。店主の趣味だという。
 そういえば、店主の風見さんはどこにいるのだろうか。白い髭をたくわえた七十がらみの老人だが、今日は姿が見えない。
 仕様のない店主だ。またふらりとどこかへ行ってしまっているのではなかろうか。
 店番ぐらい置いておけばいいのに、と思って辺りを見回していると、レジのあるカウンターの後ろのドアから一人の男が姿を現した。
 まず、青いメッシュを入れている前髪が私の目を引いた。
 二十四、五ぐらいかと私は見当をつけたが、もう少し若いかもしれない。
 大きな茶色の目に太く濃い眉。
 初めて見る顔だった。
 風見さんの息子――いや、孫だろうか。
 小さい四角にカットされたレンズに茶色の細いフレームをあしらった眼鏡をかけていた。
 が、私にはどうしても伊達眼鏡にしか見えなかった。
 まるで、風見さんの眼鏡をいたずらしてかけているみたいに。
「いらっしゃいませ」
 男が言った。その顔は笑っている。
「店主はどうした?」
 私が訊いた。
「いやぁ、急病で倒れたんで、代わりに俺が」
「ということは、君は臨時のバイトか? それとも店主の身内か何か?」
「バイトです」
「あの店主がバイトを雇うとはな」
「俺と風見のじいさんは個人的な知り合いなんです。なんか俺、あのじいさんに信用されちゃって。他人には任せられないこの店も、おまえになら任せられるって」
「風見さんの病気は悪いのかい?」
「ん、まぁ、一ヶ月は絶対安静だって言われたそうですから」
 軽い調子で喋る。
 この男、そんなに風見さんの心配なんてしていないのじゃないか?
 それに、何かへらへらして、頼りない男だ。
 店主の風見さんは、ほんとにこの男に信頼を寄せているのだろうか。
 帰ろう。こんなところでこんな馬鹿っぽい男と喋っているより、家で原稿を書いていた方が気がきいている。
 風見さんがいないのでは、ここに来た意味もあまりない。
 なんせ半分以上の目的が、彼から商品の話やいわくを聞くことなのだから。
 それに、欲しいものも今日はない。
 その前に、風見さんがどこにいるか訊かなくては。入院していたりしたら、後でお見舞いに行かなければならない。
 私は男に、
「風見さんはどこだ?」
 と質問した。近くの病院の名が返ってきた。
 決して大きくはないが、評判のいい病院だ。私は胸を撫で下ろした。帰ろうとしかけた時。
 男はポケットから鎖のついた懐中時計を取り出して、口笛を吹きながらハンカチで磨く。その姿が鏡に映る。
 私はその時計が気になり始めた。男の方を向いて尋ねる。
「なんだい? その時計は」
 ――相手の口笛が途切れた。
「あ、これは……」
 男は時計を元のところにしまおうとする。
「待ってくれ。何でしまうんだ?」
「これ、売り物じゃないんですよ。――俺の宝物なんで」
「ちょっと見せてくれないか? 見るだけでいいから」
「見るだけですよ」
 男は渋々カウンターに懐中時計を置く。
 私はその時計に魅せられていた。
 一目で金メッキのピカピカした安物とわかる。それでも私は目が離せなかった。
 蓋の部分に、唐草の飾り彫りがついている。
 開けてみたくなって、私は懐中時計を取り上げた。
 男が「あ」と小さな声をもらすのを聞いた。
 蓋を開ける。文字盤の秒針がすごいスピードで逆方向に回っている。
 自然、長針と短針も引っ張られるように逆に回る。
 これはとても変わった時計に違いない。私は直感した。
 ただの故障した時計でないかとは、一瞬たりとも思わなかった。
 この時計にまつわる話を聞こうと、私は男に訪ねてみた。
「何だい? この時計は。どうやって手に入れた?」
「どうやって手に入れたって……俺のじいちゃんからもらったんですよ。大学の入学祝いに。珍しくも何ともない、ただの金時計ですよ」
 ただの? ただの、というところに私はこだわった。
「ただの時計と言ったな? それなら、私に譲ってくれないか? 金はいくらでも出す」
 私は売れない作家だが、金だけは親の遺産で、一生使いきれないほど持っているのだった。
 男は仰天したらしい。
「そんな――壊れた時計ですよ。いくらでも出すなんて、そんな物好きな」
「じゃ、いいんだな」
「いや、いやいやいや」
 男はふるふると首を振った。
「返してください。これ、俺の相棒なんですから」
「まぁ、待て――はい」
 私は金時計を男に返した。少々名残惜しかったが。
 人にはガラクタにしか見えなくても、自分にとってはかけがえのない宝物だ、ということはよくある。
 私のアンティーク収集も、私の彼女の一人からは金持ち道楽のガラクタ集めにしか見えなかったらしい。
 面と向かってはっきり言われたこともある。
 それから間もなく、彼女とは別れてしまった。
 それとも、他人にやるのはゴミでも惜しいということなのだろうか。
 今まではせいぜい無自覚に持ち歩いていただけの物が、私が、「欲しい」と言った瞬間、純金よりも大切な宝物に変わってしまったのだろうか。
 それとも――これは手なのだろうか。
 安物の金メッキの故障した時計を高く売りつける為の。私も何度かそれに引っ掛かったことがある。
 そんなことを企んでいるのだとしたらこの男、かなりの知能犯だ。
 こんな馬鹿のような顔をして、とんだ食わせ者だ。
 私は青い髪の男をひたと睨みつけた。
 男は何を勘違いしたのか、
「これだけは売れないんです、すみません」
 と、言った。そして、それを後ろの台に置いた。
「そうだ。ちゃんと商売しないと。俺、風見のじいさんに怒られてしまう。時計が欲しいなら、この時計なんかいかがです?」
「…………」
 私は蓋裏に精密な絵のついた懐中時計なんかには目もくれなかった。
 話の接ぎ穂がなくなった男は、再びカウンターにさっきの金時計を出した。
「これね――ほんとか嘘かはわからないけど――これに触った人は、必ず時の間に送り込まれるんだって」

Satoru ten years old 2
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