Minto! 32 「か……母さん?!」 あたし達はずいぶん間の抜けた声を出していたと思う。 「お初にお目にかかります。乱造の母でございます」 乱造さんのお母さんは丁寧に三つ指をついた。 「いつも息子がお世話になっております」 「あ……いえいえ」 あたしは戸惑った。乱造さんに世話になっているのはあたしの方だからなぁ……。 「せっかくだから紹介するよ。母さん。同じイラストクラブの水無月美都」 「水無月です。よろしくお願いします」 あたしは頭を下げた。 「それから――」 「あたし、西澤明」 「僕は西澤ゆうです。よろしくお願いします」 「まぁまぁ。こんなに初めてのお客様が来てくださるなんて」 「さ、母さんは寝てて」 「でもね。私はあなたが友達を連れてきたのが嬉しくて……」 乱造さんの母は着物の袖で拭った。泣いているのだろうか。 「千春さんは新学期以来姿を見せなくなってねぇ……中学校生活が忙しいのでしょうけど、寂しくてねぇ……」 「もういいから。母さん」 乱造さんは何だか焦っているようだ。 千春さん……やはりここにも来たことあるんだね。 でも、しばらく顔見せないなんてずいぶん冷たくないかなぁ……。あたしはちょっと千春さんがにくくなった。 「千春姉ちゃん、来ないの?」 と、ゆうくん。 「前は時々ここに来ていたのよ。二人でマンガ描いてたりしてたわねぇ」 乱造母は天井を見上げる。想い出をたぐりよせているのだろう。 「手袋うさぎを描いてたんんですか?」 「ああ。なんかそんなような感じのマンガだったわね。私はマンガにはとんと疎いからわからないけれど。千春さんもそれはそれはたいそう絵が上手くてねぇ……」 「うん。ちぃは絵が上手かった」 乱造さんが頷く。あたしは乱造さんの方が絵が上手いと思うけどねぇ。 「ミントだって負けてないぞ! ほら!」 ゆうくんはあたしが背景を担当したコマを見せた。 「ミントにも絵の才能があると思って、思い切って背景任せてみたんだよ。まさかこれほどとは思わなかったけど」 乱造さんが褒めてくれる……嬉しい! 「トーンもそのうち使えるようになるよ」 「そ……そうかしら」 「ああ。今度教えてやる。今はトーンの使っていないマンガなんて、マンガじゃないって風潮があるし。まぁ、ワンピースはあまりトーンは使われていないけど」 へぇ……ワンピースなら超有名マンガじゃない。やはりチェック済みだったのね。乱造さんも。 「まぁまぁ。上手くできてますねぇ……」 乱造さんのお母さんは感心したようにあたしの絵に眺め入っている。なんだか恥ずかしい……。 「美都さんでしたっけ? ミントって呼ばれてるの?」 「はい……」 あたしはかしこまって答えた。 「可愛いニックネームね。これからも息子をよろしくね」 「はい……」 乱造さんと一緒にいていいんだ。失恋してても。 あたしの胸の鼓動が早くなる。 乱造さん、やっぱり好き……。 「ちーちゃんはどうして乱造さん家に来なくなったの?」 「さぁ……」 乱造さんのお母さんにもそれは謎なようだ。 「ただね……最後に来た時に、泣きながら、『もうここへは来ることができません』と言ってたわ」 「喧嘩でもしたのですか?」あたしがきく。 「いいえ。でも、とても悲しそうだったわ……乱造や私が病気したせいかねぇ……」 「違う!」 乱造は叫んでいた。 「ちぃはそんなことで我が家に来なくなるような人じゃありません! それに、俺が病気だったのは昔の話でしょう?」 そういえば、乱造さんは病気で一年遅れているって……。 「乱造さんは何のご病気でしたっけ?」 乱造さんのお母さんはちょっと困ったように笑った。悪いこときいたかしら。 「小児結核だったの。もう治ったけれど」 その時、明が言った。 「ちーちゃ……千春さんは乱造さんのこと、大切に思っているんだと思います。それで、乱造さんの家に来ることをやめたのだと……きっとそうです」 「???」 明の言っていることは意味がわからない。 「どういうことだよ、明」 ゆうくんがあたしの代わりに質問してくれた。 「乱造さんのこと、あまりにも大切で……だから離れたんだと思います」 そうか……そういう考え方もあるのか。 でも、それで我慢できるものだろうか。つまりは身を引いたってことだろうけど。 なんで千春さんは身を引いたのだろう……。本人に訊いてみないとわからないだろうか。明が続けた。 「ちーちゃんとはいつもイベントでお会いしてますよ」 「そう……元気だった?」 「うん。元気に本売ってました」 男同士の恋愛マンガをね。あたしはこっそり心の中で付け加えた。乱造さんのお母さんにはわからない世界だろう。あたしだってわかりたくなかった。 「千春姉ちゃん、年上だからかもしんねぇけど、わけのわからないヤツだからなぁ……」 そう、ゆうくんが言ったけど、あたしだってわかんないよ……。今、ここで原稿描いているのは、本当は千春さんだったのかもしれなかった。 ああ、やっぱり人間関係って難しい……。そして奥が深い。 「紅茶でも淹れて差し上げましょうか? 今、ちょっと気分が良くなってきたから」 「寝ててください!」 あたしと明は声をそろえて叫んだ。 「そう? 何かあったら言ってくださいね」 「はい」 襖が閉まった。 乱造さんは苦笑いをしていた。 「お袋は客の相手をするのが楽しいみたいなんだ。でも、無理はさせられないから」 乱造さんはやっぱり優しい。 「代わりに俺が何か淹れてやるよ。三人とも俺のこと手伝ってくれたことだし。何がいい?」 「何でも」 とあたしが言った。明もゆうくんも紅茶でいいと言うのであたしもそうした。 「原稿に落とすなよ」 そんなことしないよぉ。あたしはドジなところもあるけど、さすがにそこまでは……。 明がちろりと乱造さんに冷たい視線を送った。 「何、その言い方。まだあたしが生原稿破いたの怒ってるわけ?」 「いや、そうじゃないけどさ……」 「あの時は……悪かったわよ」 「気にするなって。さっきのは冗談だから」 乱造さんは明を許した。けど、マンガって描くの大変なんだよね……やってみればわかる。楽しいけれどさ。 クラスによく、『将来漫画家になりたい』っていう子がいるけど。そして、多分その子は絵が上手いんんだろうけど。 乱造さんを見てるとマンガを描くのがいかに大変な作業かというのがわかるんだよね……。好きでないとつとまらないよ、うん。多分普段からものすごい努力してるんだろうね。 2014.6.14 33へ→ |