みんな夢の中

 ここに来るのもしばらくぶりだ。
(あやめさん……)
 交通事故で亡くなった野沢あやめ。クラスメートの野沢武司の姉である。
 高松の年上の恋人でもあった。
(結婚まで考えていたのに……)
 どうして、自分の大切な人はみんな早死にしてしまうのだろうと、高松は考える。
 あやめ、ルーザー、ジャン……。
 サービスは生きているが、どこか距離の置いた付き合い方をしている。
 ハーレムにはとっとと死んで欲しいが、ああいう男ほど長生きするのだろう。
「いい。一度しか言わないからよく聞いてよ」
 いつだったか、あやめが高松に尋ねたことがあった。
「私とルーザーさん、どっちが大切なの?」
 よくある質問だ。だが、高松の答えは決まっていた。
「そんなの――どちらも大切に決まっているじゃありませんか!」
 高松の返答に、
「ああん、もう。高松ったら可愛い! ルーザーさんにやきもち焼いたりして悪かったわぁ」
 そう言って、抱き締めてくれた。豊満な胸の感触が今も記憶に残っている。
 やばい……泣きそうだ……。
 高松の涙を止めてくれたのは、ある人物の登場だった。
 あやめの弟、武司。
「なんや。高松。来とったんか」
 独特の大阪弁で喋る。野沢姉弟は大阪出身なのだ。あやめに訛りはなかったが。
「ああ。武司さん。あなたでしたか」
 高松は目元を手の甲で拭った。
「あんたも来てくれてたんやなぁ。おおきに」
「いえいえ。今日はあやめさんの命日ですから」
 高松の台詞に、武司がふと暗い顔をした。
「姉貴は誰からも好かれとったなぁ」
「ええ。あの人を嫌いだという方には会ったことがありません」
「そうやな……気難し屋の高松でさえ、恋に落ちるほどやもんな。けど、姉貴がもしわいの姉でなかったら、あんたなんかに渡さなかったで」
 高松は武司の言葉の後半は聞いていなかった。
「私、気難し屋でしたか?」
「まぁな。皆の意見はそうやったな」
「あなたの意見は?」
「気難し屋なのは確かに本当だけど、可愛いところもあると思うてたよ」
「……からかわないでください」
「いやいや。高松からこうほど、命知らずやあらへん」
 武司の表情が緩んだ。
「その花は?」
「ああ、あやめさんの墓前に供えようかと」
「――変な花やあらへんやろな」
「まさか」
 高松はくすっと笑った。
「愛しのあやめさんにそんないたずらはしません」
「あんた、まだ姉貴のこと好きなんやなぁ」
「ええ。あんな素晴らしい女性には、あれから一度も会ったことがありません」
 言ってから、これはどこかで聞いたような台詞だな、と思った。映画かドラマで知ったのだろうか。
「ふうん。まぁ、ええけど」
「あなたもあやめさんの墓参りですか?」
「他にどんな用事があると言うんや」
「そうですね」
「高松、これからどうするんや?」
「ルーザー様とジャンの墓参りに行きますよ。今日、せっかく休みが取れたんですから」
「ジャン……懐かしいな、その響きも」
 ジャンも、高松や武司のクラスメートであった。
「ルーザーさんもいい人やったけど死によるし……みんな死んでいくんやなぁ」
 武司がしみじみと言った。
「あの人達が生きていた時代は、みんな夢の中なんやなぁ」
 みんな夢の中……。
 高松も、その夢に還って行くのだろうか。何だか遣る瀬ない想いだけが残った。
「私は……私は死にませんよ」
 高松は決意を表明した。
「そうやな。高松は死なんやろ」
 武司は、それを冗談だと思っていたらしかった。しかし、高松は本気だった。
 高松の生涯はこれからもまだまだ続く。大切な人に会うことは、これからもあるだろう。いろいろな出会いがあるだろう。
 今ならば――と、高松は思った。
 あの憎きマジックやハーレムも許せそうな気がした。
 みんな夢の中に還るんだから。
「高松。わいも、ジャンの墓参り行ってもいいか?」
「構いませんが」
「良かった。わい一人だけやと、どつぼにハマりそうで怖かったんや」
「ええ。でも、まずはあやめさんの墓参ですね」
「おお。もちろんや」
 武司は笑った。
 泣き出しそうな藍色の空は、いつの間にか青い晴れ空に変わっていた。
「ジャン達の墓参りに行ったら、久々に士官学校行かへんか?」
 士官学校は、彼らの母校である。
「そうですね……卒業式以来行ってませんし」
「高松もわいも、忙しかったからなぁ」
 成海教官、田葛先生――みんな懐かしい。彼らがまだ生きていることは喜ばしいことだと思う。
 高松はあやめの墓の前に立った。
 あやめの葬式は、キリスト教式で行われた。
 野沢姉弟には父も母もいない。母は小さい頃に亡くなったようだし、あやめが死ぬ直前に彼女らの父も亡くなった。
 武司の悲しみは如何ばかりであっただろう。だが、武司は快活さを失わなかった。
 ルーザーやジャンの墓は、この近くにある。
 高松は、あやめが好きだった薔薇の花束をそっと置いた。丹精込めて育てた薔薇だ。
 尤も、ルーザーが育てていた薔薇の美しさには敵わないが。
(ルーザー様。あなたのような人のことを『緑の指を持っている』と言うのでしょうね……)
 だが、今はあやめと墓の前で語り合いたい。一時だけ、ルーザーのことは忘れて。
(あやめさん。私は一生結婚しません。あなたと結婚しているようなものだから)
 高松は手を組んだ。
(どうぞ、天国で安らかに過ごしてください。私は――今でもあなたが好きです。あなたと過ごした時期は夢のようでした)
 ちら、と薄目を開けて隣の武司を見ると、彼も一生懸命祈っていた。
 何を思っているのかは、彼自身にしかわからない。
(あやめさん……私達を見守っていてください)
 いずれ、科学の力で、あやめもルーザーもよみがえらせたい。そんな自分は狂気の淵に立っているのだろうか。
 みんな夢の中。この想いも、過去も、みんな。未来も夢の中。
 なにせうぞ、くすんで。一期は夢よ、ただ狂へ――閑吟集だったか。
 早く会いたい。あやめさん。早くこの手で、あなたを――。
 高松の頬に一筋の涙がこぼれた。流れる涙を、しかし高松はもう恥ずかしいとは思わなかった。

後書き
『みんな夢の中』という歌なかったでしたっけ。
「あんな素晴らしい女性には、あれから一度も会ったことがありません」――これはドラマの『銃口』から。
なにせうぞ、くすんで、一期は夢よ、ただ狂へ。これを知ったのは栗本薫の小説からでした。
2012.1.7


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