どうしていいかわからない

 ハーレムにキスされた。この世で一番大嫌いな男から。――あたしの恋敵から。
 どうしよう……。
 ギデオンには言えない。ミリィにはもっと言えない。ミリィだってハーレムに恋してるんだから。
 彼女は本気だ。あたしにだってわかる。あたしだって恋をしているんだから――ギデオンに。
 何か……世の中上手くいかないもんだなぁ。
 レベッカママに相談しようか――とあたしは思った。
 レベッカは、あたしの母親みたいな人だ。
 父と母が死んだ後、身寄りのないあたしを引き取ってくれたのはこの『無憂宮』の女主人だった。
 レベッカママのおかげで、あたしは生きていけた。
 料理も下手だし、掃除も苦手だし、裏方の仕事は全然ダメなあたしは、接客の仕事をすることになった。
 でも、それは楽な仕事ではなかった。
 むちゃくちゃする奴もいるし、息の臭い奴も――まるでパームシリーズのアビ―・ウルマンね。あたし、あのマンガ大好き。
 日本人女性が描いたみたいだけど、アメリカの事情をとてもよく掴んでいる。
 ミリィに勧められて読んだ時には衝撃が走った。
 ファンレターを書こうかどうか迷っているうちに――今に至る。それはさておき。
 レベッカママには、困った時に相談に乗ってもらっている。レベッカはあたしの気持ちをいつも汲んでくれる。
 決めた! レベッカママに話そう!
 決断した後のあたしの行動は早い。あたしはレベッカママの部屋に来た。
「あら、リサ、どうしたの?」
 レベッカママはパックをやっていた。それを見た途端、あたしは――
「ママー!」
 と大泣きしながら彼女の膝に顔を埋めた。
「まぁまぁ、どうしたっていうの? リサ」
「ママ、ママー!」
「落ち着いて、リサ。さぁ、しゃんとするのよ」
 そのレベッカママの台詞を聞いて――
 あたしは少し落ち着いた。
「あたし……ギデオンに会わす顔がないわ!」
「――まぁまぁ、そんなこと」
 レベッカママが呆れたように言った。
「ハーレムにキスされたこと? それだったら、私も見てたけどねぇ」
 そう。確かにあの場にレベッカはいた。瞬間、彼女が憎らしくなった。
「ママ、ママだって面白がって見てたくせに!」
「そうだねぇ。悪かったわ……アンタがそんなに気にしてるなんて思わなかったから……」
 レベッカママはあたしの癖っ毛の赤い髪を梳いた。まるで子供をあやすように。
「……でも、そんなこといちいち気にしてたら、娼婦なんてやっていけないわよ。あたしにだって似たようなことがあったわ」
「そ……そうだよね……」
 あたしは涙を止めようとした。でも、涙腺はちっとも言うことをきかない。あたしは鼻を啜った。
「まぁ、あたしもいろいろあって今に至ったわけだけど――リサ、これだけはよくお聞き」
 レベッカママは真剣な目であたしの目をひたと見据えた。――パックしたままで。こんな時でなかったら大笑いしていたところだ。
 でも、今はシリアスな場面。あたしもママから瞳を逸らさなかった。
「リサ――アンタ、カタギになりなさい」
 ――へ?
 娼婦のあたしが……カタギに?
「何言ってんの……ママ」
「これはあたしの責任だねぇ。あたしゃアンタが可愛くてならないよ。もちろん、ミリィやレイラもだけど。けど、アンタは特別」
 ママは何を言おうとしているのだろう。あたしの頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
「アンタを娼婦にしたこと、天国でアンタの両親が怒ってるだろうねぇ」
「でも、そのおかげでギデオンにまた会えたんだし!」
 いつだったか、一人でふらりとやってきたギデオン。あたしは初恋の人を見紛うことはなかった。
 黒い強い髪。逞しいマッチョな体。黒い革ジャンから覗く厚い胸板。彼は全身濡れていた。
「すみません――ちょっとここで雨宿りさせてもらって構いませんか?」
 レベッカママは、快く彼を迎え入れた。ママは誰にだって優しいのだ。
「ギデオン――」
 あたしは声をかけた。
 ギデオンは目を丸くした。
「リサ――」
 ギデオンもまた、あたしのことを忘れていなかった。
 その夜、当然のようにあたし達は寝た。
 雨も少しは役に立つわね。ギデオンとあたしを引き合せてくれたんだから。
 それとも――神のお導きというやつかしら。神なんて信じていないあたしだけど。
 一度友達からもらった聖書を読んで、あまりの退屈さに投げ捨てたわ。
 あんなもん読んでいる暇があったら、男と寝てた方が気が利いてるというものだわ。何であんな本信じる人がいるのかしら。
 でも――今はそれどころではない。
 カタギになるってことは――ここを辞めなければならないってこと?
「ママ、ママ、あたしのこと嫌いになった?」
「アンタ――どうしてそんな……」
「あたし、どんなことでもする。客のどんなむちゃな要求でもきく! だから捨てないで!」
 レベッカママには本音を言える。
 それなのに――どうしてギデオンにはしがみつけないのかしら。
 泣きながら、
「あたしだけ見てちょうだい!」
 と言えないのかしら。けれど、今はレベッカママに捨てられる、そんな恐怖の方が勝っていた。
「仕方のない娘だよ。アンタは。だから、放っておけないのかもしれないねぇ」
 レベッカの声音は優しかった。
「アンタはいい子だよ。ハーレムのことがなければ……アンタ、今すぐにでもギデオンと結婚して家庭におさまりなさい、と言っているところなんだけどねぇ……」
 ギデオンと家族……それはあたしも夢見ていた。
 尤も、家事全般は苦手だから、ギデオンにやってもらうことになるんだろうけど。
 ギデオンはあんな外見からは想像もできないほど、炊事洗濯掃除が得意だ。ちょっと似つかわしくないんだけど、そこがギデオンの魅力の一つでもあるのだ。
 でも、ギデオンとの子供ができたら、あたし、うんと愛情注いであげる。男の子でも、女の子でも。
 あたし、子供好きだもん。ギデオンとの子供なら尚更。そりゃ、ちょっと過保護になるかもしれないけど。
「アンタ、ギデオンは諦めなさい」
 あたしの考えを知らないママが、厳しい声を出した。
「でないと、厄介なことになるかもしれないからね」
「嫌よ!」
 例えこの娼館をやめることになったとしても、ギデオンを諦めるなんてこと、できやしない。
「それだけは……嫌」
 涙は心の雨。その比喩が正しいのなら、今の私の心は土砂降りだった。
「そのハーレムって男、どうやらトラブルメーカーみたいだからね。悪気はなくとも」
 ――あれで悪気があっちゃたまらないわ。
「全く、どうしてアンタ達は辛い道へ、辛い道へと向かって行くのかねぇ。厄介な相手に惚れたもんだよ。ギデオンも――アンタも」
「あ……あたしが好きなのはギデオンよ」
「だからさ……ギデオンも確か殺し屋だったじゃないか。まぁ、あの仕事が向いているとは思えないけれどね」
「そうよ! ギデオンは優しい男よ! あのハーレムってヤツにたぶらかされたのよ!」
「それだったら、話は早いんだけどねぇ。アンタ――ハーレムに惹かれているんじゃない?」
 あたしが? ハーレムに?
「冗談! あんな偽ライオンに!」
「――まぁ、人の心はわからないものだからねぇ」 
 レベッカは溜息を吐いた。でも、あたしに限ってハーレムに惹かれるなんて、そんなこと絶対に――ないわ!
 そうよ、あんなヤツ――ミリィにでも譲りたいわよ。この間のキスだって、あれは挨拶代わりだったのよ……きっと。


後書き
レベッカママがこんなに重要キャラになるとは思いませんでした。
というか、性格違ってる?
2011.12.19


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