罪と裁き

 危険から守られることを祈るのではなく、
 恐れることなく危険に立ち向かうような人間になれますように。
 痛みが鎮まることを祈るのではなく、
 痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。
 人生という戦場における盟友を求めるのではなく、
 ひたすら自分の力を求める人間になれますように。
 恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、
 ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。
 成功のなかにのみ、あなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、
 自分が失敗したときに、あなたの手に握られていることを感じるような、
 そんな人間になれますように。

 ルビントラナート・タゴール
 『果実取り』より


 ヘリが墜落した。もうもうと上がる灰色の煙の中、脱出したときは血塗れだった。
 壊れた機体を余所に、僕は砂浜に寝転がった。
 暑い。
 どうやら、南国にでもいるようだ。
 何もかも焦がすような太陽の光。椰子の木。海のさざめく音。夏の匂い。
 こんな所で死ぬのだろうか。だとしたら、感謝せねばならない。
 熱射病になるのが先か、出血多量で死ぬのが先か。
 それにしても、ここはどこか懐かしい。
 激戦区に、こんなオアシスが有るとは知らなかった。
 こんなところで死ねるのだったら――いい。
 僕は、生まれて初めて、満足感を得ることが出来た。
 皮肉にも、生死の境目で、幸せを感じることができるとは。
 それとも、これは神の慈悲なのか。
 神と云うのは、抽象的で、形而上の存在とばかり思っていたが、今は、計り知れない安らぎを与えてくれる。
 兄さん――。
 この太陽は、兄さんに似ている。
 僕は――ルーザーと云う名前の通りの敗北者だ。
 とりとめもなく、今までの人生のことが浮かんでくる。親しくしてくれた人々。愛してくれた家族達。私の前で涙をぐっと堪えてくれた部下。
 そして――サービス。
 サービスが自らの目を抉った時、僕の心は壊れた。
 いや、壊れたと云うより、もともと壊れていたのだ。その事実に気付いた時、僕は死を決意した。
(ハーレムに泣かれてしまったな)
 誰でもいいから、殺して欲しかった。ハーレムに殺されるなら、計画通りだ。
 だが彼は、殺意の代わりに涙の香油を塗ってくれた。
 中途半端な憐みなど要らない。
 思えば、ハーレムには随分と酷い事をした。僕は、彼に甘えていた。
 喧嘩ばかりしていたくせに、悪態をついてばかりいたくせに、彼はどうして僕に優しい?
 彼ばかりではない。兄さんも、高松君も、みんな優しかった。
 ――僕は、自殺するしか無くなった。自分自身から逃げる為に。
 これが、裁きの結果だ。
 空気の綺麗な所だ。こう云う場所を『楽園』と云うのだろうな。
 汚い僕が、美しい此処で死のうとしている。神は残酷で優しい。
 生きて帰って来ることが出来たら、また出撃しようと目論んでいた。
 僕の果てしない自殺は、だが、ここで終わりそうだ。
 瞼を閉じた時――
『……ザー。ルーザー』
 誰だ。僕を呼ぶのは。
『私だ。ルーザー。青の一族を造った、私だ』
 今のは何だ? 何故、そっとしておいてくれない?
『お前をここで死なせるのは簡単だ。だが、お前と云う駒を失うのは、あまりにも大きな痛手だ』
 駒だと? 僕は、駒などではない。
 一瞬、怒りを覚えた。しかし、駒で無かったとしたところで、私は何者だと云えただろう。
 罪の意識の芽生えた”人形”か。創造主とやらの。
(貴方は――青の一族の生みの親なのですか?)
 僕は意識の中から語りかけた。
『そうだ』
 この存在にかかっては、兄もまた、傀儡であると云うのだろうか。だが、それよりも、大きな存在を、僕は知っている。
 先程感じた物。無限大に広がる、穏やかな気持ち。生まれた時から持っている、誰にでもある力。
『大いなる存在を感知したとしても、お前の罪が消えた事にはならない。次に覚醒した時、お前は今以上の強さを持つだろう』
 強さとはなんだ。
『しばらく眠らせておいて遣る。だが――時が熟せば――動き出すだろう。青の一族の器として』
 何だって?
 僕は愕然とした。
 折角、其処から逃げて来たと云うのに。また僕に罪を犯させる気か!
『安心しろ。お前の意識の及ばない所で、事は運びつつある』
(待ってくれ。待ってくれ――)
『足掻いても無駄だ』
(神よ――)
『私が神だ』
(違う、お前など神ではない!)
『では、神とは何だ』
(神とは――)
『答えられまい』
 そうだ。確かに僕の負けだ。認めなくてはならない。
 けれど、ゲームの様に、ひとの人生を動かしているこの存在だけが、神とは限らない。
(神とは、森羅万象だ!)
『ほう……では、私も神と認めるのだな』
(ええ。しかし、貴方を超える存在も、在ると思います)
『なかなか面白い事を云う。お前達を直接造ったのは私だが』
(たとえそうでも、私は貴方よりもっと偉大な者を信じる)
『今まで裁きを待っていたにしては、随分と威勢のいい。その方が以前のお前らしい。お前の寿命は、一旦ここで尽きるとしても――な』
 創造主は、にやりと笑った――ように感じた。
(私は――私を操ろうとするならば、貴方を返り討ちに合わせますよ)
『楽しみにしている』
 青の創造主が、僕の意識から離れていくのが解った。途端、すぅっと力が抜けた。僕の意識も途切れがちになった。
(兄さん、弟達よ――それから、生まれて来る私達の息子よ。どうか、負けないで――)

後書き
ルー兄のハピバ小説です。ルー兄別人ですね。
最初の予定では、もうちょっと救いのないラストになるはずだったんですよね。
まぁ、悩ませてばかりいても、ルーザー可哀想か。
冒頭の句は、『僕は裁かれるでしょうか――』から、タゴールの詩に書き換えました。キューブラー・ロスの本に載ってたんですよ。いつか使おうと思って、ストックしておいてました。こっちの方が勇ましい……。私にゃ到底真似できません(汗)。
「神とは森羅万象だ」
この台詞は、故河合隼雄先生の著書の中で紹介されていたエピソードをもじったものです。
ユング心理学を
学んでいた彼は、『自己(セルフ)』の象徴とは?と訊かれ、『森羅万象』と答えたそうです。
昔一度読んだ限りですが、さすが河合先生だなぁと感じ入ったものです。

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