誕生会にて

「ジャン、12日の夜は空いてるか?」
「ん? 空いてるけど、どうして?」
「ルーザー兄さんの誕生会があるんだよ――ほら、これが招待状」
 サービスがピンクの封筒を渡した。微かな香水の匂いが芳しい。
「ありがとう。誘ってくれて」
「当日は僕も行くからね。じゃ」
 サービスはそう言い残して、ジャンの部屋を後にした。
 ジャンは封筒を開けてみる。日時と場所、末尾に、ルーザーの直筆と思しきサインがあった。
(ルーザーさんか……)
 どういう人物だか、未だにつかめない。或る意味、マジックより謎めいている。
 一見大人しそうな物腰なので、インパクトが薄いのかもと思いきや、高松から聞かされている話では、何だか随分高飛車そうなところもあるようだ。高松はそれを含めて、ルーザーと言う人物を愛しているみたいだが。
 これは、ルーザーのことを知るチャンスだ。
 赤の一族の間者としての任務も帯びている、ジャンはそう考えた。

 六月十二日。パーティーの日。
 士官学校の制服姿のジャンは、サービスに連れられて、青の一族の邸に来た。
 シャンデリアに大理石の床。
 大広間には、正装に身を固めた男女が、てんでに飲み物を持ちながら、談笑していた。
 楽団が音楽を奏でている。
「うわー、賑やかだなぁ」
「僕の兄の誕生日だもの」
 ジャンの無邪気さに、サービスが得意そうに微笑みながら答えた。
「これでも少ないくらいなんだよ」
「サービス、ジャン」
「高松」
 悪友の高松である。そして、ルーザーを心から尊敬している少年である。
 高松は、この間、恋人のあやめを亡くしたばかりであった。
 ルーザーの誕生会が傷心の高松を少しでも元気づけることができたら……ジャン達はそう願っていた。
「私もルーザー様を探しているんですよ。じゃ、また」
 高松らが去って行った。
「どこにいるんだろう――ルーザー兄さん……ねぇ、ジャン。――ジャン?」
「ん? ああ」
 ジャンは、ある一点を見ていたのだが、サービスの言葉で現実に戻った。
「さては、おまえも好みの女の子でも見つけたのかい?」
 そう訊かれても、説明は難しい。
「ああ。――まぁ、そんなとこ」
「じゃあ、呼んでやるよ。おーい、イザベラ先生!」
 おがくず色の髪。だがなかなか美人の白いドレスを着た女性が、シャンパングラス片手に近付いてきた。
「い……イザベラ先生?!」
「先生、ジャンが先生のことを凝視してましたよ」
「あら。私、これでも人妻なのよ」
「いいっていいって。ジャンは先生の相手してあげなよ」
「ちょっと待てよ、サービス」
 サービスは人ごみの中に紛れてしまった。
「あの子、いい子でしょ」
「ええ!」
 ジャンは威勢よく頷いた。
「とても……いい友達です」
「そう。あの子の双子の兄にも、友達はいる?」
「ハーレムのことですか? 彼にもちゃんと友達はいますよ」
「そう、良かった。でもここには来ていないようね」
「なんでわかるんです?」
「あそこでずっと壁の花やってるから」
 ハーレムは、窓の桟に座って外の景色を眺めていた。
「退屈そうですね」
「まぁ、苦手な兄の誕生会だからね。きっといやいややってきたに違いないのよ」
「俺、ちょっと行ってきます」
 ハーレムの近くに来たら、彼は案の定、うろんな顔で迎えた。
「何か用かよ」
「――イザベラ先生が心配してたよ」
「――させときゃいい。このくそ忌々しい会が早くお開きになることを祈ってるよ」
「でも――」
「相変わらず口が悪いね。ハーレム」
 このノーブルな声は――。
「ルーザーさん!」
「やあ、ジャンくん」
「あ、あの、俺が来て迷惑ではないですか?」
「そんなことはないよ。お客様をもてなすことができるのは嬉しいことさ」
「でも……その……」
 ジャンは、言葉を探した。何となく、ルーザーには苦手意識を持っているのだ。
 どこか心を許せない。たとえ、表面上はどんなに親しくなったとしても。
 ハーレムの気持ちもわかる気がした。
「ルーザー様!」
「ルーザー兄さん!」
 ほぼ同時に、二つの声が飛んだ。
 高松とサービスである。
「やあ、高松君。元気だったかい?」
「ルーザー様の為ならば、元気を出さずにはいられませんよ! ほら、スクワット! スクワット!」
 見ていたルーザーが、くすっと笑う。
 けれど、ジャンは勘付いていた。高松の溌剌さの陰に、悲しみが隠されていることを。
「もう大丈夫かい? 高松君」
「はいッ!」
「……無理はしなくていいんだよ」
「無理なんかしてません。この高松、ルーザー様の為ならば、鼻血は出しても、涙は流しません!」
「鼻血も困るよ。でも、本当に君はあの女性のことを好きだったからねぇ……ねぇ、覚えてる? あの人が僕達と初めて会った日のことを――」
「ええ……」
 高松の表情に、翳りが現れた。 
 その後ろには、『野沢あやめ』という存在があった。
「あやめさんは素敵な女性だったね」
「――もう、あの人以上の人には会えませんよ。女性の中では」
「まさか、あんなことになるとは思わなかったよね」
「はい……」
「高松君は、あの人のように、死なないよね?」
「死にません!」
「あやめさんのことは、僕も好きだったよ。友達としてね。忘れられないよね。でも、君なんかまだ若いから、これから新しい出会いが沢山見つかるよ」
「今は……」
「今はまだ無理かい? でも、時の流れが全てを癒してくれるよ」
 ルーザーのその台詞に、高松の顔が強張った。
「それとも……癒されたくないのかい? だったら、そのまま生きて行くがいいよ。死んだ恋人の亡骸を心の中に抱いたまま、寂しい人生をね」
「ルーザー様! 私は……!」
 高松が言いかけたときだった。
「兄さん、もうそのぐらいで……」
「やめとけよ、兄貴」
 サービスとハーレムが、次々にルーザーにたしなめの言葉をかけた。
「そうだね。ごめんよ。今日は、楽しんで行ってくれるね?」
「はい」
(なんか、気になるなぁ……)
 ジャンは穏やかでない気持ちであった。
 ルーザーは、猫が鼠をいたぶるように、高松に接している。高松の反応を楽しんでいるのか。
(俺の気のせいならいいんだけど)
「それにしても、ここは窮屈だ」
 ハーレムが乱暴に話題を変え、タイをゆるめにかかる。
「だめだよ、ハーレム」
 ルーザーが止めにかかる。
「俺も、ネクタイは息が詰まるよ」
「だからと言って、外すことは許さないよ。せっかく僕が結んであげたんだから」
「――夫婦ですか? アンタら」
「俺、ネクタイきちんと結べないんだよ。靴ひもも結べないし」
「自慢になりますか!」
 高松は、さっきより明らかに生気を吹き返している。
「こいつと夫婦だなんて……悪い冗談やめてくれよ、高松」
「おや。こだわりますねぇ。さては、満更でもないのではないですか? サービス」
「よしてくれよ」
 サービスは複雑そうな表情を見せた。
 気楽な台詞の応酬は、高松の気持ちを軽くしたようだった。
「わかった。二人とも僕が結び直してあげるよ」
 ルーザーがにこやかに申し出た。
「お断りだ!」
 ハーレムが言い捨てた。
「俺は……」
 ジャンは迷った。ハーレムみたいにはっきりと応対できるといいのだけれど。
「ちょっとネクタイが曲がってるね……」
 ルーザーが近付くと、ふわりと香水の香りがした。招待状から香ってきた匂いとは違う。
 どんな香水なのかは知らないが。
「いい匂い……」
「ああ、これかい? マジック兄さんから渡された香水を早速つけてみたんだ」
「ルーザー様にぴったりですね」
 匂いを嗅いでいた高松が、うっとりとした声を出した。
 少しの間でも、あやめのことを気にしないでいてくれたら、それでいい、とジャンは思っていた。
 ルーザーは、ジャンのネクタイをきちんと直してくれた。
「じゃ、僕はあちらで一旦グラントさんに挨拶してくるから」
 ルーザーが場を離れ、笑顔でグラントと話しているのを見ると、ジャンは、ほのぼのした気持ちになり、さっきのことは、杞憂だったのかと胸を撫で下ろす。
「あーっ!!」
「何だよ、ジャン」
「俺、プレゼント用意するの忘れてたよ!」
「仕方ない人ですねぇ……私は、ちゃあんと持ってきましたよ。超高性能の盗聴器……」
「眼魔砲ッ!」
 ハーレムが、高松の盗聴器を壊した。
「ひどいですね、あなた! せっかく電子工学部に無理言って作り方教えてもらった手作りの機械を……」
「そんな手作り、呪われちまえ!」
「高松……それをどうしろと」
「まさか、ルーザーさんのところに仕掛けるつもりだったんじゃ……」
「いくらなんでも、そんなことはしませんよ。いろいろ使い道はありそうですが」
「……悪寒がしてきたぜ。だいたい、見当がつくからな……」
 ハーレムがぶるっと身を震わせた。
(ハーレム……あの機械を壊してくれて、本当に感謝だ。だが、こいつのことだ。またきっと似たようなの作り出すぞ……)
 ジャンも密かに危惧した。
 しばらくして、ルーザーが再びやってきた。
「お待たせ。ジャン君と高松君のシャンパン、持って来たよ」
「いいの? 僕達まだ未成年だよ」
 サービスが言った。
「関係ねぇだろ」
「ハーレム。君は少し黙ってろ」
 サービスがハーレムを睨む。
「今日は無礼講さ。ハーレム、サービス。君達は自分で持ってきなさい」
「わぁった」
 ハーレムは桟から降りてお酒を取りに行った。姿が見えなくなる。
 ルーザーは、ジャンと高松に気泡の立ち上る透明な液体の入ったグラスを渡すと、また客の群れの中に引き返して行った。
 ジャンは、グラスを傾ける。フルーティな味と細かな気泡の感触が口の中に広がる。果物のさわやかな香りが鼻を抜ける。
 飲み干すと、近くを通った給仕にグラスを持って行ってもらった。
「なぁ、高松。野菜とか園芸部で育てているんだろ? その作物を届けた方がいいんじゃないか?」
 ジャンが思いついたことを口にする。
「それだと、いつもと変わり映えがしなくて、つまらないでしょう?」
「あ、いつもあげてたんだ」
「当たり前ですよ。その辺に抜かりはありません」
「だからって、盗聴器はないだろう?」
 サービスが呆れ顔で言う。
「ちょっとしたお茶目ですよ。それに、こうなるのはわかってましたから」
 高松が、ふっと遠い存在になったように、ジャンには感じられた。
「私の本当のプレゼントはね――」
 高松が言いかけたときだった。
 巨大なケーキが大広間に運び込まれた。
「わぁー、でっけぇ!」
 ジャンが声を上げる。
「あれ、中に人が入っているんだよ。ここから美女が出てくるって寸法さ」
 サービスが説明する。
「ふぅん……」
 そのとき、ジャンの頬のあたりを、緊張感が走った。
「離れろ! サービス!」
 刹那――
 ボォン!
 ケーキが爆発した!
 ジャンはサービスを庇うように覆いかぶさる。
 二人は爆風に吹き飛ばされたが、無事であった。
 壁の一部が損壊した。
 幸い怪我人は軽傷数名。
 だが、炎が燃え出した。タペストリーに、赤い絨毯に。正面玄関にも近づけない。
 最前、ジャンが見つめていた視線の先には、非常口があった。煙の中、招待客達を誘導する。
「これで最後か?!」
「ああ」
「じゃあ、俺達も急ぐぞ!」
「わかりました!」
 ハーレム、サービス、ジャン、高松の四人は、急いで外へ出た。
 消防車が来て、消火活動に当たっている。
 逃げてきた人々は大部分はひとかたまりになって、ざわざわと囁き交わし合っている。子供の泣き叫ぶ声も聴こえた。
「――ジャン!」
「どうした? サービス」
「ルーザー兄さんがいない! マジック兄さんも!」
「え?!」
「ルーザー様が?!」
 傍にいた高松の顔が蒼白になった。
「そんな……ルーザー様ッ!」
「まさか、まだ中にはいないだろうな!」
「そういえば……ルーザー様のお姿が見えなかったような……とっくに避難したものとばかり……!」
 高松が邸に向かって駆け出そうとした。それをジャンが羽交い締めで止めた。
「離してください! ルーザー様ッ! ルーザー様ッ!」
 高松が半狂乱になって暴れ出す。
「高松! 兄さん達はまだ逃げ遅れたと決まったわけではない!」
 サービスは、高松の頬をはたいた。
「探すぞ!」
 サービスとハーレムは、辺りを眺め渡し始める。
 ジャンも、正気に返った高松も、ぐるりを見回す。ルーザー達の姿は見えない。
(やっぱりあの中か……)
 突如、人々のざわめきが大きくなった。
「いたぞ!」
 歓呼の声が上がる。
「おお――」
「マジック総帥――」
「ルーザー様――」
 マジックがルーザーを抱きかかえながら、邸の中から現れたのだ。
 彼らの背後では、まだ炎が燃え盛っている――。

 後日、爆弾がケーキの中の美女とすり替えられていたことが判明した。
 いつ入れ代ったのか――神のみぞ知る。

 病院の庭を、ジャンと高松が散歩していた。
「高松。おまえの本当のプレゼントって、何だったんだい?」
「なんだ。覚えていたんですか。私の本当のプレゼントはですねぇ――私の命です。あやめさんに死なれた後、私にはルーザー様しかいませんのでね」
「ルーザーさんは、おまえが死んでも喜ばないよ……」
 そうだ。とにかく、高松が自殺行為をしなくて助かった。
「その通りだよ」
 後ろから声がした。心の中を読まれたような気がして、ジャンはびくっとなった。
 振り向くと、ルーザーがそこに立っていた。
「ルーザー様! お加減はよろしいんですか?!」
「ああ」
「でも、気絶してらっしゃいましたし――」
「心配しなくてもいい。脳にも異常がないし、あれから時間も経っているしね。それより、高松君。君の命なんて、僕は欲しくない」
「でも――」
「ああ。あやめさんのことについては、気の毒だったね」
「はっ。ええと……」
「あやめさんに君を奪われるような気がしていたからね。僕は彼女に嫉妬していたよ。――僕はね、君を家族にしたかったんだ」
「家族――」
「そう。僕達を助ける、僕の家族。――僕がもし子供を持ったら、君はその子を慈しみ、愛し育てる――そんな存在に、なってもらいたかったんだよ」
「慈しみ……愛し、育てる」
「だから、君の命、僕の未来に預けてくれないか? それが、最高のプレゼントだよ」
「はいっ!」
 高松はの応えは、清々しいものであった。
 そして――ジャンもほんの少し、ルーザーのことが好きになった。

2009.6.12
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