誕生

 ――その日、老パプワは、珍しく落ち着きをなくしていた。
 檻に入れられた熊よろしく自宅の前をうろうろしていた彼は、何かを待っているようだった。
 事実、彼は待っていたのだ。――妻の出産を。
 やがて、産声が家の中から聞こえてきた。
 医者のみみずくが出てきて、「おめでとうございます。男の赤ちゃんですよ」と報告したとき、老パプワは、「うむ」といつもの威厳を取り戻して短く返事した。
「あなた……」
 子を産んだばかりでぐったりしている妻は美しく、この上なく愛しい存在に思えた。
 産婆のシマフクロウも、臍の緒を切った後、赤ん坊に産湯をつかわせていた。
「名前をつけてやらなくてはな。――アルスと言うのはどうだい?」
「あなた、パプワじゃいけませんの?」
 赤の一族の男は、代々パプワと言う名前をつけることが、ならわしになっている。
「ははっ。パプワはあの子に手向けとしてあげるよ」
 この赤ん坊が生まれる前、妻は一人、子を産んだことがあった。――死産だった。
 妻は泣いて暮らし、老パプワもがっくりと気落ちした。
 そして今、命を授かったこの子は、絶対に大切に育てよう。老パプワはそう決意して、赤子を抱き上げた。
(パプワのことも、こうやって抱いてやりたかったな)
 まだ亡くなった子供に未練があるのかと、老パプワは思ったが、いや、そうではない。パプワもアルスも、同じように可愛くて、同じように愛している。
 海の見える丘に、死んだ子供の墓がある。パプワと言う名前を引き継ぐ子は、あの子しかいない。
 妻は、初めての授乳を終えたのち、疲れからか、眠りに陥っていた。
「パプワや~」
 老パプワには聞き覚えのある声がする。島の長老、カムイである。
「もう赤ん坊は生まれたかの?」
 カムイは、老パプワ達の家に、すうっと入ってきた。
「おお。この子か。めんこい子じゃ」
「はい。アルスと名づけました」
 老パプワは先手を打った。
「アルス? はて……」
 カムイは、面妖なものでも見るように、老パプワを見た。
「確か、異国にそんな名前の勇士がいたような気がするが」
「ええ。その人にちなんで、勇敢で力強い子供に育つようにと思いまして」
「そうか、そうか」
 カムイはたちまち相好を崩した。
「おお、よしよし。アルス、わしはカムイじゃ。よろしくな」
 カムイは、泣いている赤ん坊の顔を覗き込んでいる。老パプワは、穏やかにこの光景に眺めいっている。
「ところでな、パプワ。隣村にも、女の子が産まれたんじゃ。おまえもよく知っておる夫婦じゃよ」
「そうですか。そしたら、将来、その女の子が、息子のお嫁さんになるかもしれませんね」
「かもしれんの。この島の人間は、あの家族を除けば、お前さん達ぐらいのものじゃからのう」
 昔、赤の一族は大勢いたが、だんだんと人口が減っていった。理由はわからない。島と共に沈んでしまった、という言い伝えもある。
「ヨッパライダーも来たがっていたが、あやつはうるさいし、第一この家に入れん」
 カムイが、ホッホッと笑った。
「後で報告に伺います」
「いやいや。いいんじゃよ。そんなに気を遣わずとも」
「しかし、いつもお世話になっているんですから」
「では、落ち着いたら行ってやってくれんかのう」
 あやつも寂しがりでな、その割に、見栄を張って、寂しくないふりをしてるんじゃ。困ったやつじゃ、と、カムイは付け加えた。
 しばらく談笑してから、カムイは帰って行った。ミミズクの医者やシマフクロウの産婆と共に。
 外に出ると、いつものように、太陽がぎらぎらと輝いていた。南国の日差しだ。
「神様、私の息子です」
 老パプワは、太陽に向かって我が子を差し出した。
 光を浴びたアルスは、嬉しそうにバタバタと手足を動かした。ミルクと日向の匂いがした。

後書き
はい、オリジナル設定です。
完全オリジナルと言ってもいいかもしれません。この話の設定は、昔から考えていたものでした。
原作のパプワは、もっと違った展開です。
2008.6.27

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