STELLA
4
 そこここに木々が生えているだけの森を、ハーレムは散策していた。
 ステラの歩く姿が見えた。
「ステラ」
 呼びかけたが、ステラはちらと彼の方を向いただけで、また前を向いて歩き始めた。
 ハーレムは、隣に来て、一緒に歩足を並べた。
 二人とも、しばらく何も喋らなかった。
(どうして、ルーザーを選んだんだ)
 口をきいたら、ステラを責めそうだった。
 だが、彼の男としての矜持が、そんな女々しい真似を許さなかった。
 それに、これ以上ステラを泣かせたくなかった。
 小川の近くに来た。
 ステラは、じっと川の流れを見つめていた。
 やがて、沈黙を破って、ステラの綺麗な唇から、台詞が零れた。
「――恋をしていたの」
「え?」
 唐突な彼女の言葉に、ハーレムは間抜けな声しか出せなかった。
「ルーザー兄貴に?」
「貴方に」
 小川を凝視しながら、ステラは告白した。
「貴方が、私と逃げようとしたとき、私は数分間、貴方に恋をしたの。――初恋だったわ」
「短い恋だったな」
 短か過ぎる恋。ハーレムは、心の奥底で苦さを感じていた。
「でも、貴方とでは、上手くいかないこと、わかってた」
「…………」
「貴方と私は、あまりにも似通っているから――」
「それで、ルーザーを選んだのか」
「ええ」
 ステラもハーレムも、また口を噤んでしまった。またしばらくしんとしてしまった。
 漸く、ハーレムが口を開いた。
「なぁ、ステラ。俺のこと、少しでもいいから好きだったって言うんなら――さよならのキスをしてくれないか?」
「ええ」
 ハーレムの唇に、ステラの唇が、小鳥の羽のように、柔らかく触れた。
「あばよ」
 ハーレムは、ポケットに手を突っ込んで、跳ぶような足取りで、そこを離れた。

(私がはっきりさせておかなかったのが悪かったんだわ)
 ステラは心の中で呟いた。
(ハーレム――私と貴方は同じなの。愛したい、愛したいと、愛する対象を求めている。でも、ルーザーは違う。あの人は、愛されたがっている――)
 ステラが研究所に入ると、ルーザーが出迎えてくれた。と、思うと、いきなり抱きしめられた。
「ステラ、ステラ、もう離さない」
 人目があるのも気にせず、ルーザーは言った。
「怖かった――君とハーレムがいなくなることが。ゆうべ一晩考えた……悪夢しか見なかったよ」
「大丈夫よ。ルーザー、大丈夫よ」
 自分にも言い聞かすように、ステラは言った。
「私はどこにも行かないわ。ずっと貴方と一緒よ」
「ほんとかい?」
「本当よ」
「じゃあ、結婚してくれるかい?」
「ええ。貴方からプロポーズされたら、喜んで嫁ぐつもりでいたわ」
「――ステラ」
 ルーザーはもう一度、強く抱きしめた。
(愛したい――愛したい――愛したい)
「結婚しましょう。ルーザー。愛してるわ」

「で? 結局ステラは諦めるんですか?」
「まぁな」
 学生寮の高松の部屋で、ハーレムと高松が、空を見上げながら話し込んでいた。
「キス一つで別れるなんて、中学生じゃあるまいし」
「仕方ねぇだろ」
「あなた、『ステラを幸せにする!』と大言壮語吐いた割には、大したことありませんねぇ」
「何とでも言え。ステラが選んだことだ。俺は降りる。おまえは勝手にやってな」
「その予定ですよ。私は認めません」
「おまえが認めなくても、結婚の準備はどんどん整って行くぞ。それに、おまえはステラに敵わない」
「ルーザー様に敵わなかった貴方が何言いますか」
「ステラは、特別だからな。ルーザーだって、あんな婚約者がいるのに、おまえになんか転ばないさ」
「まだわからないでしょう」
「苦労するぞ」
「わかってます。あなたはどうするおつもりですか?」
「俺か? 俺は、落ち着く先が決まるまで、流離うつもりさ」
「――本当に、不器用な性格ですね」
 高松は、妙に納得したように、溜め息まじりに呟いた。
「それに、俺は平気さ。俺は、男だからな」
 ハーレムは、己の決意を表明した、さっぱりした顔で、高松の方に向き直った。
「ちょっと、芝居がかってますね」
 高松は言ったが、決して嫌味には聞こえなかった。
「こんなセリフ、一度使ってみたかったんだ。文句あるか」
「ないですけど……」
 高松は笑いをこらえた。ハーレムはムッとしたが、やがて、言いたい言葉を見つけたようだった。
「まぁ、相手が生っちろい野郎なのが、拍子抜けだけどな」
「誰が生っちろいですか! このメラニン色素過多!」
「戦場にいるとな、どうしても日焼けするんだよ。元は白いんだぜ」
「まぁ、あなたの顔が白かろうが黒かろうが、どうでもいんですけどね」
 些か乱暴に、高松は話を打ち切った。
「さてと、私、サービス達と一緒に食事するんですが、貴方もどうです?」
「遠慮しとく。これから用事だ」
「――どこかに行かれるんですか?」
「さぁな。マジック兄貴次第だ」
 この男は、どこかへ飛んでいくつもりだ、と高松は悟った。
 地雷、爆発の音。硝煙の匂い。
 そんなところに身を置きたいのだろう。
(早速自分で言ったことを、実践するわけですか)
 高松は、強いて止めはしなかった。
 若い体は、苦い初恋の名残を過ぎゆく年月の中に落していくだろう。そして、いつの日か、思い出は贅肉を削ぎ取られ、いずれ過去の話の種になっていくだろう。
(私にも、そんな時期が来るんでしょうかねぇ)
 取り敢えず、今は、ルーザーへの情熱に身を委ねようと、高松は思った。

後書き
終わったーーーーーっ!!
ようやく終わりました。ハーレムの初恋話。
もう五年以上も温めてきた物語です。
その結果がこれだ、というのは、私の筆力の結果なんですけど。
大門さんと、携帯メルで話していて、
「ハーレムの初恋話、読みたいです」
とのご返事が返ってきたので、じゃあ、ここでひとつ、書いてみようかと、筆をとった……いや、正確には、パソコンのディプレイに向かった次第です。
献辞も大門さん宛てにしました。
それでは。私は今、70パーセントくらい満足です(中途半端だな)。


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