戦場へ赴く男

「ルーザー」
 南部訛りの英語で呼ばわる声がする。ルーザーが「はい」と返事をした。金色の髪。白皙の美貌――。
 ルーザー。敗北と言う名の男。
 今までの人生は成功だったか敗北だったか否か……。
 香水の甘い匂いがする。サービスからもらった香水で、ルーザーのお気に入りだった。
 空が薔薇色に染まっている。虫がすだく。もうすぐ夏なのだ。
 初夏の薫風がルーザーの髪をそよがせ、吹き過ぎて行く。激戦区とは思えないくらい、のどかな光景だ。こんな土地で死ねたのなら、悔いはない。ルーザーは、罪を犯した自分を罰する為、自らこの激戦区に赴いたのだ。
 サービスには、泣かれたな……。そして、あの子にも……。
(行くなよ。ルーザー……)
 後朝の別れにそう言ったハーレム。……兄弟同士の、不毛な恋。いや、恋しているのは自分だけだったのかもしれない。
 ハーレム。確かに彼には酷いことをしたかもしれない。けれど、愛情は本物だ。――本物の、つもりだった。
 けれど、サービスも好きだった。この、いつ死ぬかわからない戦場に赴いたのは、サービスへの負い目があったからだ。……双子達には迷惑をかけた。今ならば、それがわかる。同僚がいなかったら、ルーザーは自責の念で押しつぶされていただろう。
(ハーレム、サービス。ごめん)
「ルーザー、ここにいたのか。――夕食だ」
「ああ……」
 手紙をしたためようと思ったが、出来なかった。ルーザーは詰所の食堂で食事をとる。夕食は存外に旨かった。死に行く者達へのサービスなのだろうか。
 もうすぐ、戦場だ。
 硝煙の煙の匂いは嫌いではない。あの子も硝煙の匂いを纏った少年だった。
「ここ、いいか?」
 さっきの南部訛りの黒人だった。
「いいよ。どうぞ」
 ルーザーも喜んで肯う。このボビーと言う男は、最初からルーザーに話しかけ、何くれと世話をしてくれた。別に変な下心がある訳ではなく、一人で憂いていたルーザーを放っておけなかったのだろう。
「おい、ルーザー」
「何です?」
「――死ぬなよ。お前にはまだ未来がある」
 未来ね……。
 ルーザーには未来など、ないも同然のように思っていた。罪の意識に目覚めてから、彼の将来はなくなった。
(兄さん、どうしてですか――僕のせいですか?)
 サービスが泣きながら言った言葉を思い出す。誰のせいでもない。強いて言えば、己の責任だ。
 人は皆、誰もが己の責任を負って生きていくのだ。
 だが、ルーザーは、右目を失くした末弟の姿を見ることが耐えられなかったのだ。それが――自分の弱さだと、思う。
(ルーザー、サービスには、アンタがジャンを殺したことを言わないでくれ……頼む)
 滅多に僕に頼みごとをしないハーレムの――涙。
 その時のハーレムの姿は、とても哀しくて、とても――美しかった。以前だったら押し倒すこともあったろうに。でも、ルーザーはそれどころではなかった。
 いつからだろう。ハーレムが己の前で笑わなくなったのは……。
 いや、笑ってくれていた。ルーザーはハーレムを犯した。それでも。
(何故、ハーレムは僕を責めなかったのだろう……)
 ハーレムには、ルーザーを責める権利があったはずだ。だが、ハーレムはサービスのことしか、口にせず、サービスの心配しかしていなかった。
 それが、一番堪えた。詰られる方がまだしもだ。けれど、ルーザーは、自分がハーレムの立場に立った時に、同じ行動をとったであろうことは容易に想像がついた。けれど、多分、相手を思う存分罵ったであろう。
 ――ハーレムは、それをしなかった。
「手が止まっているぞ」
 ボビーに教えられ、ルーザーは我に返る。シチューを口に入れる。やはり旨い。専属のシェフでも雇っているのだろうか。兄マジックのすることはどうもよくわからない。
 いつ死んでもおかしくないような我々なのに――。
 やはり、夕食の後には、手紙を書こうと思う。
(ハーレム、サービス、愛してる――)
 例え、愛情のベクトルが違っても。サービスに注いだのは情愛で、ハーレムに注いだのは愛欲だった。
 ルーザーの劣情を受けて育っていくハーレムを見るのは楽しかった。ハーレムが男どもの注視に晒されるようになったのも、計算のうちだった。――ハーレムが結局は自分のところへ帰って来ることをルーザーは知っていた。
 これは、自分で自分に与える罰だ。
 ここで死ねなければ、他の激戦区を転々とするだろう。――自分が、死ぬまで。
(お前は、罪から逃げているのだ)
 マジックが重々しくそう言っていた。反論は出来ない。だって、その通りなのだから。
「……でな。ルーザー。何を雰囲気重くしている。緊張してるのか? ああ、そうか。これが初陣だったな。今までは科学畑で何かとやっていただろう?」
 ボビーが言う。
「俺には難しいことはわからんがな」
「僕もだよ。――僕にも、難しいことはよくわからない」
「アンタみたいな天才でもか」
「僕は、天才じゃないよ」
「ふぅん」
 ――ボビーはパンにシチューを浸して食べる。マジックには行儀が悪いと言われていたが、ハーレムも同じような食べ方をしていた。
「天才か……真の天才は高松だよ」
「高松? ああ、アンタの弟の友達か。……うん。名前ぐらいは聞いたことがあるぞ。誰彼構わず人体実験をやる男だって」
「それは酷い」
 ルーザーは思わず吹き出してしまった。ルーザーは高松のことも弟同然に思っていた。
(高松君……僕が死んだら、君は泣くだろうか……)
 サービスが目を抉った真相を知った時、高松は悲しそうな顔をして俯いていた。あの子は優しい子だから……誰に誤解されようと。ルーザーは高松も好きだった。
 けれど、たったひとつ心残りは、もうすぐ生まれる息子をこの手で抱けないかもしれないことだった。
 ここで運良く助かっても、ルーザーは最早二度と故郷の地を踏むことはない。兄弟達には悪いことながら……。
(兄さん。僕は裁かれるでしょうか――)
 滅多に泣かない己が、泣いた。ハーレムも泣いた。サービスだって……。マジックだけは哀しみを胸の中に潜めていることだろう。泣けないマジックにルーザーは同情した。
(僕も、同じだから――)
 ルーザーは泣いてすがるハーレムの前で泣けなかった。ハーレムが去ってから、ようやく泣けた。
 自分は、何てことをしてしまったのだろう。
 サービスがジャン――あの男を愛しているのを知ってて。ジャンもサービスを大切に思ってくれてるのを知ってて!
 いつか、ジャンの分も責めを負わなければならないかもしれない。
(ルーザー……アンタ、考え過ぎだよ。黙っていればわかんねぇよ。お前の罪なんか――お前、秘密を作るの得意だろ)
 記憶の中のハーレムがそう言っている。けれど、いつか告白してしまう。罪を背負って生きていくのは、死ぬより辛いことだった。――だから、マジックもルーザーの戦場行きを許したのだろう。
 もう二度と、サービスの失った右目を取り戻すことは出来ないのだから――。
(ルーザー兄さん……)
 そう言って無邪気に笑ってくれたサービスの記憶も今は昔。真相を知ったら、サービスはルーザーを憎む。……マジックはそれを知っていた。知っているからこそ口を噤むことにしたのだろう。
 マジックも、不器用な一人の青年にしか過ぎなかったのだ。ガンマ団の総帥であったとしても。
(マジック兄さん……ハーレム……全てを背負わせて、済まない……)
 ルーザーは心の中で懺悔をする。ボビーが隣で困った顔をしている。
「おい、ルーザー、ポーカーやろうぜ」
「済まないが、そんな気になれないんだ」
 戦士達は幕間の時間、ポーカーで菓子やタバコなどを賭けてトランプゲームをやる。ここにはそんなことしか娯楽がないのだ。
「あ、そうだ。ちょっと訊きたいことがある。……ボビー。君は自分から激戦区に志願したのかい?」
 ボビーは唇を歪めた。
「――馬鹿だなぁ。そんなこと、ある訳ねぇじゃねぇか。こちとら、美人の妻と三人の子供がいるんだぜ。くそっ。あんな事故さえ起きなかったら――」
 ルーザーはそれ以上訊く気になれなかった。彼はそこを後にする。
 外はもうすっかり暗くなっていた。あの子にだけは、ハーレムにだけは、僕の本当の気持ちを託そう。
 ハーレムだって、方法は間違っていても、確かに愛してはいたのだから――。
『ハーレムへ』
 ……ルーザーは二時間ぐらい、手紙を書くのに没頭していた。手元を懐中電灯で照らしながら。
「何だ。寝てなかったのか? ルーザー」
「ああ、ボビー。……君が無事生き残ることが出来たら、この手紙をハーレムに渡してくれないか?」
「わかった。……いや、お前が生き延びて大事な弟に渡すんだな」
 ボビーがウィンクしたのを見たような気がした。
「ああ。そうだな」
 けれど、ルーザーは、この地で死ぬのだろうと、予想していた。ルーザーは、自分が清々しい、晴れやかな気分になったのを感じた。もう、辛い兄弟達の顔を見なくて済む。
 自分には過去の、笑いながら陽だまりにいる、マジックや、ハーレムとサービス――双子の弟達との思い出しかいらない。現実逃避と言われても構わない。今は遥か遠くに去ってしまった夢を胸に抱いて、ルーザーは瞼を閉じた。

後書き
そうですね……もう書くことはあまりないんですが……。
パプワジャンルで書きたいものはもう殆ど書き尽くしてしまったし……。
アスとレックス君の関係は気になるけど……う~む……。
2020.06.05

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