サービスの休日

 ああ、いい天気だな――。
 サービスは手をかざして、天を仰いだ。青い瞳に映った空には灰色がかった白い雲が広がる。雲の間から日が差す。まるで天の階のようだ。
 本を持ってくれば良かった。今は絶好の読書日和だから。
 サービスは文学に凝っていた。キリスト教文学やら、戯曲やら――戯曲も立派に文学に入るとサービスは考えている。シェイクスピアがいい例ではないか。
 サービスの行く手には藤棚があった。藤棚の下には机とベンチが。そこは埃や砂が被っていることだろう。
(まぁ、いいか――)
 長い金髪が邪魔なので、サービスは髪留めのゴムできゅっと縛った。後ろで縛った髪がさらさらと鳴る。
 ――もう少しすれば、黄金の夕日が拝めることであろう。それは極上の景観だ。
 何て贅沢な日曜日だろう。――そう、サービスは考える。マジックの栽培している紫陽花を見て心を和ませながら、彼はそこを離れた。空気が美味しい。自然の空気に快い酔いを覚えた。
 自分が、殺し屋になる為に日々を過ごしているなんて、信じられないくらいだ。一人で、こんな風にずっと過ごせたらどんなにいいか。ジャンと高松を仲間に入れてやっても良い。――ハーレムは駄目だ。サービスは勝手に独り決めしていた。
 梢がさわさわ鳴る。もう、六月も中旬だ。
 しかし、サービスはかんかん照りの夏よりも、どこか空が憂いを帯びているような今の季節の方が好きだった。
 藤棚は少し前は花の盛りであった。綺麗なものを愛するマジックが作ったのである。
 サービスは綺麗だ。だから、愛される価値がある――兄達はよくそう言っていた。サービスも、自分の美貌に自ら恃むところがなくもなかった。
 ハーレムも自分の双子の兄だから、容貌は似ているはずだが、兄達の扱いはまるで正反対だった。性格のせいだろうとは思うが、兄達に何でもぽんぽんと言えるハーレムの気質が、サービスには少し羨ましい。
 思春期というのであろうか。ハーレムはいろんなことをしでかしては兄達を困らせる。自分はそんな風にはならないぞと、サービスは兄達の言うことをきいて大人しくしている。その上で、好き勝手に暮らして生き生きしているハーレムを羨ましがっている。
 僕には、思春期というものも許されない。
 どうしてそんなことを考えるのであろうか。サービスはいつもは自分に満足していたが。兄に可愛がられ、優等生である自分に。
 でも、今は休日だ。少しは羽を伸ばしてもいいだろう。
 ジャンに遊びに来てもらおうかな。ルーザー兄さんとチェスしたって構わないけど。
 サービスは自分には無尽蔵の時間があるような気がしていた。――学生時代はみんなそんなものなのだろうか。
 濃くて温もりのある、人肌の人工ミルクのような時間。錯覚でも母親みたいな存在に絶対的に守られている赤ん坊でいられると思えるその時間は思いの他悪くなかった。
 やっぱり、学校に行ってよかったなぁ。
 サービスは深呼吸をした。ここの空気は温かい。そして涼しい。サービスは晴れよりも曇りの方が好きだったが、ある一人の人物の出現によって、晴れもわるくはないと考えるようになった。そして、それと同時に暑い夏も悪くはないと思うようにもなった。でも、それに気づくのは、もっとずっと後のこと――。
 この空気に溶けてしまいたい。サービスはそう考えていた。――けれど、いずれそうなるだろう。永遠に生きる人間なんていやしないんだから。
 でも、今はこの青春を楽しみたい。みんなと――ハーレムとも。
 サービスはハーレムが嫌いではない。だが、一人突っ走るハーレムを見て、些か危惧していた。
 ルーザー兄さんは、あいつのことをどう思っているのだろうか――。
「僕かい?」
 あったかい、鼻にかかったソフトなテノールの声が聞こえた。――サービスはさっき思ったことを口に出していたらしかった。
「――誰?」
 確認をするまでもなかった。短く切った金髪、白皙の美貌。細い鼻梁。そして、青い瞳。青の一族の次兄、ルーザーである。
 学者肌の兄だったが、体にはしなやかな筋肉がついている。フェンシングも得意で、まさしく文武両道を体現している青年だ。
「ルーザー兄さん!」
 サービスは嬉しくなって声を上げた。
「やぁ」
 ルーザーは持っているハードカバーの本を携えて手を振った。可愛い弟に会えて嬉しいのだろう。サービスも尊敬する兄に会えて嬉しいのだ。声が弾む。
「サービスが家にいないから『どこに行ったんだろうね』とマジック兄さんと話してたよ。この時間はお茶をする時間と決まっているのにね」
 マジック兄さんとは、青の四兄弟、長兄マジックのことである。ルーザーとは違う意味で、サービスはマジックのことも尊敬していた。だが、マジックには威圧的なところがある。それで、一見優し気なルーザーの方に、サービスは懐いているという訳である。
「ごめんなさい。ルーザー兄さん」
「謝らなくていいんだよ。僕は君の自由は尊重しているからね。ハーレムが渋々君の分まで僕らの相手をしてくれたよ」
「へぇ。あいつが。――殊勝なところもあるもんだ」
「まぁ、ハーレムにだっていいところはあるさ。ここの藤棚は素晴らしいね。本当はもっと長い間花が咲いてくれるといいんだけど。僕が改良しようかな」
 藤棚を占領する藤は、春も酣になると、とても甘いいい匂いを漂わす花を咲かせる。その時期から今の時期にかけてはサービスの一番好きな季節だ。夏が来ようとしているが、まだ本格的な夏ではない。初夏というべきか。夏の匂いを運んでくる快い風。こんな時間がいついつまでも続いたらどんなにいいだろう。
「そうですね。ところで、その本は?」
 サービスはルーザーの持っていた本を指差す。古びた表紙の本。
「ああ、解剖学の本だよ」
 少しこの藤棚にはそぐわないかもしれないね。――そう言ってルーザーは笑った。
 ルーザーは生物学が専門である。しかし、医学にも興味を持ち、ゆくゆくは世界中の学問を学んで自家薬籠のものにしたいと言っていた。ハーレムは馬鹿にしていたが、サービスは素敵な夢だと思った。
「兄さんの勉強の邪魔しちゃ悪いね。僕、その辺を散歩して来るよ」
「ありがとう。暇があったらマジック兄さんのところへ顔を出しておいて。きっと喜ぶよ。ハーレムもいるかもしれないけれど」
「兄さん……僕は決してハーレムが嫌いな訳じゃ……」
 サービスは自分が言い訳めいたことを言っているような気がした。数年前だったら、その台詞も真実だったのであるが。
「わかってる。あの子も素直になれないだけなんだ。君はわかってやっておくれね。もしかしたら君の弟になるかもしれない存在なんだから」
 ――双子は、先に出た方が弟と見做される。少なくとも、昔はそうだった。早く受胎した方が兄と認められるから。
 ハーレムとサービス。どちらが先に出たかわからないが、お互いにかけがえのない存在であることは間違いない。だが、サービスはハーレムとの距離が年を追うごとに遠のくように思って、些か寂しく思った。
 ハーレムだって、同じ気持ちのはずだ。
 サービスにはハーレムの気持ちがわかる。だって、同じ双子なのだから。だが、ハーレムはマジックしか見ていない。それが、不満だった。
 だが、サービスにも友が出来た。ジャンと高松だ。高松は昔から知っているが、ジャンは士官学校に入ってから知り合った。それなのに、もう十年来の知己のように感じられる。
 勿論、喧嘩もする。だが、すぐに仲直りをする。家の事情で健全な人間関係に飢えていたサービスにとって、ジャンと高松はかけがえのない親友だった。――高松は悪友と言った方がいいかもしれないが。
 サービスはルーザーと別れて芝生を歩いていた。
「んー、いい風」
 サービスが声に出して言う。そう言うと、風がもっと気持ちいいものに思えるのだ。
 今の時期の他にサービスが好きな季節と言ったら冬である。彼ら双子が生まれた時期だ。彼らは二月十四日生まれだ。
(冬が一番好きになれればいいのにな――)
 だが、根本的に、サービスには嫌いな時期なんていつの間にかなくなっていた。春には春の、冬には冬の良さがそれぞれある。ジャンもとても共鳴してくれた。

 ――空が薔薇色に染まっていくような気さえする。もうすぐ夕餉の時間だろうか。
 お茶の時間に遅れてしまったな、とサービスは反省した。家族で過ごす時間は限られているというのに。――それも、ハーレムが兵隊としてガンマ団に入団したから。
 あいつの考えていることはわからんな……とマジックはこぼしていたが、サービスだってわからない。いろいろな双子マジックとか子供の頃から期待されて、サービスはそれがちょっとだけ嫌だった。
(ハーレム……僕から離れたいんだろうか……)
 それならば、気持ちがわかる気がする。同じ誕生日だというので、一緒くたに祝われるのが嫌になったのはいつからだろう。
 とにかく、マジックの元に行かねば――。罰されるという訳ではないが、マジックが寂しがるのが、サービスにとっての罰だった。そして、ハーレムにとっても。
(ハーレム、あんな優しい奴だったのに、兵隊なんて――)
 もう初陣を飾って――人を殺したこともあるのだろう。双子の兄は目つきがきつくなり、性格は捻くれて暗くなっていった。
 それでも、質問すれば受け答えはしてくれる。家族のイベントに付き合ってもくれる。彼本来の優しさはまだ残っているのだろう。残照とはいえ――。
 これから、もっとその残された優しさは削ぎ落とされて行くのであろう。自分もいつかそうなるのだろうか。涙を滲ませたまま、サービスは遠くを見遣った。
 ジャン、高松、僕達の未来はもっと明るいものだよね――? ハーレムのように、暗い人生歩まないよね。サービスは心の中で友人達にそっと語り掛ける。その物思いは風が攫って行った。サービスは、そのまま突っ立っていた。
(早く行かなくちゃ……)
 サービスは重い足取りで自宅へ向かった。――時計台の針が五時を回る。そこで、意外な人物と出会った。いや、彼もこの家の一員だから、意外な人物という程でもないかもしれない――ハーレムである。
「ハーレム……」
「よぉ……」
 ハーレムだって、サービスと会えば挨拶ぐらいはする。時計の鐘が五回鳴った。その時計の鐘の音はサービスもハーレムもとても好きだと昔話し合っていたものだった。――もう、遠い過去のように思える。
「ハーレム、僕、マジック兄さんのところへ行くんだけど、良ければ君も――」
「あいつらについてはもう充分世話してやったぜ」
「でも、せっかくの休みだし、僕も君と話したいし、ご飯も一緒に……」
「ルーザーはどこだ?」
 ハーレムはマジックへの敵愾心は敵愾心として、ルーザーにも恨みがあるようであった。何でだろう。あんな優しい兄なのに――。けれど、今の質問はただの疑問にしか聞こえなかった。ルーザーがいたら帰ってこないつもりなのだろうか。――ハーレムはそうしても無理はない少年ではあるが。
「わからない。僕が会った時には、本を持っていたから。まだ藤棚のベンチで勉強しているかもしれない」
「ルーザーもご苦労なこった。――そんなに無理しなくても、マジックはいずれそのうち死ぬのにな……いや、マジックでなくても、俺も死ぬ。お前も死ぬ」
「ハーレム……寂しいの?」
 何の脈絡もなく、サービスはそう言った。だが、ハーレムにとっては図星であったらしく、ちっ、と舌打ちをしてサービスの脇を通り抜けようとした。
「来ないのかい? ハーレム……」
 ハーレムは何も答えを返してこなかった。いつもだったら悪態だろうが、何かしら返事をしてくるのであるが。仕方がないから、サービスだけ家に帰った。――家にはマジックがいた。ピンクのフリフリのエプロンを着て。サービスは、そのエプロンはやめて欲しいなぁと思う。ガンマ団総帥としての威厳が台無しだ。
「兄さん、あの――」
「サービス、待ってたよ」
 マジックはサービスにハグをした。ハーレムはこういうのも嫌なんだな、と想像する。
「さ、木苺のプティングを用意したからね。――サービスの分もとっておいたからね。夕飯のデザートにどうだい?」
 ねぇ、兄さん。それ、特別僕の好物ではないからね。
 むしろ、それはハーレムの昔の好物ではなかっただろうか。サービスも可愛がられている方だと思うけれど、ハーレムは溺愛されている。それなのに、ハーレムはサービスの方が可愛がられていると信じ込んでいる節がある。あいつは兄さん達の優しさに甘えてるんだ。サービスは、ハーレムの出来ない役柄――即ち兄達の可愛い弟――を演じることにした。

後書き
サービス、学生時代です。
この頃のサービスも好きです。だから、士官学校シリーズなんて書いたんだけど。
これは士官学校シリーズの外伝と捉えてくだされば嬉しいです。
2018.10.12

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