Plerude~前奏曲~

 あたしがギデオンと会ったのは、八つの時だった。
 その頃のあたしは、娼婦でもみんなが言うように『気の強い姐ちゃん』でもなんでもなく、ただの純真な女の子だった。父の仕事の関係でアメリカを離れ、ドイツに行っていた。
 あたしはその頃から他人に睨まれる性格だったらしい。たった一ヶ月でクラスのほとんどを敵に回すなんて、いくら外国人だからという理由があっても、そうそうできる芸当ではない。
 でも、味方がいないわけじゃなかったんだ。
 ある日、あたしは下校途中、クラスのみんなに囲まれてしまった。彼らはあたしを通さないようにしている。女子も何人かまじっている。何を企んでいるのか知らない。みなニヤニヤ笑っている。どうにでも料理できると思ってるのだろう。
 ……一人じゃ何にもできないくせに。
 あたしは平気な顔してたけど、ほんとは心細かった。父もいない。母もいない。友達だっていない。周りは敵ばかりだった。
 でも、あたしはビビったりしなかった。隙を見せたら負けだと思った。
 あたしは動かなかった。しびれをきらして、あっちから動いてくるのを待った。
 リーダー格のやつが二、三言、何か言う。あたしが動じないのを見てとると、
「このアマ!」
と言って殴りかかってきた。あたしはしたたかに頬に拳を食らった。あたしも負けずに殴り返す。
 仲間が乱入してきた。髪をひっぱったり転ばされたりはたかれたり……ダメージが大きいのはあたしだった。あっちは人数が多い上に、喧嘩の強いやつも何人かまじっていたのだから。
(……助けて)
 なんと、このあたしが心の中でとはいえ助けを呼んだのだ。今だったらたいていのやつは全員のしてしまうのだけど。
 その考えに呼応するかのように……正義の味方が現れた。
「……やめろ」
 子供のくせに落ち着いた、低い声が降ってきた。あたしは泥の水溜りの中に顔をなすりつけられているところだった。
 この声には、聞き覚えがある。……誰だっけ。
 相手の力が緩んだので、あたしは顔を捻じ曲げて声の主を見やる。
 あたしと同じ学校の、クラスメートのギデオンだった。声だけで判断できなかったのは、彼、必要以上のことは喋らなかったからだ。
 噂もある。あれで実は喧嘩が強いらしく、上級生をのしたとか、先生をのしたとか……リーダー格のエルンストも実はやられたことがあるらしいけど、二人とも、そのことに関しては黙して語らない。エルンストにとっては、恥になるから。ギデオンは……多分言うほどのことでもないと思ったんだろう。でも、エルンストがギデオンの見ている前では悪さをしないところを見ると、多分噂は真実だったのだろう。
 あたしはそんな噂、ちっとも怖くなかったけど、ギデオンはおっそろしく無口なやつだったんで、「つまんなさそーなやつ」と思って、あんまり近づく必要も感じなかった。
 みんなしんとして、突如現れたこの騒ぎの闖入者を見つめる。彼はもう一度言った。
「そのぐらいにしておけ。相手は女の子だぞ」
 その時まで、あたしはきちんと女の子扱いされたことがなかった。父や母にさえ。だから、その言葉を耳にした時、あたしは――なんて単純なんだろう!――ちょっと感激してしまったのだ。
「こいつは女なんかじゃねぇよ」
 エルンストは反駁した。こいつ、この間あたしが金的ぶちかましたの、まだ根にもってるわけ?
「……大勢で殴りかかるのは卑怯だ」
 ギデオンは淡々と言う。この人がこんなに喋ったの、初めて聞いたわ。
 ギデオンが進むと、周りにいた子は次々に道を開けた。あたしのところまで来ると、
「大丈夫か?」
と、助け起こしてくれた。あたしは、急に泥水で汚れているだろう顔が恥ずかしくなった。
「お優しいこって」
 エルンストが吐き捨てるように言った。
「おまえはこいつに何もされたことがないからそんなことが言えるんだよ。みんなこいつを恨んでるやつばかりだぜ」
「……だからと言ってこんなことをしていい理由にはならない」
 そう言ってギデオンはエルンストを睨む。いや、ただ『見た』だけなのかもしれないが、エルンストを怯えさすのには、充分だった。
 みんなもなんとなく鼻白んだらしい。一人、二人と帰っていき――やがて全員帰っていった。
「来てくれたのは嬉しいけど、もう少し早く来てほしかったわ」
 あたしは照れ隠しでそんなことを言ってみた。
「すまん」
 ギデオンは、ポケットを探っているようだった。
「……何してるの?」
「ハンカチがない」
 あたしは顔に手をやった。手に泥がついた。
 ハンカチまで探してくれたんだ。あたしのために。
「あ、あ、いいのよ。ハンカチだったらあたしも持っているし、それに、うちはすぐそこだから。あ、そうだ。ギデオン、あんたも来ない? いいでしょ。ねっ。さっきのお礼もしたいしさ」
 あたしはギデオンの手を握る。
「あ……ああ」

 ギデオンがドイツでのあたしの初めての友達だった。あたしは暇さえあれば、いつもギデオンと一緒にいた。
 あたし達はよく、話をした。と言っても、話しかけるのはいつもあたしで、ギデオンは嬉しそうな顔もせず、かと言って嫌な顔もせず、時々あたしの言葉に答えてくれた。
 そして……あたしは彼のことを好きになっていた。

「リサ、お客さんよ」
 この娼館、無憂宮の女主人、レベッカがあたしのところに来た。あたしは、客が帰ったばかりなので少しだらけていた。
 また仕事か。うんざりするような気持ちで尋ねた。
「どんな人?」
ギデオンさんと……」
ギデオン?!」
 あたしははじけたように飛び上がった。周りの迷惑もなんのその、ばたばたと酒場へ向かう。ここは酒場も兼ねているのだった。
ギデオン!」
 あたしは一生懸命愛しい人の姿を探した。仕事が忙しいとかで、もう一年もその姿を見ていない。でも、会えばすぐにわかるはず。……いた!
 隣に金色の髪がいる。けっこう長く、一房が重力に逆らってぴんと斜め上に立っていたりする。針金でできているような髪だ、と思った。隣のギデオンよりは人目をひくに違いない。……その奇異な髪型で。
 酒場は人がいっぱいで、多分相席だろう――そう見当をつけた。が、次の瞬間、それは打ち破られた。
 ギデオンが笑っている! あの針金髪の男に!
 相手も笑いながら応じている。そんな馬鹿な。あたしだってギデオンの笑顔は数えるほどしか見たことないのに。
 ギデオンが、あたしの知らないやつと、あんなに楽しそうに笑っているなんて!
 ギデオンが、あたしに気付いた。
「リサ……」
「久しぶりね。ギデオン
 あたしは動揺を押し隠して、笑顔で答えた。
 金髪の方も振り向いた。黒々とした、まぁ、形のいい方の眉。切れ長の目、というには、少し大ぶりの目。それが好奇心に見開かれている。まつげは長い。顔のパーツは悪くないんだけど、全体となると、それぞれ勝手に自己主張したあげく、やっとおさまっている感じ。ライオンのたてがみみたいな髪をしているが、ライオンというより、何か別のものだった。なんだか個性のあり過ぎる顔だ。いい男という人もいるかもしれないが、あたしは好みじゃない。
 目の色は青なんだけど、右と左では濃淡が違うのも気味が悪かった。
(…あ、なんだか濃い顔を見てしまったわ)
 あたしが痛くなった頭を押さえていると、ニセライオンが言った。
「G、おまえの知り合いか?」
「ああ」
ギデオンが頷く。
「けっこう隅におけないなぁ。おまえも」
 ニセライオンが肘でギデオンを突付く。
「G? Gって誰のことよ」
 そんな変な名で呼ばないで。ギデオンギデオンよっ。あたしは少し、苛立っていた。
「Gって言うのは、こいつのことだ」
「数年前に隊長が私にGってあだ名をつけた。それから、私のコードネームもGになった」
 ギデオンは、その変な名前が気に入っているようだった。よしてよ。冗談は。アンタもその隣の男と同じように、センスというものがなくなってしまったわけ?
 だいたい、Gって、ドイツ語読みでゲーよ。語呂が悪いったらありゃしない。
「なかなかいい女じゃないか。ちょっと気が強そうだけどな」
「そういうアンタだって、人のこと言えるような顔してないじゃない」
 この段階で反撃が来るとは思ってなかったのだろう。相手がちょっと驚いた顔をした。
「……俺の睨んだ通りだ」
ギデオン、このニセライオンいったい何なの?」
 あたしはギデオンに矛先を向ける。
「私の友人で、今は私の上司だ」
「上司? これが?」
「おい……おまえ、俺に喧嘩売ってるのか? それに俺にはハーレムというれっきとした名がある」
「本名の方が恥ずかしいわね。アンタなんかに売る喧嘩はないわ」
ハーレムはさっさと無視して、あたしはギデオンに向き直る。
「ねぇ、ギデオン、あのスケベそうなできそこないのライオンがあなたについてきたの?」
「いや……誘ったのは俺だ。迷惑だったか」
「……ううん。でも」
 一人で来てほしかった。
 あたしはその言葉を飲み込む。あたしの気の強さと口の悪さも、ギデオンの前ではなりをひそめるらしい。
 あたしはギデオンのシャツのボタンを弄繰り回しながら言った。
「ねぇ、今夜……」
「おいっ!」
 ハーレムがあたしの肩を掴み、振り向かせる。
「あら、まだいたの?」
「誰がスケベそうなできそこないのライオンだ!」
「あまり怒らない方がいいわよ。ますます見られない顔になるから」
「んだとぉ……」
 ハーレムは眉をきゅっと吊り上げる。やっぱり短気なんだわ。この人。ま、いきなり殴ってこないだけマシってもんだけど。
 こんな人に、ギデオン、怒鳴り散らされていないかしら。あたしは彼のことが心配になって、その姿を目で探す。
 ギデオンは……辛そうな顔をしていた。
「おやめください。二人とも」
 ギデオンがあたし達の間に割って入った。
 ハーレムもさほど本気だったわけではなかったようで、簡単に離れた。あたしはあることに気付く。……ギデオン、喋り方が違う。上司の前だから? でも、さっきは友人でもあるって……。
「すみません。せっかくのお酒がまずくなってしまって」
 ギデオンが気を使っている。なんでそんなに下手に出るのよ。
 上司だからじゃ、ない。ギデオンは、ゴマをするなんてとてもできない性格だ。間違ったことがあれば、目上の人相手でも引かない人だ。
「いや……俺もおとなげなかった」
 飲み直そうぜ、とハーレムが席につく。Gもまた、さっきの席に腰掛ける。その時、あたしは見てはいけないものを見てしまった。
 ……ギデオンが、ハーレムを見ている。
 もちろん、凝視しているわけではない。ときどきふいと目を逸らし、またハーレムの方に視線を戻している。
 あたしがいることなんかに気付きもしないように。
 あの視線。
 あたしも何度か向けられたことがある。相手を少しでも多く視界におさめておきたいという時の。もしかして彼は……。
 あたしはその想像にかぶりを振った。冗談にも程があるわ。あんなやつ。しかも男でしょ。あいつは……そう、人目を引くだけなのよ。あたしだって、見てて飽きないという点では、あの男に一歩譲るもの。
 きっとおもしろいのよ。酒を飲んでいる姿だけでも…。
 そう思うことに決め、しかし、なおも不安だったあたしは、ギデオンの隣に腰掛け、腕をからませしなだれかかった。
「ねぇ、ギデオン、今夜は一緒にいられるんでしょう」
 あたしは上目遣いをしてやる。「ねえ」
「やめないか。リサ。人の前だぞ」
 わかってる。だから、こうしてやるのよ。
「ああ、いいっていいって。G。俺は人の恋路を邪魔するような野暮はしねぇから。おまえが堅物なだけでないと知って、かえって嬉しいぞ。リサ、俺もちょっと相手を見繕いたいんだが」
「あそこのカウンターにレベッカがいるから聞いてみたら? もっとも、アンタなんかを相手にする物好き、いるとは思えないけど」
「…G、おまえの彼女は一言多いな。ちゃんと注意しておけよ」
 そう言ってハーレムは姿を消す。ギデオンの口元がまるで苦い物でも食べたかのように歪んで見えたのは気のせいかしら?
 …気のせいよね。


 部屋で二人でしばらく睦んだ後、あたしは眠りについた。
 夢を見た。
 最初は幸せだった。あたしはギデオンと新婚家庭を営んでいた。娼婦もやめた。ギデオンが毎晩家にいるなら、そんなことする必要ないもの。
 突然、硬い金色の髪と、青と淡い青の瞳を持つ男が現れて言った。
「G、俺と一緒に来ないか」
 ギデオンはあたしの静止を振り切って、その男と一緒に行ってしまった。
 あとには何もなく、ただ一人残されたあたし。
 あたしは左右色違いの目を持つその男を、深く深く憎んだ。


後書き
オリジナルキャラクター、リサ・ウォーレス初登場です。
自分で「純真な女の子」と書くあたり、なかなか厚顔です。純真な女の子は金的なんかしたりしません(笑)。でもなんか好きです。おてんばで一途でかわいいと思う。
彼女がハーレム嫌いなのは、私があまりにもハーレムLOVEなんで バランスを取りました。
ところでGはほんとにハーレムを好きなのか、それともリサのうんだ妄想なのか…製作者の私の見解を言いますと……
……かわいそうなリサ……
ま、まぁ、今後の展開次第よね。
Gの本名もギデオンとわかったし。(ほんとは違う名にしようと思ったんだけどね、パクリになるから……って今更か)
ハーレムのイラストを描くときは、左右違う色だとバランスが悪くなるので、両目とも同じ色に塗っていますが、某同人誌で読んだ通り、本当は左目の方が色が濃いんじゃないかな、と思います(もちろん、サービスは右目の方が濃い)。
Plerudeという題も、その作家さんの作品の題名からいただきました。
この話はまだ続く……かも。


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