俺は大人になれない

「うっ、うっ、ひっくひく……」
 暗闇の中で――俺は泣いていた。
「どうしたんだい? アンタ」
 オレンジ色の髪の少年が声をかけて来た。つか、前に見たことなかったっけ? 名前は忘れたけど。
「どうして――どうして俺だけ、大人になれないんだよ……もう十歳なんだぜ」
「十歳ならまだ子供だろ?」
「そういうアンタはいくつだよ」
「俺か? 俺は八歳だよ」
 八歳?! 俺は驚いた。少なくとも今の時代では三歳か四歳ぐらいにしか見えない。
「アンタの世界じゃ……八歳は子供なのか?」
「人間ならばな。八歳だと、猫じゃもう立派な大人だぜ」
 ――話をはぐらかしているようにしか聞こえない。
「行くぞ。レックス」
「わぁったよ。親父。――でも、こいつ置いてくのは可哀想じゃねぇか」
「レックス……星光の問題は自身で答えを出さなきゃいけねぇんだ。さ、行くぞ」
「ちぇっ。久しぶりに親父っぽいこと言いやがって。――光。俺は今は行く。だけど、いつもお前を見守っていることを忘れないでくれ。絶対だぞ。絶対――」
 ――ぱちっ。
「おー、起きたか」
 紅が言った。顔を覗き込んでいる。
「紅……どうして……」
「なかなか起きねぇから心配したんだぜ。これでも」
 ――そっか。心配か……。俺にも心配してくれる相手がいるってこったな。
「えへへ……」
「何にやけてんだよ、朝飯食っちまうぞ」
「……お前ら、体の中で栄養作って生きていけるんじゃなかったの?」
「近頃、食事の楽しみってヤツに目覚めてな。お前が朝飯いらないってんなら、俺がもらう」
「そーんなこと言って。紅はアンタとご飯食べること待ちわびてたのよ~」
 オカマ――実はブルーのえらい博士であるらしいエドガーが言った。まぁ、俺にとっちゃ単なるオカマだけど。伊達長官に未だに恋してるし、女が恋敵だし。はっきり言って変だよな。
 ――いつまでも子供の俺と、どっちが変かな……。
 考えるのはやめよう。ドツボにハマりそうな気がする。それより、どうして、紅は俺なんかと朝飯とろうと思ったんだろう……。どうして、俺を待っててくれたんだろう……。
「紅。食堂行くぞ」
 そう言った俺の頬は赤くなっていなかっただろうか。
「へいへい」
 紅はにやけ面をしている。どうせ宇宙食をあっためたもんだろ? でも、それだけだと栄養が偏るから、ノアの中にある畑からトマトをもいで食べよう。宇宙食もそれなりに味や栄養など考えてはいるが。
 宇宙食でも、まずいカプセルフードより味はマシだ。
 ……俺は一度、カプセルフードを食ってみたことがある。それを食べると早く大人になると聞いたからだ。
 ――食えたもんじゃなかった……。
 匂いは人工的だし、味もサイテー。
 これ食って生きている人間なんているのかと思ったぜ。こいつを食って年を取れると言うんでも、俺は庭の木の林檎の方がいい。カプセルフードを無理矢理食わせられるなら、死んだ方がマシだ。
 オカマのエドガーによれば、
「アンタは正しい食物を食べて生きて来たのよ」
 ――だそうだが。
 エドガーはオカマで変態で、でも、時々優しくて――でも、なんか秘密のにおいがすんだよな……。
 ヤツは十五歳らしい。伊達長官のおっさんは十八で死んだ。
 ブルーの人間は短命だ。X型バクテリアのせいだ。二十歳までに細胞を食い尽くされる――伊達長官からその事実を打ち明けられた時は、悲しくて、痛ましくて、泣いたもんだった。
 ――その夜、俺は眠れなかったっけ。
 十字架みたいな跡を残したX型バクテリア。それは、俺達人間の業だったのだろうか――。
「おい、朝飯の挨拶。ぼーっとしてたな。てめ」
 ばーろー。単細胞の紅。てめぇと違って、俺には考えることがあり過ぎんの。
 そんなことを言ったら、紅にも言い分というものがあるだろう。オーケー。今は譲ってやる。
「いただきます」
 それから、かちゃかちゃとナイフとフォークの音だけが響く。
「美味しいですか? 光さん」
「ああ。うめぇよ。剛。……でも、畑の林檎の方がもっとうめぇや」
 剛は、紅の弟だ。だけど、紅と性格がぜっんぜん似てない!
 剛は素直で優しくて、だけど、強い。紅を吹っ飛ばす程強い。体格差がなかったら、剛の方が兄貴に見えるだろう。紅は兄達を疎ましながらも慕っているらしい。けれど、炎とかいうヤツには頭が上がらねぇんだって。
 ――早く炎に会えるといいな。
 剛が言ってた。炎は男気があって、思いやりがあっていい兄貴だって。それから、紅と違って良識派だって。
 炎と刃は剛のことをそれはそれは可愛がっていたみたいだ。――紅だって、手段はああでも、剛のことは可愛い弟だとは思っているだろう。だけど、あいつ素直じゃねぇからなぁ……あ、素直じゃないってのは紅のことだかんな。
 こいつら、四百年も生きて来たんだよなぁ……。
 俺の抱えて来た十年の孤独なんて小さい小さい。こいつらは永遠の孤独を五人で過ごして来たのだ。いや、途中で別れたんだよな。こいつら。
 永遠の孤独をそれぞれ生きて来た五人――。
 俺は、何て小さいんだろう。早く大きくなりたかったけど、紅や剛を知って、子供でも悪くないか、と初めて思えた。
 ――あの夢。大人になれなくて泣いた日々。その日々が、どうして夢の中でよみがえってきたのだろう。やっぱり、トラウマがあんのかな。
(お前、光だよな。何で子供のままなんだよ……)
 かつての友から言われた一言。まるで怪物でも見るみたいに――。
(俺、来年は十歳なんだ。だいぶ筋力もついて来たし――)
 そう言ってうきうきしながら喜んでいたかつての友。X菌は獲物を太らせて食べる性質の細菌らしい。――やな性格してんな。
 あの友は、一体どうなったんだろう。……出来れば、助けたい。二十歳になる、運命の日が来る前に……。
 エドガーによると、X菌が本格的に凶暴化するのは十歳を過ぎたあたりらしい。
 ……伊達長官が娘さんを助けたかったのもわかるな……。
 それもこれも、皆カプセルフードのせいだ! 誰だ! あんなもん開発したヤツ。クソ不味いわ、X菌には効かないわ――。
 けれど、人間の体の成長も促すから、皆食べてる。X菌の暴走の原因がカプセルフードにあるなんて、きっと誰も思ってやしない。
 ――いや、エドガーはなんか知ってるみたいだけど。
「食わねぇんだったらもーらいっ♪」
 紅が俺のマカロニを取る。
「あー、何しやがんだよ、紅!」
 ――エドガーがふっと笑ったような気がした。そういえば、こいつ、俺のこと羨ましいって言ってなかったっけ。大人になると、元気さも若さも失われるもんなのかな。
 ……だったら、子供のままでもいいかも……。
「やーっぱりガキねぇ、アンタ達」
 エドガーがカマっぽい言い方で言う。
「あぁ?! ガキはこいつだけだ! 俺様は立派な大人だ!」
 紅がふん、と息巻いた。俺にとっちゃおめーも子供だよ。
 ……でも、それでいいんじゃねぇかな。早く大人になったらつまんないもん。子供でいることの大切さを俺は紅達から教わった。
 えーと……そうだ、レックスだ。
 レックス。見てるか?
 俺のこと、見守ってくれてるんだろ? え? ――俺は今、幸せだぜ。例え、この先に試練が待ち構えようとも――俺は乗り越えて見せる。炎雷剛刃紅の衆と共に。
「お前の兄弟、後三人いるんだよな」
「そうだが――やっぱり惑星グリーンはとばしてぇな」
 ……紅。こいつはそればっかりだ。そんなに折り合い悪いのか? 自分の弟と。俺には兄弟がいなかったから、わかんねぇけど。
 もし、兄弟がいたら、夢で見たレックスってヤツに似てるんじゃねぇかなぁ……訳もなくそう思う。
 惑星グリーンつったら、きっと緑がいっぱいで、ジャングルなんかもあるんだろうな。
「紅はあんなこと言ってるけど、俺は楽しみだぜ。惑星グリーン。緑いっぱいあんだろ? 俺、興味あんだよな」
「光さん、気が合いますね」
 俺と剛がハイタッチをしていると、エドガーがはぁっと溜息を吐いた。いつものオカマ――エドガーとは違う。ブルーの偉い科学者が、この先について思いを馳せているように見えた。
「アタシもグリーンには近づきたくないわねぇ。でも、ブラックとかレッドとかにはもっと近づきたくないし――変態の巣窟だって言うから、アタシの操が奪われちゃうんじゃないかと心配で――」
「別段そんな心配いらねぇよ。刃兄貴ならともかく、炎兄貴はまともなはずだから――多分」
「あら、アンタみたいなショタコンかもしれないじゃな~い?」
 その後紅が、「俺はショタコンじゃねぇ!」と叫んだのも無理はないのかもしれない。
 ――ていうか、「ショタコンて何だ?」って訊こうと思ったが、想像を絶する答えが返って来そうなので俺は黙って朝飯を平らげた。

後書き
レックスと光クンのお話。ハーレムもちらっと出ます。
私も紅はショタコンではないと思います。
八歳なら、猫だと立派な大人――河合隼雄先生の受け売りです。
2019.09.24

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