ナガサキの花魁カフェ

「ここか……」
 武者のコージが一軒の店の前で足を止めた。
「ごめん!」
 ガラガラと扉が開くと、皆一様にコージの巨体に目を遣った。
「アラシヤマはおるかのう!」
 コージが大声で呼ばわる。
「はいはい。――ったく、そんな大声で呼ばんでも聞こえますさかい、静かにしてくれまへんか。……コージはん」
「ああ……ぬしがこのカフェに勤めるようになったと聞いてのう」
「それで追ってきたんどすか」
「悪いか? ぬしはワシがこれと決めた伴侶じゃけぇ」
「アラシヤマさーん。こっちまだかい?」
「はいはい。じゃ、コージはん。くれぐれも、仕事の邪魔だけはしないどくんなはれ」
 最後の方、アラシヤマの柳眉が吊り上がっていたのは、コージの気のせいだけではなかったのだろう。怒っても美しいアラシヤマに皆感嘆の溜息を洩らす。
 巷を賑わす花魁カフェ。そこの一番人気の店員に、アラシヤマはなっていた。
(どこへ消えたかと思ったら――)
 考えてみれば、アラシヤマがシンタローを置いて永崎を出るはずがない。コージは短く、「酒」とだけ注文した。
「はあい」
 美しい女性達ばかりであるが、アラシヤマがいっとう美しいとコージは思う。しかし、アラシヤマは男性である。他の女性達は密かに敵対意識を燃やしているのではないか。
 ――虐めとかは、ないのであろうか。
「アラシヤマはん、踊ってくれどすって」
 明るい声で他の従業員が彼を呼ぶ。心配は無用のようである。
「任せておくれやす」
 三味線の音色に合わせ、アラシヤマが扇子を持って踊り出す。美しい舞だ。
 アラシヤマはどうしてこの店に来たのだろう。
 コージは台の上で舞を披露するアラシヤマをじっと見ていた。
(アラシヤマ――ぬしに酔いそうじゃ)
 コージはアラシヤマと同衾したことはない。けれど、寂しく独り寝をする時など、アラシヤマの顔を思い浮かべるだけですうっと寝入ってしまうのだ。
 コージはここ半年ぐらい女を抱いていない。アラシヤマの面影が入眠剤代わりだった。
(ますます美しくなりおって――)
 舞台に立つアラシヤマをコージは愛おしく思う。例え、自分の物にはならなくとも――。アラシヤマはシンタローを愛しているのだ。
 シンタローだけを……。
(ふ、年かのう。涙もろくなってきたけぇの)
 コージは指で目の縁をなぞった。
 アラシヤマとコージの視線が一瞬だけ合って離れた。コージは訊くことに決めた。――どうしてアラシヤマが今までの場所を離れこの店に来たのか、その真の意味を。

「簡単に言えば引き抜きどす。わてはこの美貌で引く手あまたやし――」
 本当に美しいアラシヤマがこの高言を放っても、事実なので頭に来ない。
「でも、あの店が一番お給金が高かった故――」
「金が、必要なのか?」
 そしたら、どんな手を使ってでも大金を稼いで見せる――コージがそう思った時だった。
「ちょっと――聞いてくれはりますか?」
「何をじゃ?」
「ちぃと身の上話をば。この家は実はわてのお師匠はんの家なんどす」
「ああ」
 アラシヤマに師匠がいることは知っている。確か特戦屋のマーカーとか言う男だ。近在では有名な人物である。
「そのお師匠はんが蛇に憑かれてな――」
「蛇に?」
 前々から蛇を思わす男だったが、本当に蛇に憑かれるとは――コージは呆れ果ててアラシヤマの案内について行った。
「この部屋どすえ」
 からり、と障子が開くと端然と座っている男の姿が見えた。
「は、ハーレム!」
「よう。アラシヤマ。ますます垢抜けて来たじゃねぇか」
「おお。ぬしもそう思うか?」
「それどころやおまへん! 何であんさんがここにおるんや!」
 アラシヤマは動転していたが、ハーレムはさらりと言ってのけた。
「この男は俺の部下だ。部下の容態を案ずるのは上司として当然のことだろう」
「う……」
 アラシヤマはこの男が苦手じゃったな。コージがそんな場合ではないのに笑いを噛み殺していると――。ハーレムが真剣な顔で言った。
「あいつらに頼むか。金はかかるし、俺の言うことをきいてくれるか些か不安でもあるが――」
「金だったらワシも持っとるが――」
「わてもお給金をもろてますぇ」
「阿呆。お前らは男の矜持というものを知らんのか。マーカーは俺の部下だ。金は俺が何とかする」
 金の亡者のハーレムがそんなことを口にするなんて――コージも驚いた。男の矜持はわからなくもないが。ハーレムはその男のことを愛しているのであろうか。その一介の中国人のことを――。
 金髪で垂れ目の青年が来て、ハーレムに何やら耳打ちされている。ハーレムの部下でマーカーの同僚のロッドだ。ロッドは用向きを飲み込んだらしく、
「わかったわかった」
 と、片目をつぶって見せた。
「大丈夫じゃろうか」
「大丈夫だ。お前ら、パプワを知っているだろう。あいつに頼めば何とかなる」
「けれど、まだガキじゃろう」
「お前よりは頼りになる」
 コージは痛いところを突かれたが真実なので黙っていた。アラシヤマが口元を袖で隠し、くすん、と小さく笑った。

「うう……う……」
 魘されているマーカーの元へ、パプワと一匹の犬がやって来た。
「これはひどい状態だ。僕らをよんできて正解だったな。チャッピー」
「あおん」
 犬の名前はチャッピーと言うのである。ハーレムがマーカーの顔を覗き込む。
「大分辛そうだな。治りそうか?」
「うむ。――さ、アラシヤマ、打ち合わせ通りにやるんだぞ」
「わてに出来ることなら何でもやりますえ」
 コージとアラシヤマも傍に居合わせていたのだ。風がすうっと通り抜ける。蝋燭の炎が震える。辺りは静かだ。パプワ達が何やら踊りを踊り始めた。いつもとは違う、幽玄な世界を思わす神秘的な踊りである。
 アラシヤマも加わってパプワ達と共に舞う。邪な気が浄化されるのが、こういうことには疎いコージにさえわかる。本物の芸は美を呼び邪を祓う。瞼を閉じると一面の桜吹雪が目に浮かぶようだった。
 ――澄んだ空気に耐えられなくなったらしいコブラの霊が出てきて彼らに襲い掛かる。半ば本能的に邪魔者を排除しようとしたのだ。
「行くぞ、チャッピー!」
「あおーん!」
 蛇の霊が魔封じの壺へ吸い込まれる。パプワが蓋をして護符を貼る。
「これで良し、と。後は、この蛇の霊を故郷に戻すだけだな」
「パプワはん、あの……お師匠はんを助けてくださっておおきに」
「この蛇はダルシムと言ってな――俺がインドから連れ帰って来たんだ。酒の肴に皆で食っちまったんだけどよ、マーカーを選んで憑く辺り、同類を見分ける力はちゃんとあるんだな」
「もう、ハーレム隊長ったら……アンタの道楽に付き合った為にマーカーちゃん死ぬところだったんですよ」
 ロッドが心安立てに怒ったふりをする。
「お前が言うな、ロッド。ダルシムやマーカーには悪いことしたと思っている。――それから、パプワ。あんがとな」
「礼などいいぞ。ハーレム。金さえ払えば……な、チャッピー」
「あおん」
「うっ、急に頭が……ダルシムの呪いが……!」
「そうやって誤魔化そうとしたって駄目だぞ。ハーレムー」
「う……うん……?」
 朝の光が差し込む。眩い光によってマーカーが重たそうに瞼を開ける。
「お師匠はん……!」
 アラシヤマがマーカーをぎゅっと抱き寄せる。ハーレムではないが、己も蛇に憑かれてみたいとコージは思った。勿論、アラシヤマの抱擁と言う褒美があればの話だが。

後書き
永崎藩という架空の藩が舞台のなんちゃって時代劇、番外編的な話です。
コージがアラシヤマを愛しています。
マーカーは災難だったね。ごめんね。
2017.12.12

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