Off white



――― 私には 何かが欠けていて
     
            欠けているが故に 己の欠陥に気付かず

          そうして、私を取り巻く世界も 緩やかに崩れていったのだ ―――



暗くもなく、明るくもない――ただ私だけが存在する空間。
人々が死後の世界、または魂の還る場所と呼ぶ処。
……私はその一画で独り閉じ篭もり、己の人生について振り返る。

幼い頃より、偉大な父に憧れてきた。
優しさと強さを兼ね備え、人々の先頭に立ち得るカリスマ性を持っていた。
時に厳しい決断を下せる、強い意志を持っていた。

父が亡くなった後は、その意志を兄が継いだ。
父以上の絶対的な力を持ち、若くして総帥となった兄。
私の憧れの対象は、父から兄へと移行した。

私には、人に自らの存在意義を預けるところがあったように思う。
その対象に憧れ、認められることによって、漸く自身の存在に価値を見出せる。
……だからこそ私にとって、善悪の判断とは、私自身の意志とは全く別のところにあったのだ。


それが、そもそもの、事の起こりである。


善とは……『青の一族』の者であり、私の家族たちであり、そして私自身である。
従って、
悪とは……『赤の一族』の者と、私の家族に危害を及ぼすものである。
それ以外の幾多のものは……私にとって、思考に取り上げる価値すらない。

何とも明白で単純で、滑稽な思考回路だろうか。
今にして思えば、バカバカしくて笑えてしまう。
だが私は、死を目前にした数日間以外の人生の大半を、この価値観の元に生きたのだ。
自分と、自分の定義する価値観に異常なまでに固執していた。
……そして、それ以外には一切目を向けようとせず、理解しようとしなかった。

……今になって、分かった。
だが、私はすでに死んでしまっている身だ。
今更になって悔やもうが喚こうが、過ぎた時が戻ることはないし。
私が傷つけてきた、彼らの心の傷が癒えることもない。

私は彼らに対して――悪意が無かったにせよ、一生をかけたとて償いきれない罪を犯した。
末の弟は私をとても信頼していたようで、私の存命中に私の"本性"に気づくことは無かったようだが。
私自身に自らの欠陥を知らしめるに至った、最も凶悪で残忍な行為は、彼の生きる希望を粉々に打ち砕いた。
……この時になって漸く、私は自らが定義する『善である己』という確固たる自信が、ただの思い違いでしかないことに気づいたのだ。


彼らには、本当に申し訳ないと思っている。
こんな私を気遣い、愛してくれた。
すぐ下の気性の荒い弟など、まだ幼い頃から私の醜い部分を知っていたというのに。
それでも、突き放したりすることもなく。私の醜さを罵ることもなく。
……そばに居ることを、許してくれた。


何故、もっと早くに気づくことが出来なかったのか。
何故、真っ先に彼らに謝罪しなかったのか。
……結局私は、己の欠陥を知る家族に、面と向かい合うことから逃げ出した。

目の前が真っ暗になるほどに、恐ろしかった。
己の欠陥に気づくと同時に、今まで私の視界を覆っていたモノクロ・フィルムも取り除かれた。
世界は単純に二つに分けられるような、簡単な仕組みではなかった。
いったい私は、今まで何を見てきたのだろうか。
あざやかなもの、色褪せたもの、清廉なもの、悪辣なもの。こんな言葉では言い表せないほどの数々の存在。
……世界は色鮮やかな極彩色に満ちていて、その世界の中で私だけが……何の味気も無い白紙だった。

私は世界が怖かった。
生まれたばかりの子供でさえ知っているこんな単純なことに、恐れ慄き、困惑する自分が情けなかった。
……そして、そんな私を見つめ続けてきた、家族の視線が怖かった。


彼らには、本当に申し訳ないと思っている。
こんな私を目にしてさえ、泣きたくなるほどの愛情で包み込んでくれたというのに……。
私を心配し、支えようとしてくれた兄さえも、私は振り切ってしまった。
幼い私の世話を焼いてくれ、大人になってからも傍にいてくれた、私の自慢の兄。
外の世界を教えてくれた親代わりで、尊敬する兄弟で、目指すべき光だった。
……何よりも替え難く、私の内の大半を占める存在だった。


しかし、だからこそ私はこれ以上、彼のそばに居ることが出来なかった。
彼に同情されたくはなかった、彼に守られたくはなかった、彼の心を病ませる存在でいたくはなかった。
……私は、彼の隣に並びたかった。

それが、私の世界が変わる前も変わった後も――唯一変わらぬ意志だった。

兄の説得も聞かず、私は彼らの元から身を翻した。
私は自らの変革を望んだ。
これ以上、欠陥を抱えたままの存在でいたくはなかったから。
家族に向き合えるだけの、本当の自信を持ちたかったから。
この罪の重さを受け止めて償うことを決意出来る、強い意志が欲しかったから。
……これは一時の逃げだ、そう心に決めた。


私が行き先に激戦区を選んだのは、今まで傷つけてきた彼らへの贖罪だったからか。
いや、それが運命だったのかもしれない。
……その先は、ご覧の通りだ。

私は戦場で、命を落とした。
後悔ばかりが浮いては消える思考も、やがて泥濘の中へと沈んでいった。


その先の、私の終わりの記憶はひどく曖昧だ。
夢の中をたゆたう様な、安穏とした閉塞的なまどろみの中にいた。
それがやがて、自らの思考以外の断片を捕らえ。
次第に鮮明な光景となって、私の脳裏を駆け巡った。
成長した弟たち、異国の島。赤と青の一族の確執から生まれた争い。
苦しんでいる皆と、兄の姿。
……私にひどく似た、しかし確実に異なる――未来を射貫かんばかりの、真っ直ぐな瞳の息子。

何がなんだか理解できなかった。死んでまで、尚おかしな夢でも見ているのかと思った。
けれど、状況を理解出来ずとも良い。夢であっても良い。
今一度、彼らの姿を目にすることが出来た。
私のただひとつの心残りだった彼らと、もう一度会うことが出来た。
そして、私がただひとつこの世に残した息子に、出会うことが出来た。
私は、彼らに会わなければならない。
……生きているうちに叶わなかった、私の最後の願いを叶えるために。

無我夢中だった。
方法さえ分からなかったが、その閉ざされた空間から出ることだけが私の脳裏を占めていた。
彼らが苦しんでいる、傷ついている。
何とかしたい、助けになりたい――私の心を、最後の言葉を伝えたい。


「助けて、兄さん」


知らず、私は彼を呼んでいた。
いや、彼のような優しくも強い意志を、力を、自らの内に呼んでいた。
そして、唐突に自由となる肉体。
……夢ではない現実の彼ら。

体の芯を震わす力の衝突、鼻を衝く血の臭い。
生々しい現実。

そして、迸るほどの心と感情を制し、私は自らの意思で二度目の死を覚悟する。
避けることなど造作もない。
だが、これこそが私の待ち望んだもの。
……そして、その行為こそが、私を、彼らを前へ進ませるだろう。

この摂理に反する肉体は、秘石の一族を縛り付ける呪縛の顕現。
古の昔から現在に至るまで、反発と堂々巡りを繰り返してきた石コロによる喜劇で、踊らされている。
チェスの駒のように操られ、生き死にすら己の意のままにならない。
私の人生とは何だったのだ。一族の者の生きる意義とは何なのだ。
……終わらせるのだ。こんな争いに意味などないのだから。


「撃て! 息子よ
 青の呪縛とともに 私を撃ち抜け!!」


そして、自らの罪を贖うことなく、家族の前から姿を消した私に――審判を。


「おまえが私を 裁いてくれ!」


激しい衝撃とともに、偽りの肉体が徐々に死滅していく。
ああ、この時を待っていたのだ。
時は遅すぎたが、私は自分の罪に対する罰を与えられた。
あの時、死の間際――何度となく後悔した。
傷ついた彼らの声を聞いていなかった。
私の犯した罪への、彼らの心の叫びを聞いていなかった。
向き合えばよかった。罵られればよかった。殴られればよかったのだ。
……それこそが、私の罪が赦されるための唯一の道だったのだから。

そして――今初めて出会い、もう永久の別れとなる、私の息子。
私に似ていなくて安心した。
お前が、私と同じ轍を踏むことはないだろう。
だからこそ、この惨めな私を心に刻んでくれ。
過去に囚われて、前に進むことの出来なくなった者の末路を。
……お前は、私のようにはならないでくれ。


「進め
 怖がらずに 進め――」


緩やかに私の視界は霞み、眠りに落ちるかのように沈んだ。
以前とは違う、安らかさを抱いて。



私の人生は、死んだ後に意義を見出したように思う。
なかなかに激動な一生だった。
大半の常識的な者には、大いに批判を買うだろう。
……しかし、私自身は満足している。


――、――、――。


ふいに、私の心の扉を叩く音がした。
まどろむ様に思考のループを繰り返してきた私の心が、徐々に覚醒してゆく。


――、――、――。


彼らは、前に進むことが出来ただろうか。
……いや、私が思い悩む必要などないだろう。


――、――、――。


彼らならば、きっと、幸せを掴むことが出来る。
遥かなる未来へと、進むことが出来る。
……だから、私も、前へと進もうと思う。

ゆっくりと、心の扉を開く。



「会いたかったよ。父さん、母さん――」



――― 私には 何かが欠けていて

     だけれども、支えてくれる者が こんなにもいて

               私の世界を かたち作ってくれる ―――


Tomokoのコメント
きゃああああっ! 素敵です! ルーザー様!
あっ、つい取り乱してしまいました。ささかずさんの小説が、あまりにも素晴らしかったもので。
私のコメントが、この小説の価値を減じなければ良いと思うのですが。
彼の心理描写が緻密です。理想のルーザー像のひとつです。
死んでからでも、成長を続けている様に思いました。
息子のキンタローは、父の願う通り、幸せを手にすることができるでしょう。
そして、ルーザーも、あの世で、満ち足りることを覚えるでしょう。
生まれ変わりの予兆もある様に思えましたが、そこのところどうなんでしょう。
最後、泣けました。
人間、皆不完全なところがあるけれど、助けてくれる方々のおかげで、自分の世界を作っているんですよ。ルーザーだけじゃなく、私達も。

この作品は、ささかずさんの、青の四兄弟の小説、『カラーシリーズ』の最後の作品です。
ささかずさん、ありがとうございました! そして、お疲れ様でした!
そして、送ってくださったみかづきさんにも、多謝!


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