森 「ハーレム、サービス、買い物に行ってきなさい」 夏の或る日、連日の暑さでうだっている弟達に、長兄であるマジックが言った。 「えーっ?!」 用事を申し付けられた二人は、揃って不服の声を上げた。ただでさえ暑くて気だるくて、動くのも億劫なのだ。扇風機が生ぬるい空気をかき回している。 「僕、かわいいからって誘拐されたらどうするのさ。ハーレムに行かせてよ」 「なにぃっ?! 俺は誘拐されてもいいってのかよ」 「君だったらだいじょうぶだよ」 マジックは、有無を言わさぬ笑顔で買い物袋を差し出した。 「二人で、行ってらっしゃい」 「あーあ、こんなことおっつけられるなんて、ついてねぇな。全く」 ハーレムは石ころを蹴りながら夜の道を行く。 所々に電灯の灯りがあるから、足元はそんなに暗くはない。月も出ている。 草むらでは、虫がリー、リーと鳴いていた。しかし、いくら灯りがあるとはいっても、夜道というのはどことなく不気味だった。家は遠くにぽつん、ぽつん、とあるばかりだ。ここは淋しいところなのだった。 双子が夜、用事を言いつけられたのは初めてだった。二人は九歳になっていた。それだけ大人になったのだ、そうは思ってみても、胸に巣食う不安は隠しきれない。だが、その気分には、なんとなくわくわくする、好奇心に似たものも入り混じっている。彼らは少し怖い気持ちと、子供らしい探究心とを抱えながら歩いていた。 あの、さわ、さわ、というのは、風が丈の高い草を凪ぐ音。暑さの中に溶けている、草の青い匂い。夏の空は、冬の真っ暗な空と違い、どこかに明るさを隠し持っているように、ほの青い。小さな白い星々がそれを彩っている。空気の綺麗なここは、かなり小規模の、暗めの星までくっきりと浮かび上がるのである。 「なんか、おもしろいことが起こりそうだな、なぁ、サービス」 ハーレムは同意を求めたが、いらえはない。 「サービス……?」 ハーレムは振り返った。サービスの姿が見えない。 しんとした、人影ひとつない道。電灯がいたずらにそこを照らし出す。それまでなんとも思っていなかった、虫の声が、やけに気になりだす。夜風が冷たく頬を撫でる。 ハーレムは目を見開いた。 サービスがいない。消えてしまった……? もしかして、夜の闇に呑まれてしまったんじゃないだろうか。 誘拐ではない、と思う。車どころか、人っ子一人見えないのだから。 不運な子供を、あちらの世界から来た何者かが、ひっさらってしまう、という話を聞いたことがある。いつだったかマジックが、双子を寝かせる時に、こんな話があるよ、と紹介したのだ。 「悪い子は怖いお化けに連れていかれてしまうのだよ。――そうならないように、お前達も兄さんの言うことを聞いて、早く寝なさい」 それを聞いた時、少年は恐怖でなかなか眠れなかったものだ。教訓の方はともかく、ハーレムはその時感じた不安を、後々まで忘れなかった。 時にはお化けが魔女になったり、ドラキュラになったりした。 サービスは、自分でも言っていたが、確かにかわいい子供だった。ゆるいウェーブのかかった金色の髪、つるりとした白い肌。しかし、それが大理石の彫像などではない証拠に、頬に薄く紅がさしている。長い睫毛の下に、けぶるような大きなサファイア・ブルーの瞳。 もちろん、兄であり、一番の遊び相手であるハーレムがそんなことを気にすることは滅多にない。サービスは、この頃から周りから自分がどう見えるかについてはかなり意識していたが、時々無頓着になることもあるらしく、それなりに、年相応の少年として、乱暴な遊びや危険な冒険も好み、よく庭の大木にハーレムと一緒に登っては、兄達に怒られていた。綺麗な服を泥だらけにすることなど、日常茶飯事だ。 だが、同年輩よりも、大人たちに囲まれて暮らすことの多い末弟は、仕草も品が良く、どこかたちまさっていた。同じような境遇にも関わらず、いつまでたっても、持っているはねた硬い髪の毛と同じように、どこかおさまりの悪い腕白坊主と違って。 お化けや魔女、幽霊どもは、本当に悪い子しか連れ去らないんだろうか。ドラキュラは美形を好む、と聞く。想像の中で、音もなく黒い羽根を羽ばたかせて弟の元にやってきた吸血鬼は、真ん中に分けた太陽光の色の長めの前髪、冷たい青い瞳、少し人間離れしているぐらい整った顔立ちの、苦手な次兄、ルーザーの顔をしていた。 ハーレムはぶるっと己の身を抱くようにして震えた。 もう一度、慌てて辺りを見回す。誰もいない。探している姿はどこにもない。 一瞬、この世で一人きりの不安を味わった。 見捨てられた。そんな馬鹿げた想いまでが浮かんできた。 「サービス……っ! サービス! サービス!」 ぽんっ。 「うわぁぁぁっ!!」 誰かに肩を叩かれて、ハーレムは叫んで飛び上がった。次は己の番か? (俺なんか食ってもうまくないはずだ。それに、今日はギョーザ食ってきたんだぜ。悪霊退散。アーメンラーメンヒヤソーメン。アビラウンケンボジソワカ……) などと、心の中でうろ覚えの呪文を唱え始めた時である。 「なにやってんだい? 君」 少し偉そうな口調の、ボーイソプラノの声が聞こえてきた。 ハーレムは振り向いた。 肩までのプラチナ・ブロンドの髪、半ズボンから白い脚が伸びている、セーラー服姿のサービスがそこにいた。 「僕だよ。何驚いてるんだ」 「な……なんだ。いるならいるって返事しろよ!」 ハーレムはまだ胸をどきつかせながら言った。安心した反動からか、後半は少し語調が強くなる。 「そんなに怒らなくてもいいじゃないか――ははぁん」 サービスはにやりと笑って、青い目を、覗き込むように見据える。いたずらっぽい輝きが瞳の中に踊っている。相手の弱点を探り出した時の、猫の目だった。 「君、怖いんだ」 「ば……馬鹿野郎!」 「怖いなら怖いって言えばいいのに」 「怖くなんかねぇっ!!」 「正直になりなよ。そしたら僕が守ってあげるから」 「誰が」 「僕は君と違って怖いものないからね」 サービスは笑いながら少年の側をすり抜けた。 「やーい。ここまでおいで」 「ま――待てよ」 二人は転がるように駆けながら、目的の店を目指して走った。 「いらっしゃいませ……」 迎えたのは、黒髪で片目を隠した、陰気な青年だった。真夏の盛りだというのに、吸熱性の良い黒い長袖の上着を身につけている。 双子は怖がって離れた。ハーレムなど、どこから出したのか十字架まで掲げている。 「な、なに買うんだった? サービス」 「えっと、ここにメモがあるよ。弟切草のドライフラワーひとつ、ローズマリーひとつ、ヤモリの黒焼きみっつ、ネクロノミコンひとつ――なにこれ!」 買い物が終わった後に青年は余計なことを言った。 「二人とも、ここは忍の友達がたくさん出るんだよ。みんなと仲良くなれるといいね」 「と、友達って……?」 「兄者には『見えない』って言われるナァ……」 怖気づいて顔を見合わせた双子に、忍はくくくく……と笑った。 「なんだよ! あいつ! わざわざあんなこと言わなくたっていいじゃないか!」 ハーレムはおかんむりだった。だが、かえって怒っていた方が恐怖はまぎれた。 「早く帰ろう」 サービスが言った。 「そうだな。近道通ろうぜ。近道」 「うん」 こんもりとした深そうな森が目の前にあった。ざぁぁぁ……っと、生い茂った葉が鳴っている。木々は、深緑色の塊をなしていた。 二人はごくんと唾を飲み込んだ。 「ここを、通るの?」 「こっから行くのが近いんだ」 そこは、ハーレムが学校帰りによく使っている近道だった。 「――行くぞ」 「うん」 二人は森の中に足を踏み入れた。 梢がざわざわいう音。ふくろうの鳴く音。バサバサと鳥の飛び立つ羽音。森の中はいろいろな音で溢れている。 ちょっと、怖いかも―― 急に周りが涼しくなったように思えた。 「懐中電灯、持ってくればよかったね」 「ああ」 足元が暗くてよく見えない。月明かりを頼りに行くしかない。半ズボンから剥き出しの脚を小枝が引っ掻く。 パキッ。 靴が小枝を踏んづけた。平らだとはいえ、慣れない、不安定な、細かい凹凸のある道である。さっきと違い、闇が迫っているような気がした。ギャア、ギャア、と、遠くで何かの鳴き声がする。 「ハーレム……」 サービスがハーレムにぴったり寄り添う。 「なんだ、怖いもんがないんじゃなかったのかよ」 「この道は君の方が詳しいんだろ」 ハーレムはふっと笑った。 「俺から離れるなよ」 急に兄としての自覚に目覚めたハーレムが、弟に向かって安心させるように頷く。 森はいつもより深く、暗く、出口がないように思われた。 (夜にここ来るの、初めてだからな) だが、もう間もなく、あそこに出るはずだ――あった。 「見ろよ。あれ」 ハーレムがサービスに囁いて指差す。そこには静謐な湖があった。 満々と冷たそうな青い水が湛えられている。水面には樹や月が映っている。木々に囲まれたその湖は、まるで、家のリビングにかかっていたあの絵のようだ。 「きれい……」 「だな」 ハーレムが石を拾い上げ、湖に向かって投げた。ボチャンと音がして、綺麗な波紋が弧を描いた。 「ハーレム、石投げちゃだめじゃないか」 少年は聞かずにそのまま駆けて行って水に手を浸す。 「冷たいぜ」 「どれ」 サービスも岸辺に下りていってそれにならう。 「ほんとだ」 「な」 ハーレムは湖の水を一すくい、すくって飲む。 「うまーい」 「どれ? 僕も」 湖の水は甘くておいしかった。 「お兄ちゃん達にも飲ませたいな。水筒があればよかったね」 「いいじゃんか。そんなの。だいたい、俺らに買い物おっつけたの、マジック兄貴じゃん」 「ルーザーお兄ちゃんだっているよ」 サービスは反駁した。 「あんな奴」 ハーレムは軽く歯を見せ、眉を顰めて鼻に皺を寄せた。そうすると、妙に動物めいて見えた。何かの獣が、不倶戴天の宿敵に向かってするような顔だ。サービスがルーザーのことをわざわざ思い出させたことで、サービスのことも少し憎んだ。 だが、それは一瞬で過ぎ去った。美しい風景は心を和ませた。 透き通った羽根の小さな虫が、細い草の葉に止まった。ハーレムはじっとそれを見ていた。妖精みたいだ。やがてそれはひらひらと飛び去った。 「もう行こうぜ」 「待って。もう少し」 「サービス。ここの水をあんまり飲み過ぎない方がいいぜ」 「どうして?」 「どうしてって……だから、なんとなくそんな気がするんだよ」 「なぜ?」 「なぜって……」 ハーレムが考えを巡らせようとした時だった。 「ほっほっ。おまえさん方、こんなところで何をやっとるんじゃね?」 白い髪に白く長い髭。釣竿を持った、飄々とした小柄のお爺さんが現れた。 「こんなところに人間が来るのは、久し振りじゃの。しかも、めんこい子供たちじゃ」 老爺はにこにこと、嬉しそうな笑顔を彼らに向ける。 「人間が来るのが久し振りって、爺さん人間じゃないのか?」 「バカだな。ハーレムは。お爺さん以外の人間に、決まっているだろ」 「いやいや。その、子獅子みたいな少年は、なかなか鋭いことを言う。その通り、わしは厳密な意味では、もう人間ではないんじゃ」 「えっ?! じゃあ、幽霊?!」 「いやいや。こうして生きて、動いてもおる。かなりこの体はガタが来てるがの。わしは、ずっと、この森で暮らすのが夢じゃった。強く強く思い続けていたから、願いが叶ったんじゃな。ほれ、そこに小屋があるじゃろ。そこが、わしの家じゃ」 「あ、本当だ」 「いつか遊びに来なさい。もっとも、この森の秘密を知って、それでもまだ来ようとする気が起きるかどうかは謎じゃがな」 「この森の秘密って?」 ハーレムが聞いた時、お爺さんは深い色の目を静かに向けた。何でも知っていそうで、どこかこの湖に似ていた。なぜかはわからないが、少し哀しげだった。 「おまえさん方は、まだこの世の知識に毒されていない。だから、ここに来ることができた。でも――いや、やはりだめじゃ。おまえさん方はあっちに大切なものをいっぱい残している。やるべきこともな。仲間に迎えることはできんよ」 「お――おじいさんは、こんなところにいて、淋しくないの?」 今度はサービスが質問する。 「淋しかろうはずがないさ。ここには人間のお仲間はいないが、それ以外の生き物はたくさんいるんじゃからな。野ウサギ、子リス、キツツキ――わしはな、動物と話せるんじゃよ」 「へぇ…」 「どうやって? おじいさんは動物の言葉を話すの?」 「いやいや、まさか。相手をよく見るんじゃ。そしたら、向こうも答えてくれる。心と心、というのかな。だが、心というものは、動物の種類によって、少し違うものなんじゃ。では、なんでわかるか、通じ合えるか、というと、そうじゃな――うん、たましいだよ。たましいの言葉は、この地上に生きとし生けるものの共通語じゃ。大切なのは、たましいじゃよ」 「ふぅん」 二人は頷いたが、すっかりわかったわけではなかった。 「さぁ、遅くならないうちに、お帰り。といっても、もうすっかり暗いがの」 老爺は、ひょこひょこと過ぎていき、少し小高くなっている場所に腰を下ろして、釣り糸を垂れた。 ハーレムとサービスは湖を後にして、なおも木の葉や枝を払いながら進んでいた。 「ハーレム……まだつかないの?」 「待てよ。もう少しだから」 そう言いながらも、ハーレムの心は焦燥感を食んでいた。 確かにこっちでよかったはずなんだが―― 「疲れてきた」 「黙れよ」 二人は次第に苛立ってきた。 空を覆うようにして伸びた、高い高い木。どこへ行っても、同じような植物の生えている森。昼間見られる心和ませる小動物もいない。物音は至るところでしていながら、なんともいえぬ静寂に包まれて、変わることのない不気味な場所。 もしかして、生きている「森」に飲み込まれたんじゃないだろうか。双子はそんな思いに駆られた。 二人とも、互いの目がなければ、即座に逃げ出したかった。 「もしかして、迷ったんじゃない?」 「うるせぇ」 サービスの言葉に、ハーレムは内心の不安を振り払うようにして言った。 「さっきのおじいさんに出口を聞いた方が良かったんじゃない?」 「こういう時は、下手に後戻りしない方がいいんだ。それに、道はこっちで合ってるよ」 「だといいんだけど――僕、気になることがあってさ」 「……なんだよ」 「ねぇ、ここだったんじゃない? この間、女の人が恋人にふられて死んでしまったって話があったよね。それって、もしかしてこういうとこだったんじゃないかな」 「へ……変なこと言うなよ」 「あっ!」 サービスが叫んだ。 「なんだよ」 「ほらあそこ。誰かいる」 ハーレムは闇に目を凝らして、サービスの言う方を見る。 「誰もいないぞ。気のせいだったんじゃ…」 一瞬目を外して、再びそこに視線を戻したとき、白い人影がぼうっと浮かんだような気がした。 かなり風が出てきた。髪が顔にまといつく。夏だというのに、そして、今まであんなに暑かったのに、今は底冷えがした。二人は鳥肌を立てた。 「風が、泣いてるみたい」 サービスの言う通り、それは、甲高い女のすすり泣きに似ていた。バンシーの声というのは、こんな感じだろうか。 「ただの風だ。ただの」 自分に言い聞かすように、ハーレムが言う。 「――うわっ!」 彼の目の前を、何かがかすめた。 「な……なに?!」 正体はすぐにわかった。根元から折れて、皮一枚で繋がっていた木の枝が、風に揺られて動いていたのだ。 ハーレムとサービスは、互いの顔を見て、決意するように頷いた。 こんな森、早く出よう。 はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ…… はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ…… 二人は息を切らせて走った。 右を見ても左を見ても、木、木、木ばかり。出口は見えなかった。 童話に出てくる”黒い森”に二人は捉えられてしまった。この奥には、魔女が一人で住んでいてもおかしくはない。狼が、子供たちを胃の腑に納めるために待っている。或いは、ドラキュラの城でも、あるのかもしれない。 「おい、おかしいぜ」 ハーレムが鋭い声を上げる。 「なにが?」 「俺、近道通る時、木に印つけといたんだ。道がいつでもわかるように。俺、今まで印に沿って歩いてたんだ。でも――さっきから同じところをぐるぐる回ってるみたいだ。ほら、ここはさっき通ったとこだよ」 「そう言えば……」 サービスも辺りを見回す。この目の前の特徴ある大木は、さっきも見たのではなかったか。 「君、さっきまで自信たっぷりだったじゃないか」 「俺は間違ってねぇよ。この森がおかしいんだ!」 「そんなこと、あるわけないだろ!」 「でも、そうとしか考えられないんだから、仕様がないじゃねぇか!」 生きている森。出口のない森。 子供たちはもう、囚われの身。 「ちくしょう!」 ハーレムは足を踏み鳴らす。 「ハーレム、落ち着こう。ここで朝まで待とう。朝になったら、兄さん達が必ず迎えに来る」 少し言い合ったことで、冷静さを取り戻したサービスが提案した。 ハーレムも頷いて、大木の根方に腰を下ろした。 木々の梢の間から、薄闇色の空が覗く。目を凝らして一点を見つめていたら、いたずら者の小人でも出てこないだろうか。 だが、いくら待っても何も現れなかった。 「ここにいれば、安全だよ」 「そうだな」 二人は身を寄せ合った。何かに襲われないように、周囲に気を配るのも忘れない。 遠くで、獣の吠え声が聞こえる。 「こっちまでは来ないよな」 「来ないよ」 サービスはじっとしていることによって、落ち着きを取り戻していた。ハーレムはなおもきょろきょろしていた。だが、ぴったりと寄せ合った肌から、安心が流れ込んでくる。サービスがいてよかった、と、ハーレムは思った。もし一人だったら、たとえルーザー似のドラキュラでさえ、出てくることを望んだであろうから。 疲れもあって、ふたりはいつしかうとうとし始めていた。 その時、夢かうつつか。 光の粒子が零れ落ち、木々の間から青い鳥が姿を現した。青い鳥は闇夜にありながらはっきりとその姿を浮かび上がらせ、双子の頭の上を飛んでいた。 「なにあれ……」 サービスが不安そうにする中、ハーレムはその鳥を注視していた。 もう、はっきり目も覚めていた。 その鳥はずっと昔、ルーザーに殺された鳥に似ていた。 「鳥……」 ハーレムは立ち上がった。 「ハーレム……」 「だいじょうぶだよ。サービス――行こう」 ハーレムは力強く歩き出した。サービスも周りに注意しながらついてきた。 あの鳥が、守ってくれる。 二人が歩みを止めると、青い鳥は戻ってきて頭の上を飛び回る。ついて来い、と促しているようだ。双子は鳥に見惚れていた。原色の絵本に出ていた、あの美しい鳥。光の粒を振りまいて飛んでいる姿は、幻想的な光景だった。 「あの鳥は、俺達の味方だ」 「うん――そうみたい」 闇にぽっかりと白い穴が開いた。鳥の導きで、やがて彼らは開けた場所に出た。二人は、この森から出られたことを、奇跡のように思った。 「出られたね。ハーレム」 「ああ、あの鳥にお礼を言わないと――あれ?」 青い鳥は、すでに消えていた。 しかし、ハーレムは信じていた。あのときの鳥が、自分達を救うために、現れてくれたのだと。 (ありがとう) ハーレムは、どこかにいるはずの青い鳥に、心のなかでそう言った。 「二人とも、二人とも――ハーレム、サービス、二人とも起きるんだ」 二人は揺すぶられて目が覚めた。彼らは草むらに寝転がっていたのだ。 「あ……あれ?」 「マジック兄貴、と、ルーザー兄貴……」 二人の兄が、心配そうに覗き込んでいた。マジックの、黄金色のなでつけた髪、男らしいしっかりとした輪郭の顔と、ルーザーの、色素の薄い、線の細い顔。 「二人とも、心配したんだぞ! ゆうべは一晩中帰ってこないなんて――」 説教しようとした長兄のマジックに、双子は泣きながら飛びついた。 「お……おまえ、たち……?」 さしものマジックも出鼻をくじかれた格好となった。 「やれやれ、君達はいざとなったらマジック兄さんなんですね」 ルーザーが淋しそうに言った。 「ルーザーお兄ちゃーん」 サービスは次兄のところに駆け寄って行ったが、ハーレムはマジックから離れようとしなかった。 「いったいどうしたというんだい?」 と訊く優しい次兄に、サービスは言う。 「ルーザーお兄ちゃん。僕達不思議なめに合ったんだ」 「ふぅん。どんなめ?」 「まず、僕達、買い物帰りに、近道しようと森に入ったんだ。それで――」 「森……?」 ルーザーは途端に心配そうな顔になってマジックを見る。 「兄さん……」 「どうした?」 「サービスが、森に行ったって」 「森だって?」 マジックがサービスに近寄って訊く。 「サービス。森って、どこの森だい?」 「森っていったら、ここの森に決まってるだろ?」 ハーレムが口を挟む。 「――おまえたち。兄さんをからかってはいけないよ。この辺には森なんてないじゃないか」 「え? なに言ってんだよ。ほらそこに――」 ルーザーの台詞に、ハーレムは指し示そうとして後ろを振り向いた。 だが、森はどこにも見当たらなかった。代わりに白い、何かの研究施設のような建物があるばかりだった。 「あれ? なんでだよ。昨日まで確かにここらへんに――」 「サービス。本当にあそこに森はあったのかい?」 「あったよ。もっとも、僕は昨日初めて行ったんだけどね。あの森のことだったら、ハーレムの方が知ってると思うよ」 「ああ、俺。何度もあの森通ったぜ。あの森は確かにあった。夢見てた、なんて言わないでくれよ。サービスまで同じ夢見るはずないもんな」 「とってもリアルだったよ。あれは夢じゃないって、僕も断言できる」 「どう思います? 兄さん」 再びルーザーがマジックを伺う。 「昔はこの近くに森があったということだがな……」 「昔、あった、森……そうか、もしかして!」 急に閃いたハーレムは手を打った。 「俺が見たのって、その森だったりして」 「なに言ってるんだい、ハーレム。そんな非科学的なこと、あるわけないじゃないか」 ルーザーが声を高くして反駁する。 「んなの、わかんねぇじゃねぇか。そんなにムキになるなよ」 ハーレムが肩を竦めた。 非科学的、か――。 ルーザーはそう言うけど、俺は確かにあの森を見たんだ、とハーレムは思った。 森のお化け。そんなものが本当にあるのかどうかはわからないけど、人間に伐採された木々の恨みが、当時の姿を現前させたのならば。 いや、ある種の子供達は、この世にはあるはずもない場所に紛れ込むことがあるのだ。 (――しかしそれが、ルーザーみたいな石頭のやつでないことだけは確かだな) 大人には窺い知れない世界。そのようなものを頭から否定している人間には、決して見えてこない世界。 いや、大人でも、ある程度の年齢を過ぎると――世の中での仕事を全て終えた人間には、また現れてくるものなのかもしれなかった。いろいろな雑事に心をすり減らされず、少年の瑞々しい感性を、持っている者の前に。 あの森で見たお爺さんは、この世を引退して、この世ならぬ世界を住処としていたのだった。もうこちらに戻ってくることはできないし、戻ってくる気もないのだろう。 (おまえさん方はあっちに大切なものをいっぱい残している。やるべきこともな) いずれにせよ、今はもうあの森を見ることはないし、あの鳥に遭うこともないだろうと、ハーレムは少し、心が痛むような、淋しい気持ちで、森のあった場所を眺めていた。 ふと気付くと、サービスの感慨深げな横顔があった。弟も同じ気持ちなのだ、とハーレムは思った。 サービスはハーレムの方を向いて笑った。二人は互いに相寄って、何も言わずに手を握った。 後書き なかなか楽しかったです。でも、これをパソに移し変える作業(これはノートに書いた話を元にしています)は、ちょっと疲れましたね。でも、森に住んでるおじいさんなんてキャラも出てきて、わりと思いがけない展開になりました。あと、細かいギャグも入れましたが、入れなかった方がマシだったかも……(笑)。 最後、語っちゃいました。なんか、語ってしまうくせがあるようですね。私。 森、というのはなんなのか――考えてみるといろいろ出てきそうですね。 少しおいた後で、また読み直しました。もうちょっと長い話書きたかったな、とか、登場人物の台詞とか、描写とか、まだまだ問題点はあるものの、しかし、今回はこれでいいか、と思います。 追記 これは、葵さんのHPに送らせてもらった小説です。 葵さんにも絶賛され、製作者冥利に尽きるというやつです。 「あ、これ、見たことあるー」という方、再録でごめんなさい。 |