南の島の歌 マジックとジャン

 タンッ トン タンッ トン
 十歳ぐらいの子がステップを踏んで歩いている。彼の足がふわりと舞い上がる度に、金色の髪がふわりと揺れ、また肩口に滑り下りる。月明かりに黄金色の髪は、よく映える。
「おーい、君」
 椰子の並木道から、声がした。
 黒い髪に日に焼けた逞しい体。満ち足りたような穏やかな顔だが、今は眉が少し顰められている。
「こんなによる遅くに、何やってるんだ。さっさと家に帰りなさい」
 少年は齢に不釣り合いなほど賢そうな目をぱちぱちと瞬かせた。
「なんで? 今日はこんなに明るいんだよ。それにここは一人で歩いて危険な場所じゃないだろう?」
「しかし、お母さんが心配するだろう」
「全然。ぼくが一人で外出するようになって、喜んでるよ」
 なんて無責任な親だ。ジャンは心の中で嘆息を洩らした。
「よし、じゃあお兄さんがついて行ってあげよう。怖いことが何もないようにな」
「怖いことなんて、何もないよ」
「そうとも限らないさ。なあ、君、どこまで行くつもりなんだ?」
「海岸だよ。僕、夜の海って好きさ。知ってる? 夜と昼とじゃ、風の吹いてくる方向も違うんだ。それじゃ、レッツゴー」
「ま、待った」
 駆け出そうとする少年を、ジャンは慌てて呼び止めた。
「君、もしかして、夜になるといつも、こんな風に散歩に出るのかい?」
「うん。月の綺麗な晩は特に。あ、そうだ。ぼくの名前、言ってなかったね」
 そう言って、少年はくるりと振り向く。
「ぼくの名はマジック。これからは、名前で呼んでくれる?」
 ジャンはこくんと頷いた。相手が自己紹介したのだから、こっちも何か言わなきゃと思った矢先に、マジックが喋り出した。
「お兄さんはジャンでしょ。知ってるよ。有名だもん。いろんな意味で」
「はあ……」
 それ以上は訊かなかった。
 二人は並んで歩きだした。マジックは、ステップを踏むのはやめて、普通に歩いている。二人の後ろに長い影が伸びている。
 夜空の星々の光は、なんとなく冴えない。まあるい月だけが、特別目立っている。
 前を歩いているマジックの様子は、とりたててなんということもないけれど、楽しそうだ。
「なぁ、マジック」
「なあに、ジャン」
「……いきなり呼び捨てかよ」
「そっちこそ」
 小道を通り抜け、荒れた畑に出た。もう、一年以上はほったらかしにしてあるところだ。その向こうに森が見えた。あの森に入ったら、どんなに暗くて怖いだろう。
 いつの間にか、冷たい風が出てきた。
 森の葉の、さわさわいう音が聞こえる。
 雲が出てきて月を飲み込んでいった。
 マジックは、無意識のうちに、ジャンの腕をつかんでいた。
「……ジャン」
 ぎゅっと、つかんだ手に力がこもる。
「どうしたんだ。急に怖くなったか?」
 ジャンが優しく、あやすように言う。
「……淋しい」
「え?」
「淋しいんだ。ものすごく。あの畑も、あの森も。何故だろう。ぼく今までこんなことなかったのに」
「淋しいか。大丈夫、大丈夫。俺がいるから。何にも恐れることはないんだよ。さあ、おまえの好きな海を見に行こう」
 ジャンの言葉を聞いて、マジックは少し、安心した。
 肩にかけられた、暖かい大きな手に、守られているような気がしたのだ。

 マジックの両目は、サファイヤの瞳だった。
 青い宝石の瞳は、秘石眼と呼ばれるもので、彼の一族には代々伝わっている。ただ、両目とも秘石眼というのは、初めてであった。
 秘石眼に意味はあるのだろうか。「意味がある」と言う者もいれば、「単なる一族の証だ」と言う者もいる。要するに、それはよくわからない。
 マジックがジャンと親しくなってからのある日のこと。
「珍しいな。おまえの目」
 ジャンはまじまじとマジックの目を覗き込んだ。
「でしょう。みんなからもよく言われるよ」
 マジックは得意気に言った。
「こんなケース、初めてなんだって。もし秘石眼に意味があるんだとしたら……」
とここまで来て、マジックは声のトーンを落とし、内緒話でも進めるかのような声で言った。
「ぼくは『選ばれた者』ということになる」
 ジャンはきょとんとした。『選ばれた者』ということの意味が、よく呑み込めない。
 彼は、秘石眼のことよりも、さっさと野山や湖畔の森に、遊びに行きたかった。
「どうしたんだ? ジャン。ぼーっとして」
「あ……ああ、いや。それで?」
「それでって?」
「さっきの話の続きだよ」
「ああ、あれね。結局どうもしないさ。それより、思いっきり遊ぼうよ」
 マジックが、ジャンと同意見だったので、ジャンは快く諾った。
「ジャン。何がいい? ぼくはかくれんぼがいいな」
「ふっふっふっ。俺は隠れるのが得意だからな。見つけるの、大変だぞ」
「ぼくだって、負けないからな」

 パプワ島という大きな島で、二つの一族は、概ね友好に暮らしていた。時たま、ほんの些細な小競り合いが起こるのは――これは致し方あるまい。
 その中で島民は、毎日平和に暮らしていた。
 面倒見が良く、遊び上手なジャンは、子供達の人気者だった。
 その中でとりわけ長く接するようになったのが、マジックだったと言える。
 マジックは早熟な子供だった。大人を驚かせるほど、頭が良く、スポーツをやらせれば、何でも一番だった。
 しかし、子供らしいあどけなさと無邪気さはそのまま残っている。
 彼はジャンと特に気が合い、暇さえあれば、二人で海岸に座って海を眺めていた。

『あの子はいつか、この島を滅ぼす者になる』

 いつぞやの赤の秘石の予言が、ジャンの脳裏を過ぎる。が、それは一瞬のこと。多少ませているとはいえ、この島を危機に陥らせるほどの危険性を、彼には感じられない。
 黄金色の髪が潮風に靡いている。寄せては返す波の音を聞きながら、静かに佇んでいる。
「マジック――……」
 ジャンは声をかけようとして、そのまま立ち止まってしまった。
 マジックはあらぬ方向を見ている。冷めた表情で、海の向こうを眺めている。その姿に、ジャンは孤独の影を感じ取った。
 この子もまた、何かを抱えて生きている。人間みな孤独、と言ったらそれまでだが――。
 ジャンがマジックの傍に歩み寄った。
「マジック」
「やあ、ジャン」
 ジャンも傍らの相手と同じように水平線に視線を向けた。海鳥が一羽、飛び去って行った。
「おまえ、暇さえあれば、ここに来てるな」
「好きなんだ。海が。潮の匂いが」
 そう言って、マジックは、ちらりとジャンに目を向けた。
「ジャン。どんなことがあっても、波の音だけは決して変わることはないんだな」
「ああ。波の音はきっと、南の島の歌なんだよ」
 永遠に、終わりのない歌を、繰り返し、繰り返し……。
「ここに来ると、ほっとできるんだ」
 マジックの頬に、涙が伝った
「ここは俺の故郷さ。俺が生まれて間もない頃に見た風景は、この海だったんだ」
 ジャンが言う。
(……いや、俺だけじゃない。人間はみな、太古の記憶を通して、海を自分の故郷にしているのかもしれない。俺達は、海を離れでもなお、海を欲している――)
 マジックの存在も忘れ、ジャンはもの思いに耽って行った。 
 その時である。マジックがジャンに海の水をかけた。ジャンの舌に、しょっぱい味が広がる。
「あははっ、ジャン。ざまぁ見ろ」
「やったなッ」
 二人はきゃあきゃあ騒ぎながら、海の水を掛け合う。
 マジックの涙は、海と同じ味がしただろう。その涙は、もう海に溶け去ったのだろう。見慣れた、いつもの明るいマジックだ。
 夕日が沈んでいく。橙色の光が、遊び疲れた二人の姿を包む。
 太陽は、残像を残して、水平線の彼方に消えていく。
 星が出てもい頃合いになってきた。
「ほら、帰るぞ」
 ジャンが手を差し出す。
「…………」
「どうした?」
「ぼくはもう少し、ここにいる」
「どうして?」
「おまえと一緒に、ここにいる。ここにいたい」
「仕方ないな」
 ジャンは、マジックの体を抱き上げ、椰子の木の根元に座らせ、自分もどかりと腰を下ろした。
 二人は、夜空を見上げて話をするでもなく、ただ、浜辺にずっと座っているだけだった。
 ただ、そこにいるだけだった。

『お前は、特別なんだよ。マジック』
 物心ついたときから、ずっと聞かされてきた父の言葉。
 自分は期待されている。それがひしひしと伝わる。
 父は、すぐ下の弟のルーザーには冷たい。冷たいというより、無関心だ。
『お前は、青の一族を率いる者になるんだよ』
 父が言うんだから、間違いないだろう。
 母は、赤の族の人間だった。その腹から両目秘石眼のぼくが生まれたのは、全く偶然の特別変異なのだろう。
 ぼくは、父よりも、自由な考えの母の方が好きだった。
 ぼくはよく、母の縁故で赤の領地に遊びに行った。
 父は怒るかもしれないが、ぼくにとっては、赤のエリアで遊んでいる方が楽しかった。
 そこで、彼を見かけたのだった。
 赤の番人、ジャン。
 何でも器用にこなし、島のことなら隅から隅まで知っていて、日向の匂いのしそうな褐色の肌を持っている。まさしく、大自然の落とし子としか思えない彼。
 彼の周りには、いつも、いろいろな動物や子供達が集まっていた。
 そのときぼくは、陰から様子を窺うだけで、すぐには彼の前に現れなかった。
 一回の登場でぼくのことを印象付けたかったからだ。彼が一人きりになる機会を待った。
 そんなチャンスは、なかなか訪れなった。おかげで彼に関する情報をいろいろ入手することができた。
 評判はおおむね良好。ただし、一部例外あり。
(アスなんていう、ジャンにちょっかい出す変な奴もいたし)
 人望厚く、島民から信頼されていること。畑仕事を趣味としていること。
 そして……。
 ぼくと同じように、海を眺めるのが好きなこと。
 出会いは、すっかり計算通りという具合にはならなかったが……しかし、このことを思い出すと、神の手というのは、本当にあるのかなぁ、と考えてしまう。それは人間の浅知恵など、とうに通り越してしまうものなのだ。

後書き
まず、この話を書いた高校時代の私に感謝を。
例によって、少し手直ししましたが。
マジックのパパの性格が、『光と闇』に出てくるパパと同じになってしまいました。
というより、『光と闇』に出てくるパパが、その性格を引き継いだんですが。
原作のマジック達のパパが好きな方、どうも申し訳ない。
私の時は、ある意味高校時代で止まっているところもありますから(汗)
でも、この話、私好きです。
まだあります。『南の島の歌』シリーズ。発表する機会も、考えております。
よろしかったら、お付き合いください。


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