兄弟

 僕は弟の帰りを待っていた。
 僕には双子の弟がいて、その片割れ――ハーレムが、なかなか帰ってこない。
 机の上には手紙が二通。一方は既に封を切ってある。一方は未開封のままであり、一方は既に封を切ってある。封を切ってある方は、僕宛ての手紙だった。
 封筒の表にはそれぞれの名があり、裏には同じ署名が、力強く端正な文字で書かれていた。
 ガンマ団の総帥として、遠征に赴いている兄マジックが、遠い戦地からわざわざ内容の違う手紙を三通、僕達に送って寄越したのである。それは、兄の余裕とも、僕達への気遣いとも受け取れた。僕達は兄が帰って来ないことを心配はしていなかったが、兄が帰って来る日を心待ちにしていた。
 兄は比類がない程に強く、どんな敵をも必ず打ち砕く筈だから。
 兄が敗れる日。それは僕にとっての世界が、ひっくり返る日と言ってもよかった。

『ルーザーへ

 家のことをお前に任せきりにしてすまない。
 だが、双子も大きくなっていることだし、自分のことは自分で片付けるだろうから。
 それに、お前には面倒見のいい所があるので、大丈夫だろう。
 戦局にも目処がついてきた。一週間以内には、敵方も降服するだろう。
 私はいたって元気だが、そちらはどうだ? まぁ、達者な者ばかりだから心配はあるまいと思うが、もし変事があった場合には、こっちにある臨時支部(陣営)の方に届けてくれ。私が本部に帰ってきていた場合でも、そこを通じて届く筈だ。
 私が頭を悩ませているのは別のことだ。ハーレムがお前にさっき書いたのとは違う意味で、お前の手を焼かせてないといいがな。
 出発前に一応お前の言うことはちゃんときくようにときつく釘を刺しておいたのだが、あいつも難しい年頃だからな……。
 その点、サービスとお前が仲がいいのは良かった。サービスまでお前と仲が悪かったら、私の心配は増える一方だからな。
 弟達には、遠慮なくどんどん手伝わせなさい。甘やかすと為にならんからな。
 そういう訳だから、私は近いうちに帰ってくる。お前達がびっくりするほどのお土産を持って帰るつもりだから、楽しみにしていなさい』   

 さっきサービスに手紙を渡した時、上気した頬で、嬉しそうな表情を見せて、
「どうもありがとう。ルーザー兄さん」
と、礼を言ってくれた。
 素直な子だ。その素直さが可愛いと思う。
 同じ双子でも、あいつとは正反対だ。僕は、心の中で、密かに溜め息を吐いた。
 僕は窓の前の出張った箇所に、肘をついて、何とはなしに外を眺めていた。
 庭を照らすサーチライトの明かりが、芝生を二つに割っている。
 道をぼんやりと浮かび上がらせ、視界の奥に続く駐車場を指し示している。
 待っていたその姿が見えた時、僕は遠くに見えるバイクの止まる音を耳に聞いた様な気がした。やがて、豆人形の様にも見える弟の姿が近付いてきた。僕は階下へ降りた。
「お帰り」
 玄関に僕の姿を認めた弟、ハーレムはぶっきらぼうに、
「ただいま」
と言った。
「食事、温めるね」
「しなくていいぜ。そんなこと」
「いいから、さあ、こっちへ来てお座り」
 僕はハーレムの肩に手をかけ、台所まで連れて行った。
 彼は、椅子に腰かけ、手を組み、首をこころもち斜めに傾げ、ある方向に視線を投げている。
 食事の時間に遅れておきながら、こんなに偉そうな態度をする人を、僕は他に知らない。
「飯なんか冷めても食えるだろ」
「そうはいかないよ。少し待っていなさい」
 ハーレムには、物事をできるだけ簡素に済ませようとする癖がある。
 僕は、彼に衣食住に手間暇をかける大切さ――日々の生活を快くする為の様々な小さな努力の大切さを根気よく教えていかなければならなかった。にも関わらず、彼はそれをあっさり『無駄』と決めつけ、真っ先に削除すべき項目の中に入れていた。僕がそれを注意すると、
「実際その通りじゃねぇか」
と冷笑と共に軽くいなされてしまった。
 さて、そんなハーレムのテーブルマナーは、まずまずの及第点と云えた。
 そこで僕は、僕や兄の教育がはっきりと目に見えなくても、実を結んでいることを知った。
 尤も、彼に、兄さんやサービスに見られる様な一種の優雅さはなかった。それは仕方のない事で、僕の目から見ても、彼にその様な素質は無かった。無いものに期待しても仕方がない。
 彼は食事を終えると、食器を持って洗い場に向かった。
「ああ、僕がやるよ」
 僕は声をかけた。
「そんなわけにいかねぇだろ」
 ハーレムは、身辺の事には必要最低限しか注意を払わない代わりに、必要最低限の事はちゃんとするのである。後片付け習慣は、私達が特に躾けた訳ではないが、生まれつきの気質から来ているものらしい。そういう部分では自立していると云えたが、甘ったれた所も持ち合わせてもいるので、概しては何とも云えなかった。
 我々もそういう点では、似たようなものである。
僕達の本邸には、お手伝いやメイドと云ったものは置いていない。
 掃除夫や執事などは、離れに住んでいる。
 我々の家は大邸宅ながらも、家族で毎日使っているのは、その一角でしかない。
 その中で家庭生活をこじんまりと営んでいるだけだから、それで足りる。それに、僕以上に、家事に情熱と愛情をかける兄さんもいる。
 尤も、遠征に出発するにあたり、兄さんが僕達の手を煩わせない様に、「お手伝いを一人ぐらい雇うか」と言ってくれたが、僕は、はっきり断った。他人に、自分達の生活に介入されるのは、好きではなかったからだ。
「おや?」
 僕は懐の中の手紙を思い出した。
 ハーレムは片付けを終え、もう二階に上がっている。ただちに彼の部屋に向かい、ノックした。
「はい」
「ルーザーだよ。入っていいかい?」
「ダメ」
「……入るよ」
 ひどく散らかってはいないが、お世辞にもモデルルーム並とは云えない。部屋の主の性格をよく物語っている。
「なんだよ」
 ハーレムは煩げにこっちを見遣る。勉強をしていると思ったら、違うらしい。机の上には、読みかけの本がある。最近評判の、娯楽小説だった。
「その本、面白いかい?」
「別に。前の方が面白かったぜ。……何しに来たんだ」
「ああ。兄さんから手紙が来たよ」
 そう聞くと、ハーレムの眉がこころもち跳ね上がる。急に興味の湧いた目でこちらを見る。お土産が出るのを今か今かと待っている、子供の様な目だった。
「三人別々に届いたんだ。これハーレムの分」
 ハーレムは手紙を受け取り、ペーパーナイフで封を切って、中身を広げた。
 僕はひょいと肩越しにそれを覗く。
「兄貴、見るんじゃねぇよ」
 そう言いながらも、口調には厳しさはなかった。どうやら照れ隠しらしい。
「そうだね。悪かったよ」
 僕は視線を外した。弟は文面に目を走らせている。
「一週間前の消印になってる。早ければ二、三日中には、帰ってくると思うよ」
 そう言って、僕はまた付け足した。
「楽しみだね」
 ハーレムは僕の言葉に、表立って頷きはしなかったが、その実、誰よりも兄の帰りを望んでいるのは、彼かもしれない。
 ハーレムと視線がぶつかった。
「どうしたの?」
「いや」
 弟は目を逸らしてから答えた。
「三人に違う内容の手紙を書くなんて、兄貴もマメだなぁ」
「そうだね。嬉しい?」
「いや」
 ハーレムは、台詞とは裏腹に、満更でもない様子だった。
 兄さん、兄さん、兄さん――いつもマジック兄さんを中心にしてきた、小さな世界。あの人がいなかったら、僕も、ハーレムも、サービスも存在していないのではないか。時々そう思う。
 この頃ハーレムには、マジック兄さんに対する反抗心の萌芽の様なものも芽生えて来始めているのだが、それだって、一種の甘えの変形に他ならない。
 だって、兄さんは、「あいつは近頃、さっぱり云う事をきかなくなった」とこぼしていたが、兄さんの前では、あんなに素直なのに――或る意味一途と云っていい。
「なににやにやしてるんだよ。そんなんじゃねぇったら」
 僕は水底から一気に浅瀬へ引き上げられた、魚の気持ちになった。僕は僕なりに色々考えて沈んでいたのに、にやにやしている様に見えたのだろうか。多少心外になって、僕は唇を引き結ぶ。
 彼はまだ喋っていた。
「俺は、兄貴の持ってくるお土産が楽しみなんだからな」
「何頼んだんだい? おまえは」
「え? とりあえず何でもいいって言っておいたけど、ほんとは俺、ワシの?製欲しいんだよ。羽広げてるやつさ。かっこいいんだ。兄貴は?」
 子供の様に熱心な口ぶりで話すハーレムに、僕は微かに笑った。
「僕は、日本の灯籠が欲しいんだ。色のついた和紙に様々な模様がある物がさ。火を灯したら、綺麗だろうな」
「兄貴に言ったのか?」
「何かの折に、ちらと話した様な気がする。兄さんは覚えててくれるかな」
「忘れちゃいねぇさ。マジック兄貴はそういう奴だ」
「でも、一番のお土産は、兄さんが無事に帰ってくることだな」
「へっ。くっさいこと言いやがって」
 けれど、ハーレムも、それは同感であったらしい。珍しく、暖かい空気が僕達を包んだ。

後書き
これは大昔にノートに書いた小説を引っ張り出してきたものです。
だから、未熟なところも多々あります。
ちょこちょこと、修正した箇所もありますね。
珍しく(?)オリキャラ無しの作品でした。


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