望まれない口づけ

 今日も雨か――。
 ギデオンも来ないし、ミリィは同伴デートだし。
 切ないなぁ。
 あたし――リサ・ウォーレスは、なにかをやって無聊を慰めることもできなかった。
 ありていに言って――退屈だ。
 窓際に座っていたあたしは、窓に体を預けた。雨の音がする。
 雨は嫌いなあたしだけど――今だけは、この一人身の寂しさを優しく包んでくれるような気がする。そう思うと、なかなか悪くなかった。
(待ち人来たらず……か)
「リサ―。ちょっと来てー」
 レベッカママの声が飛んできた。
「はーい」
 あたしは返事をすると、レベッカのところにのろのろとやってきた。
「なにのろくさやってんの」
 レベッカはお叱りの声――というより、呆れたような声を出した。
「すみません……」
「リサ、あんたって、一月もギデオンさんに会わないと、まるで生ける屍ね。仕方ないんだけど……」
 レベッカは溜息を吐く。
「――辛い恋をしているのね」
「……すみません」
「謝るこた、ないわよ。恋はできるんならする方がいいんだからね。しかし――」
 レベッカが一旦ここで言葉を切った。
 そのまま数秒。
「なんですか?」
 たまらなくなって、あたしが訊いた。
「いやね。あんたのこと、あたし恋多き女だと思ってたのよ。ギデオンが来るまでは」
「だって――ギデオンはあたしの初恋の人だもの」
「そうみたいね。あんたって意外と純情なんで驚いちゃった」
 レベッカが彼女自身の腰の後ろに手を回した。彼女の癖である。
「暇なら手伝ってちょうだい。掃除して。動けば鬱も紛れるわよ」
「え……あたし、鬱だった?」
「ちょっと鏡ごらんなさい。あたしが言ったこと、わかるから」
 そう言われて、あたしは鏡を覗きこむ。
 あらら、これはひどい。
 元がいいので、憂い顔もそれなりに様にはなっていたが、お客様の前に出られるような顔じゃない。
 とりあえず、化粧直すか。あたしはポーチを持ってトイレに行った。掃除はその後でやろう。
「うん。よくなった。少なくとも、さっきよりはずっとマシになった」
 あたしは鏡に向かって呟いた。頬紅を明るくしたのがよかったかもしれない。
「おや。わりと見られる顔になったじゃない」
 レベッカも太鼓判を押してくれた。
「もうねぇ。ソトミは悪くないんだけど、お客様に『どうしたの?』って訊かれちゃうわよ。さっきのままだと。アンタは明るさが財産なんだからね」
「ええ。もう大丈夫です」
 レベッカは、娼館の女主人としてだけでなく、一人の人間としても、心配してくれていたのだ。それは、今までの付き合いからしてもわかる。
「……ありがとう。ママ」
「おっと。掃除はやってくれるわよね。はい。ハキハキハキハキ。一、二、三」
 レベッカは私に箒を押し付けた。あたしは箒を動かす。
 なんだか泣きたいような、笑いたいようなくすぐったい気持ちがした。
 ミリィもそろそろ帰ってくるだろう。そしたら、レベッカママと三人で、酒を共にいろんな話をしよう。
 今、この娼館『無憂宮』には、あたしとレベッカママの二人しかいなかった。だが――。
 車の音がした……ような気がした。誰かしら。
「ママ……聴こえた?」
「なにが?」
「車の音よ」
「ええ? あたしには聴こえなかったよ」
 しばらく後――。
 ぽた、ぽた、と雫を滴らせながら、ハーレムがやってきた。
「ハーレム!」
 あたしは叫んでいた。そしてすぐさま続けて言った。
「ギデオンは?」
「いねぇ」
 ハーレムはすっぱりと答えた。
「俺一人だけで来た」
「あっそう。なら帰っていいわよ」
「おまえなぁ……そんなあからさまに掌を返すなよ」
 ハーレムはちょっと気分を害したようだった。
「そうよ。リサちゃん。お客様なんだから、いてもらいなさい」
「……わかったわよ。こっちおいで。一番安い酒飲ませてあげる」
「あのなぁ……それじゃ商売にならんだろ」
 ハーレムはまたもなにか言いたげだったが、あたしが見ないふりをしていると、少し離れたところに立って、なんだかにやにや笑い始めた。
 むっ。なにか企んでんのかしら。それとも、あれはやっぱり素なんだろうか。
 ハーレムは、あたしが見てないと思っているのだろう。にやにや笑いをやめない。それでも、憂鬱な気分は吹っ飛んだのだから――感謝しないといけないのかなぁ。うーん。
 こんなライオンもどきでも、いないよりはマシね。
「ここ、座るぞ」
「はいはい。ご注文は?」
 私は投げやりになっていた。
「酒」
「ツマミは?」
「いらねぇ」
 こんなこと話してる場合じゃなかったわ。
「今日はギデオンはどうしたの?」
「仕事があるって断ってきた。一応誘ったんだぞ」
「あらそう」
「しかし、あいつも仕事熱心だな」
「真面目なのよ」
 あたしは、ついつい頬が緩んでくるのがわかった。ハーレムも、一応ギデオンの働きを評価してくれているのだ。
 ハーレムも微笑んでいる。さっきのいやったらしいにやにや笑いではなく。ミリィがあの顔見たら、惚れ直すかもなぁ。あたしにはギデオンがいるけど。
「そんじゃ、まぁいいや。――ちょっと目を閉じてろ」
「いや! アンタ良からぬこと考えてそうだから」
「ちっ。少しは信用しろよ。――ったく。じゃあ、そのままでいいからよ」
 なに……? と、あたしが訊こうとする間もなく。
 ちゅっ。
 リップ音がして、唇に柔らかいものが触れた。
 それがハーレムの唇だとわかると。
「ぎ……ぎええええええ!」
 と、あたしは女にあるまじき声を出してしまった。
「じゃあな。ごっそさん」
 ハーレムは立ち上がって、あたしとレベッカに投げキッスをした。
「死ねっ! もう来んなっ!」
 あたしは怒鳴った。ああ、最悪。うかつだったわ。あいつに唇奪われるなんてっ!
 怒りでメランコリー、完全にどこかへ行ってしまったわ。
 モテるわね、リサ。とレベッカは笑っていた。その顔がハーレムのにやにや笑いと重なったのは、気のせいだろうか……。あたしはどっと疲れが出た。


後書き
リサ・ウォーレスが主人公の短文です。
果たして需要はあるのかなぁ、と思いつつ書いたら――これがノッて書けて書けて。
最後のキスの辺り、スペース足りなくなるんじゃないかと心配になるほどでした。
でも、ハーレム、リサのこと好きなんだねぇ……これからどうなるかはあたしにもわかりませんが、また書いてみたいな、と思います。
たとえ需要がなくても(^^;)
望まれない口づけ、というのは、リサにとってです。この話(というかシリーズ)は、リサの視点で書かれていますから。
2010.10.16


BACK/HOME