キスマーク狂想曲

 特戦部隊隊長ハーレムが、カフェテリアで食後のコーヒーを飲んでいた。
 夏用の涼しげなコートに黒い皮のパンツ。ポニーテールにした硬質の明るめの金髪。生命を持った宝石のような二つの青い瞳にトレードマークの黒い眉。美形かどうかは、いささか意見の分かれるところであろう。だが、彼を美しいと思う人間にとっては、たまらない魅力がある。そう思う団員が、いくらかここにもいる。
 注視の的となっているハーレムは、脚を組み、コーヒーを片手に新聞を眺めている。
 新聞の内容は絶対にわかっていない――とは、口さがない彼の友人の言。
 だが、時折ぱらりと紙面がめくれるので、一応目を通してはいるのだろう。
 中身はともかく、雑誌に載っていてもおかしくない外見で、しかも、雑誌では到底現わせないであろう魅力を発散させながら、その日の情報を収集しているように見えるハーレムは、とても様になっていた。
 手を止めて、うっとりと眺めている者もいた。――ハーレムにとっては、知ったことではないかもしれないが。
 そこへ――闖入者が入ってきた。
「あの……ハーレム隊長、さんですよね?」
「あ? 『さん』はいらねぇよ」
「失礼しました。ハーレム隊長」
 軍服を着た若い男は、ハーレムに向かって敬礼した。
「何の用だ?」
「ええ……実は……」
 男はそわそわしている。
「今日、隊長の家に行ってもいいですか?」
 ざわっと空気が動いた。
(馬鹿か? あいつ)
(無理に決まってんだろう)
(つか、あいつ絶対新入りだぜ)
 ひそひそと、囁きが飛び交う中――
「おういいぜ」
 と、ハーレムが快諾した。
(ええっ?! いいのかよ!)
(ちっ、だとしたら俺も行ってみれば良かったぜ)
(あいつがいいんだったら俺達も――)
 ハーレムに想いを寄せている男達の嫉妬の炎で陽炎が立った。他の人々は、「うわあ」と一歩惹き退いた。

 長髪の人物が一人、歩いていた。
 黒いロングコート、昼間は光にさぞ映えるであろう、手入れのよくされた金色の髪。
 前髪で顔の右半分を覆い隠した切れ長の目のその人は、華奢で女性と紛うほど線が細いが、コートの襟から覗く広い胸板で男とわかる。
 その彼――サービスは、久しぶりにガンマ団に帰ってきていた。
 長兄マジックのところに顔を出したついでに、双子の兄、ハーレムの家に表敬訪問するつもりでいた。
 点々と明りが点いている。
 ハーレムは今日も一人だろう。その気になれば、相手になる人間の一人や二人、いてもおかしくないほどには、もてないわけではないということは、わかってはいても。彼には孤独も良く似会う――自分ほどではないにせよ。
 こじんまりとした家が見えて来た。ハーレムの家である。
 ノックをしようとしたが、賑やかな笑い声が聞こえてくる。
 何事かと、サービスは急いでドアを開ける。鍵はかかっていなかった。
 玄関には、靴が乱雑に散らかっている。
 そして――また笑い声。
(なんだ? 誰かいるのか?)
 しかも、多分大勢。
 サービスがリビングにつくと、すっかりできあがったハーレムが、
「よぉ、サービス!」
 と声をかけた。
「な、なんだい? この騒ぎは」
「なんだか知らないけどよ、みんなで鍋やることになったようなんだぜ。鍋。しかも、俺の家で」
 客は、十人以上もいただろうか。
 一目で新入りとわかる若者は、隅っこに座って、泣きそうになりながら酒を嘗めていた。――サービスには、それが『ハーレムの家に行きたい』などと勇気を出して告げた、そして、この宴会のきっかけにはからずもなってしまった新入団員とは知ることはなかったが。
 これは、みんな、言わばハーレムのファンだ。サービスはそう悟った。同類のことはよくわかるのである。
「こんばんはー。って、もうこんなにいるのか」
 また客がやってきた。この有様を見て、びっくりしたようであったが。
 ハーレムに心を寄せる者が、少なくとも、このぐらいはいることを知って、サービスも内心驚愕していた。
(よし、ちょっとからかってやろう)
 サービスの心に、いたずら心が湧いた。
「ハーレム」
 サービスは、当然のようにハーレムの隣に座った。
「酒、くれないかい?」
「おう、ちょっと待ってな」
 そして、ハーレムは後ろの食器棚からグラスを取ると、誰かが持ってきた日本酒を注いだ。
「ありがとう」
 サービスはグラスを傾ける。
 そんな二人の絵になる姿に、ギャラリーは見惚れた。
「やっぱりいいよな、あの二人」
「他のヤツだったら許せないところだけどな」
 新入りも、密かに感嘆しながら眺めている。
「鍋、食わないか?」
「兄さんのところで食べて来たから」
 二人は仲睦まじく、会話を交わす。
「兄貴は元気だったか?」
「元気だったよ。それより君」
 サービスは新入りに呼びかける。
「君はまだ若いようが、好きな人の一人でもいてもおかしくない年だね。どんな人がタイプかな?」
 この唐突な質問に、新入りは大きな目を丸くした。
「あ、あの……」
「さぁ、言ってごらん。恥ずかしがらないで」
「そうだぞ。なんたって、今日は無礼講なんだからな」
 ハーレムはにこにこしている。酔っぱらって、顔が赤くなっているのが、かえって艶っぽい。だが、全く状況がわかっていない。
 新入りは、しばらくもじもじしていたが、やがてハーレムの方を見て行った。
「僕は……太陽のような色の髪で、強くて、勇気があって、しかも美形で、色っぽくて色っぽくて、色っぽい人が好きです!」
「あの馬鹿……」
 誰かが呟いた。いくら鈍くても、これは気付くだろう。
 サービスはいたずらっぽい目で見ていた。
 だが――ハーレムは鈍かった。
「そうか。そんな奴が、おまえの前に、いつか現われるといいな」
 え……?!
 これにはサービス以下、全員が驚いた。
(いや、だって、アンタのことだろ!)
(わかってないのか?! ハーレム隊長!)
 囁きが、潮騒のようにざわっと鳴る。
(しようのない奴だ)
 サービスですら、呆れた。自分の魅力を、さっぱり知っていない。
 他人事ながら、こんなに自覚がなくて大丈夫かと、ハーレムの心配は滅多にしないサービスも、さすがに気懸りになった。
 ハーレムは、そんな周りの状況をよそに、鍋の肉を突ついている。
 ちょっと見せつけてやろうかな。
 サービスは、ハーレムを自分の肩にしなだれかからせた。おおっ、という声があがった。
「サービス……どうした。肉が食えないだろ」
「そんなに肉ばっかり食べてると、体に悪いよ」
「いいだろ? 好きなんだから」
「野菜も食べなさいって、言われなかった?」
 会話自体は、子供を諭すようなものである。だが、二人の絡みには、一種いかがわしいムードがあった。
「ちっ、わかったよ」
 ハーレムも降参した。
「それよりハーレム……ちょっと酔ったみたいだ。部屋に連れてってくれるかい?」
「え? んなの、自分で行けるだろ」
「まぁ、正体をなくすほどじゃないけど」
 サービスは、青い目をハーレムにひたと向けた。ハーレムは息を飲んだ。
「――仕方ねぇな。おい、おまえら、ちょっと避けろ」
「悪いね」
 人の波がぱくっと割れた。ハーレムはサービスを支えたまま、階段を上って部屋に消えた。
「な……なんだなんだあの雰囲気!」
「あぶねぇじゃねぇか! 綺麗だけど!」
「でも、あの二人兄弟だぜ!」
「馬鹿、だからいいんだよ」
「いいのかよ!」
「お似合い……かもなぁ」
 人々がさんざめく中で……新入りは一人鬱々としていた。
「部屋に行く……行ければ、行く時……」
 と、意味不明なことを呟きながら。
「おい、ちょっと見に行こうぜ」
「だめだろ。覗きなんて……」
「じゃあ、おまえは気にならないのか?」
「――なる」
「じゃあ決まりだ。新入り、おまえも来るだろ?」
 ハーレムの家を訪ねてみたいと言った、この騒ぎの元となった新入りの団員が、座った目のまま、頷いた。

 ハーレムは、サービスをベッドに投げ出した。
「ほら……もういいだろ。気分が悪いなら、少し寝とけ」
「ふふ……」
 サービスは笑った。
「君、僕があれだけで酔ったなんて、本気で思ったのかい?」
「どうせ、兄貴のところでも飲んできたんだろ」
「君じゃあるまいし」
 サービスが、またくすっと笑った。
「シンタローとグンマがいるのに、その前で酒なんて飲めないよ」
「グンマがいたのか?」
「ああ。高松もね」
「そうか……高松、あいつとは相性わりぃんだよな」
(でも、高松も君のことを想っているよ)
 たとえ、僕の愛し方とは違っていてもね――サービスは微笑んだ。
「じゃあ、なんで嘘ついたんだよ」
「君と二人きりになる為の口実さ」
「はぁ?! だったら今でなくたって……」
「わかってないね。僕は明日になったら、遠いところに行くんだよ――もうしばらくは、帰ってくるつもりもない」
「それでも、おまえは帰ってくるんだろ?」
「まぁね。でも、長い間離れていたら――君は僕のことなんか忘れてしまうよ」
「何馬鹿なこと言って――うわっ!」
 サービスはハーレムを押し倒し、首筋を強く吸った。鬱血の痕が残った。
「キスマークだよ。君が――他の人達が、僕の存在を忘れないようにね……」
「な……」
 ハーレムが目を瞠った。言葉にならないらしい。
 その時、ドアが開いて、どどっと覗き屋達が部屋の中に、将棋倒しになって現われた。
「お、おまえら……」
 サービスはクスクスと愉快そうに笑った。
「じゃあ、僕はもう用はないよ。バイバイ」
 サービスが、ハーレムに向かって、手を振った。
「うわあああああああんッ!」
 男にしては高い声が、叫びという形になって家中に響いた。例の新入りである。おそらく泣いているのであろう。
(やり過ぎたかな……)
 サービスは反省とは縁遠い人間であったが、それでも、少し気が咎めた。だが、それも一瞬のこと。
 まぁいいか。
 キスマーク狂想曲。もしこの話にタイトルをつけるなら、これだろうな、とサービスは思った。それも、まだ始まったばかりである。

 この話には続きがある。
 翌日、髪をしばって、首筋がよく見えるコートを纏ったハーレム。当然、サービスのつけたキスマークも、すぐに目に付く。見せつけたいわけではなかったが。
 皆が、噂し合っていても、どこ吹く風。
 特戦部隊隊長は、細かいことを気にしてはいないのだ。
 だが、ここに、そんな彼を見て溜息をつく男が一人。
 部下のGである。
「隊長――昨夜何があったのか知りませんが、風紀のことについても、気を配ってもらいませんと」
「ああ? 何のことだ?」
 Gはまた、はぁっと溜息をついて、とんとんと自分の首筋を指差した。
「ああ、これか。サービスに無理矢理つけられた」
 そう言って、ハーレムは無邪気に笑う。
「少しは隠そうとはしてもらえませんか。これでもつけてください」
 Gが差し出したのは、黒のチョーカー。
 前々から作って用意していて、いつ渡そうかと思案していた代物である。
「おお。ありがとな」
 チョーカーをつけたハーレムは、いつもよりも更にセクシーに見える。チョーカーが首輪を連想させるのだ。
「似合うか?」
「ええ、とても」
 Gが、苦味ばしった男らしい笑みを浮かべた。
(――あのキスマークは、サービス様がつけたのか……)
 顔には出さないが、どうも意識してしまう。
 サービスがハーレムを好きなのは、Gにもわかる。Gもこの自分の上司に、恋心に似たものを抱いていたからだ。
 仕事がなければ、昨日ハーレムの家にも訪問したかった。いや、その気持ちを抑える為に、仕事を言い訳にした、という方が正しい。
 Gの視線は、油断していると、ハーレムの首筋、チョーカーで隠れたキスマークのあった辺りに吸い寄せられてしまう。
「どうした? G」
「いえ、何でも……」
 ハーレムにキスマークをつけるなら、自分がつけたかった。自分の所有の証だったら、わざわざ「隠してください」なんて言わないのだが。
 作業をしているようで、心ここにあらずのGだった。
 それで、Gは、らしくない大ポカをやってガンマ団をいささか困った事態に陥れるのであるが――こうなると、サービスが軽い気持ちからつけたちょっとしたキスマークも罪なものである。

後書き
大昔に書いた『キスマーク狂想曲』を大幅に書き直しました。
何故って……前に書いた元原稿が見当たらなかったのです(泣)
ハーレムモテモテの巻、書いてて楽しかったです。うふ。
2010.6.29

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