ナガサキ見聞録

 永崎藩――。
 からり、と障子の扉が開いた。
「よく来ましたね。シンタロー君」
 医者の徳田高松が言う。
「よぉ、高松」
 藩主の息子、高屋敷真太郎である。
「蘭学の勉強は上々か?」
「おかげ様で」
「また人死に出したんじゃねぇだろうな」
「失礼ですよ。人をヒモ医者扱いして」
 ヒモ医者とは、物がヒモだけにこいつに引っかかったら確実に死ぬ、という医者のことである。
「けれどわかんねぇな。大人しく勉強だけしていればいいものを」
「私はね、シンタロー君――臨床にも詳しくなりたいと思っているのですよ」
「ふぅん。そうそう。ハーレム叔父さんが、今度一緒に飲みに行こうって」
「善処します、と言っておいてください」
「――サービス叔父さん、帰ってこねぇな」
「……来ませんねぇ」
 サービスは十数年前、海外に渡って行った、真太郎の叔父の一人である。
「ルソンにいるという噂を聞いたけど、どこまで本当だか」
「ふぅん――じゃ、俺、散歩してくるわ」
「お茶でもどうです?」
「いらねぇよ。アンタの淹れるお茶は何が入ってるかわかんねぇもん」
「――随分ですねぇ」
「日頃の行いを顧みてみな。じゃ、俺はこれで」
 シンタローは高松の家を辞した。

 白粉をつけた着物姿の花魁アラシヤマが踊っている。
「よっ、アラシヤマ!」
 武者のコージが声をかける。アラシヤマは密かに眉を顰めた。
(ここをどこだと思ってはるんやろ)
 アラシヤマは京都出身なのである。訳あって永崎に流れて来た。
 そこをコージに見初められたのだが、アラシヤマには鬱陶しいだけである。アラシヤマには既に意中の相手がいるのである。
(シンタローはん……)
 シンタローとは、件の高屋敷シンタローのことである。
 踊りが終わった後、舞台を降りるて夜の通りに出ると、コージが花束を持ってアラシヤマの前に現れた。
「何の用どす?」
「今日こそ相手してもらおうと待っとったんじゃ。――それからこれ」
「――どうも」
 はっきり言って有難迷惑なのであるが。
「今日も相手は――」
「嫌どす」
「つれないのぉ。シンタローのところか?」
「そうどす」
 尤も、相手にされたことはないけど――そう言う点ではコージと似たようなものかもしれない。
「ワシといいことせんか?」
「今言ったばかりやろ。嫌どす」
「そう言うところも好きなんじゃがのぉ。嫌よ嫌よも好きのうちと言うことじゃし」
「自分の都合のいいように解釈するのはやめなはれ。あ、シンタローはん」
「よぉ」
「またパプワはんのところでっか?」
「――まぁな」
「わても一緒に……」
 アラシヤマが言う。
「いや、あいつ、俺の言うことしかきかねぇし」
「そうどすか――」
「いや、俺の言うこともあまりきかねぇし」
「仕様がありまへんよ。まだ子供よってに」
「ミヤギとトットリのところにも行ってくるわ」
「今から?」
「手に入れたい情報がある」
「わかりました」
 アラシヤマは建物の陰からシンタローの後姿を見つめてほうっと溜息を吐いた。
「憎いお方……でも、そこがまた素敵……」
 ――コージは完全に忘れ去られていた。

「旨いな。この酒。流石兄貴。いい酒買ってんな」
 シンタローの叔父で永崎藩主高屋敷マジックの弟、ハーレムが言った。
「そうだろうそうだろう」
 マジックは嬉しそうに頷いた。
「ルーザーも生きていればねぇ……」
「ルーザーの話をするのは止めてくれ」
「そうだね。辛気臭くなるからね。せめてサービスの所在だけでも知ることができれば……」
「帰ったぜ」
 シンタローが扉を開けた。
「おお。シンタロー。ミヤギ君のところには行ってきたかい?」
「ああ。――近いうちに狼国のヤツらとドンパチやることになるのは間違いない」
「パプワくんは元気だったかね?」
「ああ――でも、子供だからもう寝てるよ」
「カムイ博士の落とし種だからね。大切にしないと――本当は孫らしいがね」
「サービスの情報は?」
 マジックを差し置いて、ハーレムが訊いた。双子の弟の消息が気になるのだろう。
「高松が、ルソンにいるという噂を聞いた、と」
「ルソンか――」
 ハーレムが考え込む。ハーレムは船問屋をやっているのだ。
「やはり俺が行かないとダメなようだな」
「ハーレム。お前まで失ってしまったら私は――」
「シンタローがいるだろうがよ。そこに」
「勿論、シンちゃんは何にも代えがたい宝物だ。でも、ハーレム。私にとってはお前もそうなんだよ」
「そっか。――ありがとな」
 ハーレムの声に優しさが点る。
「明日またミヤギ達のところへ行ってみてもいいかな? 親父」
「ああ。気の済むようにやりなさい。でも、危ないことはしちゃダメだよ。シンちゃんは私が護ってあげるからね」
「おーおー、過保護だこと」
 ハーレムが揶揄するように嗤う。
「疲れたから今日はもう寝る。――ハーレム叔父さん、サービス叔父さんは生きていると思う?」
「死んでいたら何か感じることもあるだろう。双子だからな」
「じゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
 マジックがシンタローの背中に言った。
 永崎の町の夜が過ぎて行く――。

後書き
永崎藩という架空の藩が舞台のなんちゃって時代劇です。
初め、長崎藩というものがあるのだと思っていたのですが、父に訊いたら、そんな藩はないようで……。
長崎は幕府の直轄領なんだそうです。
それで、急遽、『永崎藩』という藩を作りました。
2017.11.4

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