レックスの哀しみ

「レックス、ちょっといいかしら」
「はひ?」
 レックスは今日のおやつのマフィンをもふもふと口の中に詰め込んでいた。アグネスの焼くマフィンがレックスの大好物であった。甘い匂い。舌を魅了する味。大切にとっておいたそのお菓子を、アグネスが来るまでレックスは一人で食べていた。
 リラックスタイムを邪魔された形となったが、レックスはそれ程気にしなかった。
「大事なお話があるの」
 アグネスの大事な話。一体何だろう。レックスはごくんとマフィンを嚥下した。
「どうしたの? アグネスおばさん――怖い顔して」
「怖い顔……そうね。私も今聞いたばかりで、どこから話せばいいかわからないから」
「――アグネスおばさんらしくないね。何かあったの?」
「そうね、そう――昔、あなたのお父さんは死んだと言ったけれど、本当は生きていたの」
「ほんとに?!」
 レックスは驚いて大声を上げた。
「で、どこにいるんだ? 俺の親父は」
「――死んだわ。今度は本当に」
「え……」
 レックスは体から血の気が引くのがわかった。
「何だよ! 俺の親父は生きてんのかよ! 死んでんのかよ! どっちなんだよ……」
「死んだ……という方が本当ね」
「嘘だ! シスター・アグネスは嘘つきだ!」
 レックスは乱暴に扉を開けて部屋を出て行った。

「ねぇ、レックス。シスター・アグネスがいないの」
 そう言ったのは同じ孤児院で生まれ育ったランだった。
「知らねぇよ。あんなおばさん」
「レックス、何か知らない? 何かしたんじゃないの?」
「――ちっ」
 レックスは舌打ちした。――全く。世話のやけるババアだ。
「わかった。探して来るよ。お前も手伝え」
「うん。手分けして探そ」

「おー、さみ。今日は冷えるな」
 レックスが体をぶるりと振るわせた。――薄暗い会堂にアグネスはいた。
 泣いてるんじゃなかろうか――レックスは不意にそう思った。ここからではアグネスの表情は見えないのだが。近くの人の表情がやっと見えるくらいの明るさである。ステンドグラスが夕闇の底で輝いている。レックスはそっと移動した。
 声をかけようとしたけれど、何となく憚られた。その時――
「神様、私は罰を受けているのでしょうか……嘘を吐いた罰を」
 嘘? 俺の親父のことか?
 ――レックスは息を潜めてアグネスの次の言葉を待った。
「私が――あの子の父親のことで嘘を吐いたから、今度は本当に彼は死んでしまったのではないでしょうか。……そしたらそれは……私の責任です……」
 アグネスが固く固く手を組み合わせた。
「そんなことはない!」
 レックスがつい叫んだ。
「アグネスおばさんが嘘を吐いたからって罰を与えるなんて――そんな神様は神様じゃない!」
「まぁ、でも、神様は罪を犯した者を罰する存在ですよ」
「なら、俺、神様信じるのやめる」
 アグネスがぎゅっとレックスを抱き締める。豊かな胸がレックスの顔に押し付けられる。
(お袋がいたら、こんな感じかな――)
 レックスはそう思った。けれど、レックスの母親のイレイナはアグネスよりずっと美人だったと、アグネスから聞いている。アグネスの友人だったらしい。飛行機事故で死んでしまったと聞くが――。
 アグネスおばさんは、どうして親父のことで嘘を吐いたんだろう――。
 優しくて、ずっと両親代わりだったシスター・アグネス。時には、父親のように叱り、時には母のように褒めてくれた。
 ――レックスの、恩人なのだ。
「ねぇ、アグネスおばさんは何で嘘なんか吐いたの?」
 アグネスはレックスを床に立たせる。――彼女は困惑した表情を浮かべていた。
「それはね……あなたのお父さんがガンマ団の幹部だったからよ」
「ガンマ団……」
 確か、その名前はレックスも聞いたことがある。でも、実情はよく知らない。何でもアメリカと並んで世界の警察とか呼ばれている。だけど――
「……有名な半殺し屋集団?」
「そうね……でも、昔は人をいっぱい殺したのよ」
「そんな悪人の子供だから、アグネスおばさんは俺に嘘を吐いたの?」
 ――アグネスは困った顔をしたままだ。
「……それもあるわね。あなたには、ガンマ団と無縁に育ってもらいたかったの。そのことは今でも後悔していない。――あなたは優しい子に育ったわ。レックス」
 そして、アグネスはレックスの額にキスをする。
「でも、このまま黙っている方があなたにとって残酷であることに気が付いたの――今度、新しい孤児院がガンマ団の領地に建つわ。あなたも一緒に挨拶に行く? ガンマ団の総帥に会いに」
「……うん」
 レックスは神妙に頷いた。
「ありがとう。あなたのことを、あなたの父親に見せたかったわ」
「どうせ、天国で会えるだろ? でしょ? アグネスおばさん」
「おお……」
 アグネスは涙を流した。
「神様……この子をこの世に送り出してくださって感謝します」
「俺、親父に会いたいな。だけど、生まれたからには何か使命を果たさなきゃなんねーんだろ? 面倒だけど、俺、天国に行きたいから」
「行けますとも。神はあなたのことを愛してくださってるから」
「親父のことも?」
「――悔い改めていれば」
 アグネスは言葉を濁した。レックスは手を差し出した。
「ランもアグネスおばさんのこと、探してたよ。一緒に行こうよ」
「ええ、そうね。心配かけてごめんなさいね」
「――別にいいよ」
 レックスだってアグネスに心配をかけることなど日常茶飯事だっただろう。――レックスはそんなことを考える。そして手を引っ込める。
「その前にひとついい?」
「何かしら?」
「親父も人を殺したの?」
 アグネスの顔が強張ったように思った。だが、アグネスがやがて言葉を紡いだ。
「あなたのお父さんのハーレムはね……」
「ハーレムって言うの? 変な名前」
「黙ってお聞きなさい。……ハーレムはガンマ団特戦部隊の隊長でね、それは人をいっぱい殺したのよ」
「親父が……?」
「――あなたにはちょっと刺激が強かったかしら?」
「俺、そんな殺し屋の血も流れているんだ……」
「そう。……だから、ガンマ団が生まれ変わった後も、あなたをハーレムに関わらせたくなかったの。大切なイレイナの忘れ形見だったから」
「俺、人なんか殺さないよ」
「――あなたはそうでしょうね」
 アグネスが微笑んだ――ような気がした。
「けれど、人間はみな罪人だから――私も犯してはならない罪を犯してしまったし」
「そうだね。俺、さっきはああ言ったけど、本当は親父が生きているうちに会いたかったな」
「ごめんなさいね。――この罪は一生償うわ」
「いいよもう……アグネスおばさんは違う形で償えばいい」
 そして、もし俺も親父の罪を贖うことが出来るなら――それが俺の使命であろう。
 レックスは悲哀を感じて――泣いた。アグネスと手を繋ぎながら。談話室に戻るとランが嬉しそうにアグネスに纏わりついた。
 ――後で、ハーレムがどんな死に方をしたかをアグネスが教えてくれた。ハーレムは甥を庇って死んだらしい。
 親父のヤツも、結構やるじゃん――それは、死なれたのは寂しいけれど。ハーレムの最期の様子を聞いた時、レックスはハーレムを憎んだらいいのか、尊敬したらいいのかわからなかった。――元々憎むことが出来る程、父のことをよくは知らなかったのだが。

後書き
レックスくんシリーズです。
ハーレムはいい人よ。私が言うんだから間違いない!(笑)
アグネスもきっと辛い想いをしたのでしょうね。

2019.03.23

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