光の中の道 ~高松編~ 学会の空気は、いつも高松を元気にさせる。 しかし、外に出るとそれはそれで解放感がある。高松は伸びをした。 「ああ、高松。ちょっといいかな?」 それは、茶髪の背の高い男だった。高松も背は高いが。 その男は、最初から高松とどういうわけかうまが合った。夜遅くまで互いの研究について話し合うこともしばしばだった。 「何ですか?」 高松は笑顔を見せた。 「ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだが……」 男は言い淀んだ。高松は首を傾げて続きを促す。 「ガンマ団の医療チームは、世界でも有数のものだろう?」 「そうですね。私がいるから」 相手の顔が和んだ。 「それで、話というのはだな……俺のところに厄介な病気を持つクランケがいるんだよ」 「厄介な?」 「ああ」 男はその患者の病名を高松に告げた。高松は顔をしかめた。原因不明で、致死率は百パーセントという病気である。 「それで、その患者を君に預けたいのだが」 「そうですか……まぁ、責任者とも相談してみますが……参考までにその患者の身元を教えてください」 「そうだな……ガンマ団の関係者だった人だよ。でなければ俺も君に相談したりしない」 「誰なんです?」 「川原史朗」 高松は、名前だけを聞いただけで、後は右の耳から左の耳だった。 川原史朗――彼の士官学校時代の友人である。 カワハラは思ったより元気そうだった。 高松は、この病気には治療法がないことを宣告した。たとえ、進行を食い止めることができるとしても。 病名を知らされた時、カワハラは力なく笑った。 「私達は全力を尽くしますが」 「ありがとう。高松くん」 カワハラは笑顔のままだった。 どうして笑えるのだ。こんな状況で。 今のあなたの状況は、もうすぐ死ぬ、と言われたのも同然なんですよ。 高松は腹が立った。そして、もっと過激なことも口にした。それでも、カワハラはにこにことしていた。 「死んだら天国へ行けるからね」 「あなたは宗教を信じてらっしゃるんですか?」 カワハラは、こくんと頷いた。 「非科学的な……何を信じてらっしゃるんです?」 「キリスト教を」 彼はプロテスタントのクリスチャンだと言う。彼は医師を目指していた。その時お世話になった人が、クリスチャンだったらしい。洗礼も受けたとの話だ。 「じゃあ、勝手に天国へでもどこへでも行ってください」 高松は捨て台詞を吐いて病室を出て行った。VIP用の特別病室であった。 ハーレムがちょくちょくここを訪れるようになったのは、カワハラが入院してからであった。 ハーレムには、カワハラの話に感ずるところがあったらしい。ハーレムも雰囲気が変わった。カワハラに感化されたのだろうか。 高松は放っておこうと思ったが、何故か苛々した。 だから、ハーレムと会話するのを拒否した。 少しぐらい、カワハラのことは忘れていたい。けれど、どうしても思い出す。ハーレムと会わなくても。 (仕方ないもんですよねぇ……私も) 高松は紫煙を燻らせた。 ある夜のことであった。 高松は特にあてもなく廊下を歩いていた。 (そういえば……カワハラはどうしてますかねぇ) まずそれが気になった。 看護婦や医師達にも評判がいいカワハラ。学生の頃から、ちっとも変わっていないらしいカワハラ。 ――必ず死ぬ病気になっても、未来に希望を持っているカワハラ。 彼はいつも、光の中の道を歩んでいるのだろうか。 (そんな馬鹿な――ですね) カワハラの病室に来た。もう寝ているだろうか。起こさないよう、静かに扉を開ける。 何か喋っているのが聴こえる。カワハラの声だ。 「神様、どうか、僕に縁のあった皆さんのことをお救いください。これから会う人々をお救いください。世界中の人々をお救いください」 何だ、祈っているのか、と高松が呆れたその瞬間だった。 「僕は、偽善者です。一番救われたいのはこの僕なんです。僕は――僕は死ぬのが怖いです! 神様!」 高松は、頭を殴られたような気がした。 おお。それでは、カワハラにもそんな気持ちがあったのか。 死を恐れる気持ちが。 できることなら、知りたくはなかった。カワハラには、穏やかに笑って欲しかった。 それが高松の救いとなっていたからだ。 (ざまぁないですね。私も) 「カワハラさん」 「――あ」 カワハラは、いたずらを見つけられた子供のように、照れたように笑った。 「変なとこ、見られたね」 「いや、いいんですよ。死を恐れる気持ちは、誰にだってあります」 高松が答えた。 「僕、クリスチャン失格ですね」 「そんなことありませんよ」 「天国を信じているはずなのに、いざそこへ行くとなると、怖さが先に立ってしまって――イエス様はあんなに勇敢に死に向き合ったというのに――」 「イエス・キリストだって、ゲッセマネの園では迷ったと思いますよ」 高松が微笑んだ。 「――僕、本当に迷ってもいいんでしょうか」 「いいに決まってるじゃありませんか。あなたはイエス・キリストじゃないんですから」 カワハラは、その童顔に笑みを浮かべた。 「ありがとう、高松くん」 ああ、そうか――と高松は思った。 彼には、悩みに悩んで、そして、救われて欲しかったんだ――。 確かに、カワハラの悩む姿は見たくはなかったけれど――それも、今、この瞬間の為にあったプロセスなのだ。 カワハラは、もう自分の境遇を嘆いてはいないようだった。 「ありがとう。高松くん」 彼は、落ち着いた顔付きでもう一度言った。 (それはこちらの台詞ですよ) だが、高松は何も言わず鷹揚に首を縦に振った。 ハーレムが久しぶりにカワハラの見舞いに来た。 「あいつ……俺なんかよりずっとしっかりしてたぜ」 ハーレムがあんなことを口にするなんて珍しい。いつもは口が悪い男なのだ。 高松には、 「そうですね」 としか言えなかった。 もうすぐ、カワハラは息を引き取るだろう。 行かなくては――彼を見送る為に。 カワハラ――あなたは少なくとも二人の魂を救いましたよ。ハーレムと……私と。 いや、ハーレムは実のところどうだかわからないが……私は。 高松は空になった煙草の箱を廊下のゴミ箱に投げ捨てた。 小さく「ハレルヤ」と呟いて。 後書き 『光の中の道』、高松視点です。 これは番外編的なものですので、『光の中の道』本編を読むことをお勧めします。 カワハラがクリスチャンだというのは後付け設定ですが(汗)。 2011.2.5 |