HAPPY NEW YEAR

 今日の空は白かった。大気は一段と寒さと冷たさを増す――雪が降りそうだった。
「どうしたの? 沈んでるようだけど」
 窓辺から空を見上げて嘆息しているハーレムに、ルーザーが声をかけた。ハーレムはやりきれないといった調子で、声の主に目を向けた。
「――沈みたくもなるさ」
 いつもだったら今頃は、家族全員で太陽がさんさんと降り注ぐ南の地方に出かけ、向こうで新年を迎えるのに、今年は――今年は寒いこの地で過ごさなくてはならないのだ。
 しかも、苦手なこの兄と――。
(めげたくもなるぜ)
 ハーレムは冬休み前に学校でちょっとした問題を起こし、罰として長兄のマジックから謹慎を申し渡されていた。ルーザーは人と会う約束があると言って、彼と一緒に家に残った。
(一人の方がまだマシだ)
 ハーレムは心の中で毒づく。
 ルーザーが、「僕もここに居るよ」と言ったとき、
「そんな兄さんまで来ないなんて。そりゃ、ハーレムは自業自得で仕方ないかもしれないけど、兄さんが来ないとつまらないよ」
と、答えたのも面白くなかった。
(ちくしょう。――まるで俺が、どうでもいいみてぇじゃねぇか。ルーザーはルーザーで、「新年には雪が見られそうだね」などとほざいてやがるし)
 その当の兄は、自分たちだけでパーティーを開くつもりらしく、部屋の飾り付けやご馳走の下ごしらえを、嬉しそうにやっていた。
「友達も呼ぶつもりだから、退屈ではないよ。今日のうちに来る予定だから」
(勝手にすればいい)
 雪にも、新年パーティーにも、興味がなかった。
 別にリゾートに未練があったわけではない。ただ――……。
(ただ――?)
 ハーレムは頭を振りやり、考える代わりに再び窓の方を見やった。
 雪がちらりほらりと降り始めている。雪は溶けずに積もるだろう。天気予報で言っていた。
 舞い降りる氷の結晶は密度を増し、やがて地上を埋め尽くすだろう。
 暖炉にくべた薪が、パチンとはじけた。外はますます冷え込みそうだが、外気が家の中にまで侵入することは、なさそうだった。せいぜいが結露になって、しっかり窓を曇らせるくらいで。
 今日は十二月三十一日。過ぎ去っていく年と、新たに来る年との境目。
 ハーレムは所在なげに視線を移すと、忙しく立ち働いていたルーザーと目が合った。
「暇だったら、手伝ってくれるかい?」
 ルーザーが頼むのを、ハーレムは無言で首を横に振った。
「そう……」 
 ルーザーはうなだれて仕事に戻った。
  客は七時に来るらしい。壁に掲げてある振り子時計が七回鳴ったらだ。――だが、時計が鳴る前に、ドアのチャイムが鳴った。手の離せない兄に代わって、ハーレムが玄関に向かった。
「――と」
 ドアを開けた途端、意外とも、予想通りとも言える顔に、ハーレムは一瞬詰まった。
「早く来過ぎましたか?」
 白いマフラーを首に巻き、紺のオーバーコートを羽織った高松が訊いた。クリーム色の紙包みを緑のリボンで結んだプレゼントを小脇に抱えている。
「なんだ、それは」
「ああ、これですか? ほんの手土産ですよ」
高松がにっこり笑う。
(友達って、こいつらのことだったのか)
 高松は、まあいい。だが――。ハーレムは高松の後ろに控えている人物に、鋭い視線を投げた。
(なんでこいつもいるんだ)
 マフラーに帽子、手袋、ダッフルコートにブーツと、これ以上の重装備はないというくらいの格好のジャンが立っていた。
「よっ。ここの冬って寒いよなぁ。俺、雪なんてこっちで初めてみたよ」
 南国育ちらしい彼は、そう言って無邪気に笑う。マフラーが覆った口元から吐き出される白い息が、彼の笑顔を彩った。
 体中から滲み出す天性の明るさが、彼の魅力でもあるが、同時にそれは、ハーレムを少々げんなりさせた。
「やあ、いらっしゃい。待ってたよ」
 作業を一段落させたルーザーが奥から現れた。
「料理まだ全部出来てないけど、どうぞ。――そこに立ってても、凍えるだけだからね」
「それでは、お言葉に甘えて、お邪魔します」
「お邪魔します」
 高松に続いて、ジャンも家に上がる。二人がリビングに消えた後、ハーレムは兄をとっつかまえて訊いた。
「兄貴。あいつ――ジャンまでよんだのかよ」
「いや。高松をよんだら、自分と同じように寮で退屈しているクラスメートがいるって言うから、じゃ、その子も連れておいでって――いけなかったかい?」
 そこまで喋ってからはたと気がついて、
「そういえば、おまえと揉めたのって確か、ジャンっていう子とだっけ」
「ああ」
「しかし……そう悪い子には見えなかったけどな」
 確かに、悪い奴ではない……だろう。揉め事といったって、あれはハーレム一人が起こしたようなものだと、その場にいたサービスは言うであろうし、目撃していた他のクラスメートも言うであろう。原因はジャンの態度が気にくわなかったという、至ってつまらない理由である。本人にしたって、何もあそこまでやる必要はなかったと、反省はしているのだ。
 とにかく、その事件のおかげで、冬休み中、謹慎を食らう羽目になってしまったのだ。
「ま、仲良くしなさいね」
 ルーザーがぽんぽんと肩を叩いた。
 だが、ハーレムは、幼い頃にケチのついたこの兄の言うことがどうしても素直にきけない。たとえ、その言葉がもっともであったとしてもだ。
 シャクなので、何か言い返そうとしたが、その前に兄は行ってしまったので、仕方なくハーレムもリビングに戻った。

「どうした、サービス」
落ち着いた、深みのある声でマジックが訊ねた。サービスは驚いて顔を上げる。
「どうって、別に――」
そう答えて、取り繕ったような笑みを浮かべる。
 深い藍の海と、同じ色の空――海岸の近くに近くにあるホテルの最上階、ゆったりとしたスイートルーム。テーブルの上にはルームサービスでとった華やかな料理や果物、デザートなどが勢揃いしている。
「食欲がなさそうだな」
「え?」
「さっきから皿の上のものが、全然減ってないぞ」
「あ……やだなぁ兄さん。ちゃんと食べてますよ」
 サービスは思い出したようにナイフを動かす。マジックは顔の前で手を組み、覗かせた目をゆっくりと細めた。
「新年は、いつも四人で過ごしたものだったな」
 観光、海で泳いだり、ヨットを浮かべたり――旅先ならではの思いがけない楽しい出来事や数々の小さなトラブル――。だが、今年は、とりわけトラブルメーカーのハーレムがいないせいか、静かなものだった。
 予定の狂うこともない代わり、どこか味気なく、物足りなかった。
「――行こう。まだ間に合う」
 マジックは席を立った。
「どこへ?」
 食事中のサービスは、ナイフとフォークを構えたまま、呆然と目を瞠った。
「あいつらを迎えに行く」
「あいつらって、ハーレムとルーザー兄さん」
「もちろん」
「でも兄さん。ハーレムは――」
 謹慎中のはずじゃあ――そう言いかけた。
「あと少しで今年も終わる。終わった年にやったことにこだわるのは、くだらんことだ。ルーザーもだ。いったいどんな用事があるのかしらんが、首に縄つけてでも連れて行くぞ」
 マジックは振り向いてにっと笑った。サービスは間髪を入れずに答えた。
「はい!」

「ふー、食った食った」
 食卓の上に並んだご馳走は、殆どが空になっていた。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです。ルーザー様」
「嬉しいね。君にそう言って貰えると」
「ありがとうございます。まさかこんな大ご馳走振る舞われるとは思ってもみなかったから――助かったっす」
 ジャンはへへ、と笑いながら言った。
「帆立のコキーユとサーモンのマリネは好評だったね。また作ろうか」
「あ、スフレ旨かったぜ」
「そうかい。僕も手をかけた甲斐があったよ」
 場に、うちとけた空気が流れていた。
 最初乗り気でなかったハーレムも、徐々に気分がほぐれ、今やすっかりくつろいでいた。
「なあ、高松。あの箱何が入ってんだ?」
 ハーレムが訊く。
「なに、大した物は入ってませんよ」
「気になるなぁ。まさか爆弾じゃねぇだろぉな」
「そんな知識はありませんよ」
「いや、わからんぞ。おまえのことだからな」
「さてね。――あっ、手伝いますよ。ルーザー様」
 高松は皿を重ねて下げて行こうとするルーザーを素早く見つけ、声をかけた。
「そうかい。助かるよ」
「俺も」とジャン。
「ご馳走になってばかりじゃ悪いもんな」
「――この皿、どこに置けばいいですかぁ」
「あ、そいつは俺が片すから、いいよ」
 いつの間にかハーレムが洗い場に来ていた。ルーザーは皿を洗う手を止め、ふっと微笑んだ。

「雪がやんだみたいだぜ」
「星見えるかな」
「行ってみようか」
 四人はわらわらと外に出た。
 黒々とした木々が並ぶ庭には、案の定雪が積もっていた。何の苦もなくブーツが埋まった。鋭く肌を刺す張りつめた大気がなによりも清浄なものに思えた。雲はなかった。
「うわぁ、すげぇな」
 ジャンが声を上げた。――澄んだ濃藍の空に浮かぶ満天の星のことかと思いきや、足元の雪を見て、歓声を上げているらしかった。
 ジャンははしゃぎながら高く足を上げ、ずぼずぼと不慣れな雪中の進軍を続ける。
「転ばないで下さいよ。ジャン」
「いいじゃねぇか、転べ転べー」
「わっ」
 つまづいて転倒したジャンの顔に、まだ柔らかい雪が張り付く。
「つべてぇ」
 ジャンは慌てて雪を払う。その様を見て、ハーレムは腹を抱えて笑う。ジャンは体についた雪を払い落とすと、ハーレムの方に向き直った。
「――ハーレム」
「なんだ?」
「さっきルーザーさんから聞いたんだけど、おまえほら、あの事件のせいで謹慎食らって予定してた旅行、行けなくなったって?」
「――ああ」
「……あのさ、こんなこと言っても気休めにならないかもしれないけど、俺、気にしてないから、あん時のことは」
 なんだこいつ、とハーレムは思った。
「わざわざそれを言いに来たのかよ」
「いや、なんていうか――」
 ジャンはうまく言葉に出来ないらしく、しばし考えあぐねていたが、
「ま、いいや」
と、片づけた。
「変なヤツ」
 ハーレムは心に浮かんだままを言った。
「おまえって、変なヤツだよなぁ」
「そ、そうかな」
ジャンは頭を掻き掻き答えた。
「俺、こっちで会う人会う人全員に、『変なヤツ』って呼ばれるよなぁ」
「だって実際変なんですから」
 そう口を挟んだのは高松だ。
「でも俺、故郷じゃ別に変なヤツなんて言われなかったぜ」
「そりゃおまえ、そっちにもおまえみたいな変なヤツばっかだったとしたら――」
 ハーレムは言いかけて、止めた。
 ジャンにはあまりにも悪意の匂いがしない。ハーレムは、この男がどこから来たのか、どんな所にいたのか、ふと気になった。
「故郷って、おまえどっから来たんだ」
「あっち」
 ジャンはすっと指を伸ばすと、遙か彼方をさした。
「――ずっと遠くの方」
「それじゃわかんねぇよ」
「ずっとずっと海の向こうの南の島だよ。こっちのようにいろんな物はないけど、とっても平和な所だったよ。俺、ほんとにあの島が好きだったよ」
「無人島か? 未開の秘境か?」
 ハーレムが茶化す。
「ま、そんなようなもん」
「この人ね、暇があると島の話をするんですよ」
 高松がひょいと割って入る。
「フクロウ博士の話とか、シラサギがどうやって愛を囁くかだとか――あ、ほらハーレムも聞きたがってますよ」
「べ、別に聞きたかねぇよ」
 ジャンはふと足を止め、空を見上げた。
「こっちの空も綺麗だよなぁ」
 最初にそれに気付いたのは、彼だった。

「なんか、こっちにやってくるよ」
 近付いてくるのは一機のヘリ。
 けたたましい羽音を立てて、ヘリは彼らから離れた所に着陸する。
 ハーレムとルーザーにはすぐにわかった。それは一族が移動用に使うヘリである。ガンマ団のトレードカラーの赤い機体でもなく、これみよがしで野暮ったらしいGのロゴマークもついていない。
「まさか――」
 ルーザーは急いでヘリに駆け寄った。ハーレムも同様である。高松、ジャンは互いに顔を見合わせながらも、後を追った。
「どうしたんです! 兄さん!」
 機体から出てきたマジックに、ルーザーは息を切らせて質問した。
「なんだよ兄貴。ずいぶん早いお帰りじゃねぇか」
「――おまえ達を迎えに来た」
 開いたドアからサービスが顔を出した。
「なんだ高松。ジャンもいたのか」
「なんだとはご挨拶ですねぇ。サービス」
「いや、だって意外な感じがしたから」
「なにが?」
 ジャンがのんきに訊く。
「その――特におまえら――おまえとハーレムが、一緒にいるのが、さ」
「ああ。そんなことないよ、なぁ」
 ジャンが同意を求めるように振り向く。相手は肩を竦めながら、僅かに首を傾げただけだった。
「なんで二人がここにいるんだ?」
 サービスの問いに、
「よんだんだ。新年を迎えるなら、賑やかな方がいいと思ってね」
 ルーザーが答える。
「ふぅん。楽しそうだね」
「楽しかったよ、ね」
 ルーザーがハーレムを見る。
「――まあ、な」
「いいな」
「おいおい、なんでおまえがそこで羨ましがるんだよ。おまえの方こそ、バカンスに行ってたろ。楽しくなかったのかよ」
 サービスが何気なく洩らした一言に、ハーレムが反駁する。
「それがな、やはりいる筈のやつがいないと、どうしても――な」
 マジックは機内で待っている弟に目をやった。サービスは何となく目を伏せる。
「やっぱ、な」
 ハーレムは得意そうに肩をそびやかして長兄の方に向き直った。
「おい兄貴。まさか、わざわざここまで来て俺だけ置いてくって法はねぇだろ」
「もちろんだ。早く乗れ。急いで行けばあっちの新年に間に合う」
「待って下さいよ。兄さん」
 ルーザーは兄を呼び止めて、高松とジャンの方をちらと見やる。
「ルーザー様、私たちはもう帰りますから」
「でも、せっかく来てくれたのに――」
 ルーザーは少しの間考え、やがて小さく声を上げ、いいことを思いついたというふうに手を打った。
「兄さん。高松とジャン君も一緒に連れて行けませんか」
「え?」
「おい、兄貴――」
「……そうだな、もし二人の都合が良ければだが……」
 マジックは彼らの方を向いた。
「どうだね」
「特に休みの間は予定はないんだろう?」
 ルーザーも訊いてくる。
「ええ、まあ――」
「じゃ、決まりだ。乗って」
「俺も――?」
 ジャンは入り口に立って、どぎまぎしながら訊いた。
「バーカ。定員オーバーだよ。おまえは降りな」
 ハーレムが笑いながら言う。
「あっ、ひっでぇ」
 同じくジャンも笑いながら答えるとき、少し緊張が解れた。
 実際には、ヘリは楽に十人は乗れそうである。
 だが、この兄弟となにかしら縁の深いらしい高松はともかく、自分まで水入らずの旅行についていっていいものかどうか――ジャンは無意識のうちに四人の顔を見渡した。
 もとより意義はない、といった微笑みを浮かべているサービス。言葉のわりにはやぶさかでないらしい、ハーレム。終始変わらぬ笑顔のルーザー。そして――。
「総帥?」
 いつの間にか彼の前にマジックが立っていた。
「――来てくれるかね?」
 覗き込むように彫りの深い顔を傾け、苦み走った口元をこころもち綻ばせて。
「もし、我々の招待が気にいればだが」
「――はい」
 ジャンがガンマ団総帥であるこの男と会話を交わすのはこれが初めてである。彼は何故だか、話す前からジャンに好印象を持っているらしかった。
(何故なんだろう)
 ジャンは疑問に思いながら、機に乗り込む。
「さて、それじゃ、出発しようか」
「待って――もうすぐ十二時になるよ」
 ずっと時計を見ていたらしいサービスが言った。
 町に響き渡る鐘の音が、開いたままのドアからこちらにまで届いてきた。
 長く、余韻を残しながら、静かな宵の空気を震わせる鐘はちょうど十二回。新しい日々のための、ひそやかな合図。一足早い、新年の幕開けだった。
 誰かがそっと言った。
「ハッピー・ニューイヤー」

後書き
Tomokoが初めて最後まで書いたお話、『HAPPY NEW YEAR』です。(いや、最後まで書いたお話は前にもあるんだけど、データがどこかへ飛んでいってしまったの)

とても懐かしいです。これが『士官学校物語』の原型になるわけです。
一番初めに発表したという点では、私のパロディ小説の原点とも呼ぶべき作品です。(本当の原点は、また違う作品なわけだが)


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