ノアの方舟

 俺は――早くこの島を出たかった。

 ストームは船の製造の進捗を確かめる為に来た。
「ムルゾフ」
「あ、ストームさん」
「どうだ、様子は」
「バッチリです。あ、あの……ストームさん達はこの島を出る一番初めの人になるんですよね」
「まぁ、そうだ」
「楽しみです。土産話を待ってます」
「わかった」
 ストームは船体をぽんぽんと叩いた。
「いい出来じゃねぇか」
「ありがとうございます」
「名前とかは決まってんのか?」
「それがまだ……」
「じゃあ、『ノアの方舟』だ。どうだ?」
 ノアの方舟とは、海の向こうにある世界の伝説に出てくるという神秘の舟である。
「素敵だと思います」
「じゃあ、それにする。一週間後出向だからな」
「はい!」

「最近若い連中の様子が変です」
 島の番人、ジャンが赤い秘石に報告をした。
「そうですか……しばらく泳がせておきなさい」
「――はい」
 ジャンは納得がいかなかった。
「よぉ、ジャン」
「ソネ」
「どうせまた舟のことだろ?」
「よくわかったな」
「俺はこの島の情報屋だからな。お前がありもしない舟を探してんのはわかってるさ」
「舟……あるのはわかってるんだが、どこにあるのかがわからねぇ」
 ジャンが考え込んだ。
「気のせいなんじゃねぇの? それともお得意の勘か?」
「――俺の勘は外れたことがない」
「嘘をつけ」
 そう言ってソネは笑った。

 一週間後は嵐になった。
「ストームさん、やめてください! 方舟が沈んでしまいます!」
 ムルゾフが止めに入る。
「うるせぇ、俺は行くんだ!」
「皆、もう出航は諦めてます!」
「だったら俺だけでも行く! ムルゾフ、皆には宜しく言っといてくれ!」
「ストームさーーーーーーん!!!!!!」

「おう、ムルゾフ。どうした。青褪めて」
「ジャンさん……ハーレムさんを止めてください。彼はノアの方舟で海に出ました」
 ――あのバカ!
「俺、ちょっと行ってくる!」
 ジャンは抜き手を切って方舟に追いついた。はぁ、はぁ……と肩で息をしながら、舟の側面を這い上る。
「ジャン!」
 ストームが驚きの声を上げた。
「お前……この島で脱走罪が一番深い罪であることを知ってるのか!」
「ふん、聞こえんな」
 嵐が逆巻く大海原で二人は舟の上で対峙し合った。
「……ストーム。戻ろう。この嵐は危険だ」
「嫌だ! せっかくここまで来たんだ! この島を出ることが俺の唯一の夢だったのに!」
「――取り敢えず戻れ!」
「断る!」
 そう叫んでストームは舵を取る。ジャンが飛びつく。
「離せ! そこを退け!」
「いーやーだ!」
 その時――。バキッと舵が取れる音がした。

「ああ、雨、止んだな……」
 ぐったりした脱力したストームが呟いた。ジャンも疲れていた。
「島に帰れるかな……」と、ジャン。
「別にいいよ。俺は、帰れなくったって……」
「どうして。どうしてそんなに島から出たがる。ストーム」
「おめぇにはわかんねぇよ。ジャン……」
 遠くに島影が見えた。
「島だ! 助かった!」
「待て……あれは……」
 それはストームが脱出を夢見た南の島――パプワ島だった。
「なんだぁ、振り出しに戻る、か」
「いや、お前は罪人として拘禁する」
「何だって?」
「大人しくしろ!」
 ストームはソネとイリエにがっちり身柄を抑えられた。
「何しやがる。お前ら――ええいっ!」
 ストームはソネとイリエを振り払った。そして駆け出した。
「逃がすか!」
 ジャンはストームの体を地面に押さえつけた。
「畜生! 離せ!」
 ジャンはストームの頭を殴って気絶した。ジャンはおそるおそるストームの様子を伺う。
「死んで……ないよな」
 まずは息を確かめる。
「よし、死んでない。牢に運ぶぞ」
「ジャン!」
「ソネ、情けないぞ」
「面目ねぇ。――ストームはどうするんだ?」
「重罪を犯したんだ。裁判にかけて死罪だろうな」
「死罪……? ストームはそんなに悪いことをしたのか?」
「当たり前だろう。この島の規律を乱したんだぞ」
「ジャン……今だから言うが、俺も一度この島を出たいと思ったことがある。あまりにも閉塞感つーの? そういうのがあってさ」
「ソネ……」
 ソネはジャンを指差してこう言い放った。
「ストームが死罪になったら俺も同罪だ! 俺も殺すがいい!」
 ソネは行ってしまった。ソネの姿が森の中に戻ってしまうと、ジャンは声を殺して泣いた。

後書き
久々の『南の島の歌』シリーズです。
ソネくんがストームの味方(?)になるとは思いませんでした。まぁ、敵中の味方という訳で。
ムルゾフは方舟の製造を引き受けている男みたいです。オリジナルキャラクターです。
随分原作とは違いますが、これからもお付き合いくださると嬉しいです。
2015.11.22

BACK/HOME