天国劇場

 体が、痛い。意識が朦朧としてくる。
「シンちゃん! パパを置いて逝かないでおくれ!」
 親父のマジックが俺の手を取る。手が皺深くなったな、親父。俺は心の中でそっと呟く。
 グンマ、キンタロー、コタロー……。
 俺の体は、多分もうもたない……。けれど、これだけは言っておかなければ。
「ありがとう……さよなら……」
 皆……また天国で会えるさ。いい人生だったぜ。お前らのおかげで。
 それから――パプワ。お前にもう一度会いたい。
「パプワに……宜しく……」
「シンちゃん!」
 心電図が死を示す。俺は天国へと旅立ったのだ――。

 かぐわしい匂いの風が吹く。
 あれ? 今まで俺、どうしてたんだっけ――。確か病院で息を引き取って、それから――。
 それからの記憶が全くない。でも、ここは何だか安心出来る。
 パプワ島に、似ている――。
 走馬燈か。こんなのだったら、悪くねぇな。体も、若返ったような気がする。つーより、若返っている。
 たたた、と子供達が走ってくる。甥のレックスの子供の頃に似ている少年がいる。……あの子の友達もいる。もしかして――。
 ここが、天国なのか? そういえば、目の前には青い、綺麗な空が広がっている。
「シンタロー!」
「レックス……?」
「そうだよ! レックスだよ! 会えて嬉しいぜ!」
 レックスが抱き着く。レックスの頭は俺の腰の高さまでしかない。
「あ……ごめん。シンタロー……」
 レックスがぱっと離れる。
「いいんだけど――どうして俺がシンタローだってわかったんだ?」
「シンタローの若い頃の写真はよく見せてもらったりしてたから。うち行こ? 親父も喜ぶと思うぜ」
 レックスの友達――俺の記憶が正しければ、多分、リズとバリーと言う名だ――は、にこにこして俺達を見守っている。まるで俺が来たのを祝福するかのように。
「今日はサービス叔父さんも家にいるよ。俺達、追い出されちゃった」
 レックスは笑いながら舌を出す。明るいところは生前のレックスに似ている。――レックスも死んだ時はもう大人だったな……。でも、性格は昔と変わらねぇ。ここで、レックスは幸せそうだが、一応訊いてみた。
「レックス……お前は、今、ここで、幸せかい?」
 レックスはぽかんとしていたが、やがて、
「うん!」
 と、頷いた。
 ――でも、レックスの家とやらには、俺の恋敵も住んでいるのかな。
 まぁ、ハーレムの奥さんのことを恋敵と言うのは冗談で、今の俺にとっては、ハーレムにも家族としての親愛の情しか湧かない。――俺もいい年だったもんな。嫁さんは結局見つからなかったけれど。ハーレムの妻、イレイナさんが恋敵だと知ったら、皆笑うかねぇ。
 俺は昔、ハーレムに恋していたことがある。あまり大っぴらには出来なかったことだが。
 だから――ハーレムが俺を庇って死んだ時、俺は半病人みたくなっていた。
 だが、いつぞや、夢の中でハーレムが現れて、
「おう、シンタロー……今までいろいろ世話になったな」
 と、笑顔で言ってくれた時は、救われたような気がしたっけ。その日だけ、俺は教会に行った。
 でも、こんな素晴らしい世界にハーレムやサービス叔父さんが住んでるなら、もう死だって怖くはないね。――親父もきっと、程なくやってくるだろう。
 そしたら、俺は――今度こそ出来る限りの親孝行をしよう。
「シンタロー」
 レックスが俺のズボンを引っ張った。
「家に来いよ。――親父もお袋も叔父さんも、シンタローが来るのを待ってるよ」

「親父ー。お袋ー。今帰ったよー」
 幼い姿のレックスが無邪気に手を振る。リズとバリーとは公園で別れた。――ハーレムが読んでいた新聞から顔を上げた。
「よぉ、レックス……と」
 ハーレムが絶句した。レックスの隣に自分がいたからだろうと俺は判断する。
「シンタロー……よく来たな」
 ハーレムの顔がぱっと輝く。その様が俺にとっては嬉しい。
「お前も地上からおさらばしたのを天国劇場で観たから、すぐここに来ると思ってたぜ」
「天国劇場?」
「地上のことを全て見ることの出来るところだ。俺は『天国劇場』と呼んでいる」
「レックス。今日は僕達、話があるからリズやバリーと外で遊んで来なさいと――シンタロー!」
「サービス叔父さん!」
 俺は思わず抱き着いた。何てったって尊敬する、大好きな叔父さんだもんな。サービス叔父さんがしっかり俺を受け止める。
「シンタロー、いつここに来たんだ?」
「たった今」
「お前が死んだことはハーレムから聞いているよ。ハーレムは天国劇場を夢中で観てたからね」
「ああ……見たくないモンまで見ちまったがな」
 ハーレムが首をコキコキ鳴らす。
「見たくないものって?」
「言ってもいいが、シンタロー、お前のトラウマになるかもしれねぇぞ」
「――やっぱいいや」
 ハーレムは何を見たと言うのだろう。ハーレムはトラウマに強いから、天国劇場とやらを見ても平気なのだろう。だが、無理して訊く必要もない、と俺は考えた。
 でも、パプワには会いたかったな――俺には、それだけが心残りだ。
 イレイナさんが得意のロシアンティーを持って来た。俺らはしばし歓談した。
 俺のかかった病気のこと、レックスの天国での生活、ハーレムとイレイナの結婚のことなど――。サービス叔父さんも頷きながら自分のことをぽつりぽつりと話してくれた。
「親父も……そろそろ来るかな」
「来るんじゃねぇの? もういい年だろ。兄貴も」
 ハーレムがカップを置いて答える。
「うん……でも、親父は人をいっぱい殺してるから……」
「死ねば仏って言うだろうが」
「そうだね。――ハーレム叔父さんですら、天国に来れたんだもんね」
「『ハーレム叔父さんですら』は余計だ。俺はクリスチャンだからな。死ぬ前に悔い改めもしたし」
「あ、そっか。でも、死ねば仏って仏教国の諺だろ?」
「じゃあ、死ねば天使と言い換えようか?」
「皆、スコーン焼いたわよ」
 イレイナさんの言葉にわっとその場が湧いた。
「お前、イレイナのスコーン、食ったことねぇだろ。旨さにあっと驚くぜぇ」
 ハーレムが自慢げに言うのへ、サービス叔父さんがふふふ……と含み笑いをした。惚気てくれちゃってまぁ……と、俺は少々ほろ苦い想いを味わった。
「俺、クッキーの方が良かったなぁ」
「文句言うんじゃねぇ。レックス」
 ――口ではそう言いながらも、ハーレムは笑いながらレックスの頭を撫で回した。レックスは大人しくハーレムに頭を撫でさせるままにした。
「ハーレム……幸せそうだな」
 シンタローは半ば寂しく、半ばほっとしながら言った。
「――まぁな。ここは魂が還る場所だから」
「……リキッドは一生来れねぇな」
「――あいつの選んだ道だ。仕方ねぇ。それに、パプワ島もいいとこだぜ。リキッドはパプワの子孫達の面倒を見ながら暮らすんだろうよ」
「あいつ、永遠に若いままだもんな。コタローやパプワが死んでも……」
「ああ、でも、あいつにはやることあっだろ。パプワ島を守ると言う」
「カムイもいるんだろ?」
「カムイのじいさんならこの前来たぜ」
「そうか――カムイにも会いたかったな」
「そのうち会えるぜ。お前がここに来たことはカムイは知っているはずだからな。シンタロー」
 ハーレムがパチンとウィンクをした。その様が可愛くて、俺は思わず上気した。――キンタローが見たら真っ赤になってたかもな。俺はクスクスと笑った。
 太陽が沈もうとしている。天国にも昼と夜――それに、四季はあるのだろうか。パプワ島にも一応四季があったように。今日からここがお前の家だぞ、とハーレムが言ってくれた。

後書き
死後のシンタローです。
シンタローはいくつで死んだんだろ。――考えてないです。
天国劇場――もしそういうのがあるのなら、行ってみたいですね。アカシックレコードのようなものなのかしら。

2018.10.22

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