不思議な出来事

 リキッドは特戦部隊に来てから、ため息をつくことが多くなった。
 もともと快活な質で、あまりふさぎこむこととは縁のない彼ではあったが、連日の、ハーレム隊長及びその部下の仕打ちに対しては、さしもの彼も落ち込まずにはいられなかった。
「はぁ~ぁ」
 盛大なため息をつきながら肩を鳴らしていると、どこかで大きな爆発音がした。
「なんだろう」
 リキッドが曲がり角を抜けると、白い煙と共に、機械工学部の連中がなだれを打って廊下に逃げ始めた。
「ねぇ、待ってよ。みんな~」
 長い金髪を後ろでとめた青年が、せきこみながら呼び止める。幼い顔のくせに、それなりに白衣は板についている。
(誰だっけ。あれ。なんかどっかで見たことあるけど……)
 リキッドはためらわずに青年の方に向かった。
「なぁアンタ。いったいこりゃ何の騒ぎだ?」
「あ、君はハーレム叔父様のとこの……えっと……」
「リキッドだよ。アンタは?」
「僕はグンマ」
「ああ、総帥の甥の――へぇ……。で、さっきの質問に戻るけど、この爆発は、なんだ?」
「ああ、これ。僕、今タイムスリップの研究してるんだ。これは爆発のエネルギーで、小石を1分先の未来に送る、という実験だったんだけど、うまく制御できなくて……」
「タイムスリップ?」
「うん。時間旅行ってしてみたいと思ったことない? 僕、タイムマシン作ろうと思ってるんだ」
「タイムマシンだって?」
 リキッドは身を乗り出しながら訊き返す。そんな自分が恥ずかしくなって我に返った。
「バカバカしい。夢物語だろ。そんなの」
「時間旅行の可能性は、計算でも証明済みなんだよ。理論上は可能、ということは、必ずいつかは実現することだよ」
「そううまく行くもんか」
「実物を見てもらった方が早いかもね。おいで」
 グンマはリキッドを引っ張っていった。

「なんだよ。どこまで行くんだよ」
 リキッドは熊笹をかき分けながら歩いた。来て、と言われてついて来てしまったものの、いったいどこに連れて行くというのだろう。
「ここだよ。これが僕の自慢のタイムマシン」
 そう言って、グンマは前方を指差す。
「……なんだよ。プレハブ小屋じゃないか」
「人も物も、見かけで判断しちゃいけないよ」
 グンマはちっちっと指を振る。

「なんだよ。……こりゃあ」
 部屋のカラーはピンクで統一されている。棚にはたくさんの絵本。木の柵で作られた、ベビーベッド。天井にはガラガラのオルゴールまでついている。
 ブロックで組み立てられた大きな赤い屋根の家の中に、大人ならやっと一人乗れるぐらいの、UFO型の乗り物がある。
「これは、赤ん坊の部屋じゃないか?」
「そうだよ。僕の小さい頃の部屋をそのまんま再現したの。もっとも、少し変えたところもあるけど」
「いったい、これのどこらへんがタイムマシンなわけ?」
「僕、ここに来ると落ち着くんだ。昔を思い出すんだ」
「昔を思い出すったってなぁ――」
「ねぇ、子供部屋ってさ、いいと思わない? 僕、こういう部屋って大好きなんだよ。ハーレム叔父様にはよくバカにされるけど――僕は、好きだな」
 グンマはぬいぐるみをいじりながら言う。
 リキッドも、その感覚はわからないではなかった。いつまでも子供部屋で遊んでいたいのに、ある年齢が来ると、そこからむりやり卒業させられてしまうのだ。
 だからといって、もう、楽しいが狭い部屋で遊べるほどには、子供ではないけれど。
 これは、鼻を近づけるとマシュマロとケーキの匂いがしてきそうなこの青年の、記憶にある過去をたどるタイムマシンなのかもしれなかった。
「……で? 俺はどうすればいいわけ?」
「ああ。じゃあ、そこのUFOに乗ってくれない?」
「わかった」
 体の大きなリキッドは、背中を丸めないと乗り込むことはできなかった。
「レバーを倒すと動くよ」
 リキッドはグンマの言う通りにした。
 ものすごい振動が体を襲う。
「な、なんかこれ――ヤバイんじゃねぇの?」
「だいじょうぶ。天才博士の僕の作ったマシンだからね」
「え――?」
 何か言い返そうとする間もなく、UFOはひとりでに発進していた。

 嵐にもみくちゃにされながらリキッドは、自分が叫び声を上げていることすらわからなかった。
 色が目の前で、次々に変わっていく。ある時は目もくらむ蛍光色だったし、ある時は穏やかな緑色だった。しかし、そのどれもがリキッドの平衡感覚と三半器官をおびやかす。
 気分が、悪い。
 気を失う瞬間、彼は、ふわっとした空気に抱きとられたのを感じた。

 遠くで子供が泣いている。
 夢の中でのことだろうか。
(……なんだ?)
 意識が少ししっかりしてきたリキッドは、急いで跳ね起きた。
 目の前のドアがほんの少し開いていて、廊下に灯りがもれている。リキッドは部屋に飛び込んだ。
 さっきまで泣いていたらしい子供は、リキッドの存在に気付いてふりむいた。それでも涙が止まらずに、まだしゃくりあげている。一生懸命に小さな手のひらで涙を拭おうとしていた。
「……おじさん、誰?」
「おじさ……」
 リキッドは少し気を悪くした。
「俺はリキッド。それから、俺はまだ若いんだから、お兄さん、と呼んでくれない?」
「うん」
「君は?」
「ぼくはハーレムって言うの」
 ハーレムって聞いた途端に、リキッドの背中には悪寒が走った。今日もまた、この目の前の子供と同じ名を持つ男に、ひどいめに合わされたばかりなのだ。
 ハーレムは大きな青い目を開いて、こっちを見つめている。その瞳には、少しのくもりもなかった。
 はねた硬い髪に、黒っぽい眉。
 顔のつくり自体は、リキッドのこの世で一番嫌いな男に似ていた。
(まさか――)
 あるひとつの疑いが、リキッドの心に湧き起こっていた。あのUFOは、本当にタイムマシンだったんではないだろうか。
「どうしたの? リキッド……お兄さん」
「い、いや、あのさ、訊きたいことあんだけど」
「なぁに?」
「君、マジックってお兄さんいない?」
「いるけど?」
「それから、サービスっていう弟がいるでしょ」
「うん」
(なんてこったい! やっぱりあの獅子舞親父だよ!)
 しかし、リキッドの頭の中では、特戦部隊の隊長であるハーレムと、目の前にいる、涙も乾いていない子供とは、全然繋がらないのだった。
(う~! この子とあの悪魔のような男が、同一人物だなんてッ!)
 リキッドは頭を抱えた。
「どうしたの? ねぇ、気分が悪いの? お兄さん」
「いや、いや。なんでもないんだ」
(将来どう育つにしろ、この子に罪はねぇもんな)
 ハーレムは、本気でリキッドのことを心配しているようだった。勝手に部屋に入ってきたのだ。人を呼ばれても不思議ではないところなのに。
「なぁ、アンタ、なんで泣いてたんだ?」
 リキッドがきいたとたん、ハーレムはうなだれた。
(あ、やべ。よけいなこと聞いちまったかな)
「――たの」
「え?」
「お兄ちゃんに、小鳥、殺されたの」
「――お兄ちゃんって、マジック総帥が?」
 人間には厳しくても、動物には優しいと評判のマジックが、そんなことをやってるとは考えられなかった。
「なに言ってるの! マジックお兄ちゃんはそんなことしないよ! ルーザーお兄ちゃんがやったんだよ!」
「ルーザー……?」
 ハーレムにそんな兄がいるとは初耳だった。
「誰だよ。ルーザーお兄ちゃんって」
「小さいお兄ちゃんだよ」
 低い声で答えたハーレムは、自分の考えに沈んでしまったようだった。
「……で、その、ルーザーお兄ちゃんが、小鳥を殺したんだな」
「……うん」
「そいつはひでぇな」
「――そう思う?」
「ああ。動物をいじめるなんて、最低野郎だな!」
 自分もいじめられているためか、リキッドはつい小鳥に感情移入してしまっていた。
「ルーザーお兄ちゃんは最低野郎なんかじゃないもん!」
 怒鳴り返されて、リキッドはつい身を竦ませた。
 ハーレムはまた泣き出した。リキッドは困り果てた。
「――なぁ、ハーレム。アンタ、そのルーザーとかいう人に、腹立ててたんじゃなかったのか?」
「うん」
「俺は、自分の気持ちを正直に言ったまでだぜ。それなのに、どうして怒るんだ?」
「――だって、お兄ちゃんはやさしいんだもん。マジックお兄ちゃんみたいにどならないし。笑顔がとってもきれいなの。天使みたいなんだもん」
「お前……本当はそのお兄ちゃんのこと、好きなんじゃないのか?」
「ううん。嫌い」
「――どっちなんだよ。まぁ、いいけど」
 リキッドはぼんやりと天井の一点を見つめていた。ややあって、ハーレムが口を開いた。
「――好きなの」
「え? なにが?」
 リキッドは、一瞬頭が寝ぼけていたらしかった。
「僕、ルーザーお兄ちゃんのこと、好きなの」
 ハーレムは、リキッドの目を見て、はっきりと言った。リキッドは苦笑した。
「そうか。お兄ちゃんのこと、好きか」
「でも、小鳥をにぎりつぶしたのは許せないの」
「なんだって! そんな殺し方をしたのか! ファックユーだぜ!」
 リキッドはそう言いながらも、頭の中で、(確かにナマハゲ親父の兄貴だけのことはあるぜ)と考えた。
「お前もそんな兄貴の元で、大変だな」
「んーん。いつもは優しいもの。大好きなのと、許せないのとがごちゃごちゃになって、どうしたらいいかわからないの」
「やっぱり、お兄ちゃんのこと好きなのか。……どうしたらいいかな」
「わからない」
「そうか。わからないか。じゃ、俺がなぐさめてやるよ」
 頭をなでてやりながら、彼は思った。
 おかしなもんだな。ナマハゲのはずなのに。いくら呪い殺したって飽き足らないようなヤツだと思ってたのに――。
 今は、こいつがかわいい。
 思えば、誰にでもガキんちょの頃はあるんだもんな。隊長も、最初から極悪非道の獅子舞というわけじゃ、なかったんだろうな。
(まだ、真っ白なんだよな)
「なぁ、ハーレム。部下――あ、いや、友達は大切にしないとダメだぞ。あ、それから給料も少しあげてネ☆
 だんだん頭にもやがかかったようになって、視界もかすみはじめた。
 ハーレムの姿もぼやけてくる――。
「――くん。リキッドくん」
 柔らかいボーイソプラノの声が降ってきた。
「……ん?」
 リキッドは目をこすった。
 白い光に包まれた、白い部屋だ。それが医務室だとわかるまで、数秒かかった。
「よかった。気がついたんだ」
「大丈夫ですか。リキッドさん」
 グンマと、長い黒髪と垂れ目に口元のほくろのドクター高松とが、リキッドの顔をのぞきこんだ。
「あれ? 俺、なんでここにいるんだ?」
「あ、あのね。あのマシン、動き出してからすぐバラバラになっちゃって。リキッドくんが気を失ってたから、高松のところに連れてきたの」
「心配いりませんよ。グンマ様。確かに数ヶ所かすり傷はありましたが」
 カルテを繰りながら、高松が答えた。
「……ごめんね。リキッドくん」
「なにが?」
「あんまり目を覚まさないもんだから、死んじゃったらどうしようとか、思って……」
「俺、そんなにヤワじゃないっすよ」
「そうですよ。この人はハーレムの部下なんだし。タフでなかったら生きていけませんよ」
「まぁな」
(あれは、夢だったんだろうか――)
 夢だとしても、悪い夢じゃなかったのだろう――多分。
 記憶の中の、遠い過去の物語。それがどんな意味を持つかも彼らは知らない。

後書き
『世○不思疑発見』でタイムマシンのことをやっていて、『H○ro's Hero』でアインシュタインのことをやっているのを見ているうち、タイムトラベルものを書きたくなりました。
(おまけにまた父が隣で講釈してくれるんだ。これが)
私は昔、タイムトラベルものの話をけっこう考えていました。今、短いけどひとつの話に実を結ぶことができて、嬉しいです。
時間旅行というのは話を聞くだけでもおもしろいものです。
父によれば、未来に行くより過去に行く方がむずかしいようです。
(だって、一時間後に行くには、そこでただ黙って座っていればいいだけですから)
ところで、もし過去に行けるとしたら――私は、自分の足元にバナナの皮でもおいときますね。

少し作品についても。
やっぱり、私は『南国少年パプワくん』のファンなんですね。まだ。
『PAPUWA』の展開には、正直ついていけないところもありました。
でも、『パプワ』も『PAPUWA』もどちらも楽しめたら、もっとおもしろいだろうな、と思ったんです。
だから、この話には、少し『PAPUWA』の設定も取り入れました。
相乗効果で楽しんで、その設定で作品作って――その先に、何があるのか見てみたい。

グンマの部屋は、数パターンあったうちのひとつを選びました。
本当はスワン号とか、もっとおもしろ変なのも転がっているかもしれないです。

追記
これは、2002年の8月に書いたものです。
どうして発表が遅れたかというと……いろいろあったんです(汗)。

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