出会い

 裏通りにある酒場、『無憂宮』は、今日は賑わっているとは言いがたかった。
 ごま塩頭に、髭がちょびちょび生えているだけのマスター、カウンターの中でコップを拭いている彼は、何となく貧相な感じがする。
 ギデオンがこの店にやってきたのは、そんな時だった。黒の強い髪に、張り出した頬骨、太い眉に、強い意思を秘めた黒い瞳、威圧感の漂う、2M以上の大男が入ってきた時、小柄のマスターは縮み上がった。ギデオンは一応馴染みの客なのだが、この男はいつまで経っても彼に慣れることができないらしい。
「いらっしゃい」
 無愛想ではないが、どことなく客に不快感を与える、毅然としたもののない声。
「――酒を」
 カウンター席にギデオンがぶっきらぼうとも思える言い方で言った。だが、これは彼の性格から来ているものだ。彼は自分が必要であると思ったことしか喋ろうとはしない。
「何にします?」
「いつものやつ」
 これで通じるんだから楽だ。ごま塩頭は棚からバーボンを持ってきて、グラスを出して注いだ。
「どうです? 景気は?」
 何か喋らなければ、と思うのだろうか、マスターはこの上もなくつまらないことを訊く。
「――さあな」
 ギデオンがそう言うと、マスターは何も言わず、さっさとコップ磨きに戻ってしまった。
 後ろから下卑た笑い声が聞こえてくる。すぐ後ろのテーブル席の客だ。三人の、見るからにごろつきです、とわかる風体の男三人が、大声で話していたのだった。
「でよぉ、そいつが言いやがったのさ……」
「そんなつまんねぇ話は後にしろよ。それより、ほれ、あそこの席に座っているやつ――あいつ、なかなかいかすと思わないか?」
「へぇっ。おまえ、あんなやつが好みなの」
「俺もけっこう好みだな。おい、おまえ、興味がないんならおとなしく見ててもいいぞ」
「冗談」
「挑発的でそそるねぇ。しかし、暗くて顔が見えないな。顔見てがっかりってことはねぇだろうな」
「だいじょうぶ。俺、入ってきた時見たぜ。気が強そうで癖のある顔だが、なかなか悪くなかったぜ。上等な玉さ」
「格好からして、あっちの趣味だよな。たまには男もいいよなぁ」
「たまには? 俺なんかいつも……」
 この後も、聞くに耐えないような会話が続く。
 ギデオンは壁際の方に目を移す。
 まだ未成年だろう少年が、椅子に寄り掛かって杯をあおいでいる。
 金色の硬い髪をまとめて高めの位置で一つに縛っている。何も着ていない上半身に、直接皮のベストを羽織、細身のレザーパンツを履いている。場末の不良少年を絵に描いたようだ。金か銀のアクセサリーをしていても不思議ではない。
 三人のうるさい男どもが噂をしていたのは、この少年のことか。ギデオンは呆れてしまった。
 顔をしかめながら、再びカウンターの方に視線を戻した時、マスターと目が合った。
「あ……」
 なぜかマスターは頭を下げる。しばらく皿を拭いていたが、やがて、その手を止めてこう言った。
「……困るんだよねぇ」
 マスターが壁際のテーブル席の方に目を向けていることから、ギデオンは、それが自分に発せられた言葉でないことを知った。
「あの客、ああいうのはトラブルの元になりかねないんだ。ここは物騒だからねぇ、男でも油断できんよ。ましてや、あの客は未成年だろ? 本当に困るんだよねぇ。いつまで居続けるつもりなんだろうか……あの男達の会話には気付いているはずなのに……」
 早く帰ってくれないものか、そう言わんばかりに首を横に振る。
「私のいる日に限って、厄介事が起こるんだ。弟のいる日は、そうでないのに」
 この店のマスターは二人いる。二人は兄弟同士で、日によって、交代で出ることが多い。たまに、二人で出ていることもある。
「そういう時責められるのは私なんだ。被害者が行き場のない怒りを私にぶつけてくるんだよ。そういうのはごめんだ。『なんで、そこにいたのに止めてくれなかったのか』とね」
 その時のことを思い出したのか、心底疲れた表情を、四十がらみ、ごま塩頭のマスターは見せた。
「……マスター」
「なんです?」
「煙草を買ってきてくれないか。切らしてしまったんだ。珍しい銘柄のやつだから、この近くにはないかもしれん」
 ギデオンは銘柄を言った。
「はっ。確かに、珍しいですねぇ。ちょっと遠くまで行かないと……」
 ここまで来て、ギデオンの言わんとしていることがわかったマスターは、地獄で仏とばかりに彼を見た。
「それが見つかるまで帰って来なくていい……」
「はい! はい!」
 マスターとしての責任もどこへやら、いそいそと出て行ってしまったごま塩頭の男。
(何か面倒が起こったら止めねばならんな――)
 そう思ったギデオンは、失礼にならない程度に、三人の男と金髪の少年の動向を見ていた。
 ひとしきり話が終わったらしい三人の男は、壁際のテーブル席に移動する。
「よぉっ、かわいこちゃん」
 一人が大きな手を少年の肩にぽんっと置いた。後の二人が、にやにや笑いながら取り囲む。
「…………」
 少年が一瞬肩に手を置いた男の方を見た。が、興味なさそうに視線を戻した。
「……馴れ馴れしく触るんじゃねぇ」
「イキがっちゃって、かわいいねぇ」
「坊やまだ十代だろ? どこから来たんだい? 俺らと一緒に飲まない?」
 もう一人が少年の肩を抱く。
「なっ、あっちで飲まねぇか? もちろん、こっちに移ってきてもいいが」
「もちろん、ただとは言わねぇからよ」
「……気安く触るな、と言ってんだろう!」
 ハーレムは男どもを振り切り、そのうちの一人の股間に蹴りを入れる。可哀想に、男は、ぐうっと体を折り曲げる。
「……野郎!」
 かかってきたもう一人の攻撃をかわし、足をすくい、体が宙に浮いたところをつかんで投げ飛ばす。相手は壁に頭をぶつけて気絶した。
 顔面に向かってパンチを繰り出してきた三人めの男に対しては、少年は驚くべき跳躍力で男の頭上の高さまで跳び、そこからスライディングキック。流れのまま、男の顔を踏みつけるように着地した。
「…………」
 二人の男は床にのび、うずくまっている男も、蹴りがよほど深く入ったのか、股間を押さえたままぴくりとも動かない。
 あっという間の出来事だったので、ギデオンには止める暇もなかった。意外な展開で拍子抜けしたということもある。男達は、いずれも屈強な体格の持ち主であった。それが、華奢な――ギデオンから見れば、華奢に見えたのだ――少年に、ギデオンに介入する暇も与えずやっつけられたのだから。
 少年が、ギデオンの視線に気付いたらしい。無礼者に対するかのように、彼を睨みつけた。実際、無礼であったに違いない。気遣いも忘れ、彼をしげしげと眺めていたのだから。
 少年の蒼い瞳を見た時、ギデオンの心は俄かに波立った。
 薄暗い店内でも、冴え冴えとして、光り輝き、とても澄んでいて――だがどこか冷たい眼。戦いに高揚することはあっても、芯から、他人に対する興味や共感を表すことはないだろう瞳。
 獣の目だ、とギデオンは思った。
 あの瞳――あの瞳を持っている者など、彼は今まで知らなかった。
 だが、それは一瞬のこと、すぐに少年の瞳は普通に見える状態に落ち着いてしまった。少年は束ねた髪を揺らし、ギデオンの方に歩み寄る。
「すまんな。静かに飲んでるとこ騒がせちまって」
「――いや、それはかまわないが。それより、そんな強さがあるなら、その力を喧嘩などに使うな」
「…………」
「……おまえの気持ちはわかる。だが、やりすぎだ」
「……なんだ、説教かよ」
「いや。そんなことをする資格は俺にはない」
 ギデオンだって、暗殺集団――ガンマ団の一員なのだ。その力を喧嘩に使ったことだけはないのだが。
(とりあえず、これをどうにかしなくてはな)
 この酒場の二階には、簡素なベッドルームがある。酔っ払いやその他の人々を寝かせるためのものだ。ギデオンは三人を荷物であるかのように、ひょいひょいと抱え上げた。
「そいつら、どうする気だ?」
 少年に聞かれ、ギデオンは答えた。
「二階に連れて行く。死んではいないようだから、じき、目が覚めるだろう」
 三人の人間を抱えた男は、階段を昇っていく。ちょうどベッドが三つあったから、一つのベッドに一人を寝かせた。
 ギデオンが下に降りてくると、少年はまだいた。
「なんだ、まだいたのか」
「ああ、なんか手間かけさせちまったな」
「別にいい。好きでやったことだ」
 この少年、もしかしたら礼でも言うために待っていたのだろうか。だとしたら、案外律儀な所があるのかもしれなかった。ギデオンはさっきまで座っていたスツールに腰かける。少年はそのそばのカウンターに寄り掛かる。
「アンタ、名前は?」
「――ギデオンだ」
「そうか。俺はハーレムだ」
「これから、どうするんだ?」
 ふと気になってギデオンは尋ねた。
「さあな。ここで飲む気にもならんし、他の所で飲み直すか。――これは騒がせ賃だ」
 ハーレムはカウンターにいくばくかの金を置いた。
「そんなものいらん」
 ギデオンが静かに言うと、「そうか、じゃ」と言って、また金を懐にしまう。
「オッサンはどうした」
「オッサン?」
 ハーレムがカウンターの中に目をやっているのに気付き、オッサンと言うのはマスターのことだとわかった。
「俺の煙草を買いに行っている」
「ふぅん」
 ハーレムは何とも言えない表情でグラスを揺らしていたギデオンを見ていたが、やがて、立ち上がった。
「じゃあ、酒代はツケといてもらうか。――俺、もう行くわ。縁があったらまた会おうな」
「――ハーレム」
 ギデオンが呼び止めると、金髪の少年は振り返る。
「……なんだ?」
「さっきの男たち、そんなに許せなかったか?」
「……え?」
「……いや、いい。引き止めて悪かった」
 馬鹿なことを聞いてしまった、とギデオンは思った。
 ハーレムの姿が闇に飲み込まれた後も、スイングドアは揺れていた。
(……縁があったら、か)
 もしかしたら、今までよりもっと頻繁に、この酒場に足を運ぶことになるかもしれない。
 その後、ギデオンはハーレムと仲良くなり、Gとあだ名をつけられ、更に後に特戦部隊に入った時、それをコードネームにまでしてしまうのだが――それはまた別の話である。
 ギデオンはコップに少し残っていたバーボンを喉に流し込んだ。

後書き
Gとハーレムの出会い編です。
実は私、格闘シーンが苦手なんです。「こんなのあるわけないじゃないかぁー!!」と己にツッコミながら書いてます。
Gの本名は、当初、他の方が使っていた、『ゲオルグ』にしようかと考えたんですが、「まんま真似るなら、聖書からの方がいいかな」と思って、『ギデオン』にしました。ギデオンは、確か士師記にその活躍が書いてあったじゃなかったかな。彼も戦士だしね。
マスターが素敵に無責任ですなぁ。実はこの後、彼は華麗なる転身
を遂げる予定であるが……そこまで書けるだろうか。果たして?

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