コミケの男 有明で有名なのは、ムツゴロウと――コミケ。 「おー、ここがOTAKUの聖地か」 「すごい人っすね」 ハーレムは、きょろきょろしながら楽しそうに言う。リキッドが息を飲んだ。 「隊長。くれぐれも人様に迷惑かけないように」 「あーん。わかってるよ」 リキッドは少し具合が悪くなってきた。 「どうした? リッちゃん」 「いえ――ちょっと人に酔ったみたいで。それから、リッちゃん、と言うのはやめてください……」 「ちっ、なら、リキッドと呼べばいいんだろ」 リキッドは、なんだかんだ理由をつけて来なかったロッド、マーカー、Gのことを恨めしく思った。 こんなおっさんのお守りを俺に押しつけて! 俺だって、行くんならランドの方が良かったさ、ああ、良かったさ。 「アメリカの田舎者には、この人ごみはキツいか?」 「アメリカは田舎じゃねぇッ! つか、このぐらいの人、ランドではしょっちゅう見てたし」 でも、熱気が違うのだ。半端じゃない。 「なんすかね……この独特の雰囲気……」 「あーん。OTAKUに決まってんだろ」 「OTAKUって、何なんすか?」 「OTAKUはOTAKUだろ。日本中のマンガ好きさ」 ただのマンガ好きにしては、異様な空気だけど……。 その人だかりが、動き始めた。その中には、いろんな男や女がいる。身綺麗にしている者もいれば、あまり見た目には構っていないような人もいる。 ぞろぞろと動いて、またぴたりと止まる。 入れたのは、それから一時間後だった。 「なんすかね、これ?」 テーブルに並べられた冊子を見て、リキッドが疑問を述べる。 「それは、同人誌だな」 「同人誌って、なんすか?」 「OTAKUが自費で発行している本だよ。パロディ、創作、実録本……何でもあるようだぞ」 「詳しいっすね」 変わった格好した女の子が、「いらっしゃいませー」と言う。 「おー、コスプレだ、コスプレ」 ハーレムはカメラで写真をカシャカシャ撮る。 (いい年してはしゃぐなよなー。おっさん) だが、リキッドも、そこまでは割と微笑ましく(?)見守ることができた。 「俺達の本もあるみたいだ。行こうぜ」 「は……はい!」 リキッドがハーレムに連れられて行ったのは、PAPUWAのコーナー。 「俺達のコスプレをした奴らもいんなぁ」 「あ、あれ、俺と同じカッコ!」 「だから、コスプレだっつったろ。鈍い奴だな」 ハーレムがリキッドを小突いた。 「ふ……ふふふふ……」 独特の空気を纏った売り子がいる。それは、よく見るとアラシヤマだった。 暗いオーラに気圧されてか、飾ってある絵はなかなか上手いのに、立ち止まって本を手にしようとする客も来ない。 「よぉ、しけてんなぁ、アラシヤマ」 ハーレムがいきなり失礼なことを言う。リキッドははらはらした。 「何や、ハーレムはんとリキッドはんどすか」 「俺のことはハーレム隊長と呼べ……何でこんなに売れてねぇんだ?」 「ふ、ふふふふ……まだ始まったばかりだから、そう見えるだけどす……」 「そうか?」 「そうどす」 「にしても、おまえもOTAKUだったんだな」 「ただのオタクやありまへん。『友達募集中』の『フレンドリーアラシヤマ』と言えば、今や世界を征服する勢いなんどす」 「フレンドリーアラシヤマって、おまえのことか? ……誰も来てねぇじゃねぇか」 「通販では、結構申し込みが来とるんどす」 アラシヤマは、指を組み合わせる。 「それに……わてには、密かな野望がありますよってな……」 「……何だよ」 「全冊、コミケで即日完売! その後、友達と打ち上げのお茶ターイム!」 「あー、絶対無理」 リキッドも、それには同意した。何も言わなかったが。 「だいたい、おまえに、お茶する友達がいるか?」 ハーレム、かなり失礼。 「シンタローはんに招待状送ったんやけど、なかなか来ないどすなぁ……」 「あー、そりゃ来ねぇだろうなぁ」 リキッドとハーレムの二人はうんうん頷き合った。 「あー……シンタローはん……途中で渋滞に巻き込まれたんやないやろか……」 絶対すっぽかされたんだろ! ――と、リキッドは思った。 こんなところに長居は無用とばかり、彼らはその場を離れた。 「ハーレム叔父貴、リキッド。どうした、そんなところで」 (あっ、お気遣いの紳士) リキッドは胸がきゅんとなった。 「おまえもいたのか……」 ハーレムが意外そうな顔をする。 「どんな本売ってんすか? キンタロー様」 「ん、まあ、見てってくれ。俺の新刊だ」 キンタローがリキッドに勧める。 「俺には見せてくれないのか?」 「ああ。叔父貴には特に見せたかったんだ」 キンタローが、薄い本をハーレムに手渡した。 「へへへ、どれどれ?」 ページをめくっていたハーレムの手が或る箇所で止まり――彼は眉を顰めた。 「は……はははは……」 ハーレムがおかしな笑いを発する。 ゆっくり眺めながら本を読んでいたリキッドが、 「どうしたんすか?」 と、尋ねた。 「おい! キンタロー! これ、何冊売りやがった!」 「……二十冊ほどだ。今日は売れ行きが悪い」 「こ、この本を二十人が……」 ハーレムの様子がおかしい。何かあったら止めなきゃと、リキッドは身構えた。 「貴様なんかでーっきれいだーっ!!!!」 ハーレムがドドドドと駆けて行った。道行く人々が恐ろしいものでも見たように、道を開ける。 そうだろう。獅子舞頭した中年男が、ダイナミックに走っている姿は――怖い。 何がそんなにハーレムを動揺させたのか――リキッドは次のページを開いた。 「?!!!!!!!!!!」 リキッドの手が止まった。 これは――ハーレムならずとも、あの男を多少なりとも知っている者だったら、ショックを受けたに違いない。 ハーレムが、男に組み敷かれている図である。 しかも、その相手は―― 「これ、キンタロー様のお父様では……」 「ああ。実際には父さんに叔父貴を渡すつもりはないが、ネタとしては、美味しいシチュエーションだからな」 キンタローはしれっと言う。 「一冊買って行かないか?」 「え?! ……で、でも、俺、お金ないっすよ」 「じゃあ、プレゼントだ。ただでいい。いつも叔父貴が世話になってるからな」 「……もらっちゃっていいんですか」 本の中のハーレムは、女と見紛うほどの美形である。もともと、ハーレムは顔は良いのだが。 だから、おかずとしては役に立つかもしれない。魔除けにもなるし。 リキッドは、ハーレムから持たされたバッグの中に、それを忍ばせた。後でどこかに隠しておくつもりであるが、とりあえずだ。 ハーレムは、コミケスタッフに呼び止められていた。眼魔砲を発動しなかったのは、彼なりに自制心が働いたのであろう。 リキッドはスタッフにお詫びを入れながら、ハーレムを引き取って行った。 「離せ―! キンタローに、不肖の甥に蹴りを一発くれてやるー!」 「はいはい。少し落ち着いてください。どこかで休みましょ、ね?」 リキッドが宥めると、ハーレムはすんなり暴れるのを止めた。 「……わかった。リキッドのおごりな」 「何でそうなるんすか。金ないんすよ! 俺!」 「んじゃ、俺がおごってやる」 珍しいこともあるもんだとリキッドが驚いていると―― 「当然、おまえの借金にツケとくぜ」 ああ、そんなことだろうと思った――。 だが、髪を掻きあげてこちらを覗きこんだハーレムの艶やかさに、リキッドは何も言えなくなってしまった。 (まぁ、本代の代わりだ) 当分続くだろう借金地獄と、この男に魅せられてしまった自分を憐れんだ。 「リキッド、どうした? リキッド」 「え? いや、何でもありません――何でもありませんよー……」 リキッドは、遠い目をしながら会場から退去した。 後書き この間、風魔の杏里さんからリクエストがあったので、書いてみました。 結構面白く書いてしまいました(笑)。ハーレムのコミケ話。いや、正確に言うと、リキハレコミケ話でしょうか。強くなったね、リッちゃん。或いは強かになったと言うべきか……。 パラレルワールドです。 おお振りのコミケ話も、いつか書いてみたいと思います。 2010.7.15 |