雨の中 ここに来るのも何月ぶりでしょうか――以前は毎日の様に来ていたのに、すっかりご無沙汰になってしまって――。 ルーザー様に申し訳がない。そんな思いで泥を踏みしめる。 墓碑銘はあるものの、それ以外には何の個性もない白い十字架が掲げられた墓石の立ち並ぶガンマ団の集合墓地。それが、そこにルーザーの墓があるというだけで、例えようもない重要な土地に感じられる。 (お可哀想なルーザー様。こんな名もない兵士達と共に埋められて――) そんな物思いに駆られながら、ルーザーの墓の前に急ぐ。 ルーザーの、大好きだったミモザの花。束にして、濡れないようにセロファンで包み、身をかがめ、そっと置いて―― 「――誰ですか?」 何者かの微かな気配を高松は感じ取った。誰かがすっと、高松の傍らに立つ。 しとしとと降る雨の中。黒いコート、傘から覗く腰まで届く金色の髪と青い瞳――意外な人物の出現に、高松は呆然と立ちつくした。 「サービス――……」 しかし、考えてみれば、意外でも何でもなかったかもしれない。ここはルーザー――サービスの実の兄の墓なのだから。 「高松……久しぶりだな」 その皮肉げな口調にも、懐かしさの様な物が灯っている。サービスの口元は、笑っていた。ごく薄く。 「奇遇ですね、サービス。こんな所で、会うなんて」 「そうだな」 サービスが、身をかがめた。金色の髪が、さらりと流れた。 「ミモザの花か。ルーザー兄さんが大好きだった――」 「ええ。ルーザー様が残した研究所で、私が育てました」 「何もかも、あの頃のままだな。あれから一年も経つのに――」 サービスは雲間を眺めるように顔を上げた。まだ降りもおさまっていないのに、まるで濡れたいかの様に傘を下げて。 そう、あれから一年も経つのに、私の哀しみは新鮮なまま。大切な者を亡くした痛みは、いつまでも埋められることはないであろう。 「サービス、どうしてここに来たのですか?」 「ああ。――ルーザー兄さんに報告しようと思って。兄さんの息子が生まれたことを」 ルーザー様に――息子が――生まれた? 高松は軽く目を瞠る。だが、すぐに思い出した。そう、予定通りに行けば、ルーザーの息子はもう生まれてもおかしくはなかった。 「ああ。生まれた。おまえが学会に行っている間に」 「そうですか。それでは、お祝いに行かなければなりませんね」 高松の口元は緩んだ。サービスは、吐息を一つついて、続ける。 「ところで、マジック兄さんの息子も、もうじき、生まれる」 「もうじきって、それでは、同時期に生まれることになりますね」 「そうだ。これがただの偶然だと思うか」 「偶然でしょう」 高松はあっさり云った。 「そりゃあ、確率的には非常に珍しいものでしょうが――どうしました。サービス」 「高松、よく聞いてくれよ。ルーザー兄さんの息子は、秘石眼じゃなかったんだ」 「秘石眼じゃ――なかった?」 「そう、黒髪に黒い瞳の、全く普通の瞳なんだ。秘石眼が当たり前のこの一族の中で、これがどういうことかわかるか?!」 「誰か他の赤ん坊と間違えたということは――?」 「そんなはずがあるか! 一族を産む時には自宅出産が義務づけられているし、私が遠征中のマジック兄さんやハーレムの代わりに、あの子の出産に立ち会ったんだ」 サービスは顔を覆った。流れ出てきて止められない、涙を隠すように。 「あの子は確かに、ルーザー兄さんの息子だよ。――……あの子は、生まれながらにしてハンデを背負っているんだ」 生まれながらにハンデを背負っている子。 高松は遠くからこの哀しい知らせを聞いたような気がした。それはすぐには高松を打ちのめしはしなかったが、時が経つにつれ、徐々に事の重大さが飲み込めた。 ルーザー様! あなたがあんな死に方をしたからこそ、あなたの子には幸せになってもらいたかったのに。無神論者の高松も、この時ばかりは神を責めたくなった。 「ハーレムも、マジック兄さんも、ルーザー兄さんを疎んじていた。このことが――ルーザー兄さんの息子が、秘石眼でないと知ったら、いったい、どんなことになるか。こんなのは、不公平過ぎる。もうじき生まれるマジックの子は祝福によって迎えられ、全てを持つ者になるというのに――」 「サービス、サービス、少し落ち着いてください」 私だって、気持ちは同じです。 ルーザー様―― 「大丈夫だ、高松。なぁ、これはさっき考えたことなのだが……」 サービスの、残った方の左目がちかりと光る。 「立場を変えたらどうだろうな。マジック兄さんの子と、あの子を」 「――本気ですか? サービス」 「ああ。マジック兄さんも、ハーレムも、まだあの子の顔を見ていない。隙を見計らってすり替えることができたとしたら、もしかしたら――」 「でも」 言いかけて、高松は口を噤んだ。 ルーザー様の子が、マジックの子として育てられる。むろん、マジックの子は、ルーザー様の子として。 「これは復讐にもなる。ルーザー兄さんの。マジックとハーレムへの。主にマジックへの。今まで自分の子として育ててきた者が、実は実の子でないなんてな。高松。これは、チャンスだと思うんだ」 「チャンス――」 「ああ。おまえに協力してくれとは云わん。ただ、おまえは黙って口を噤んでいればいい。ここで聞いたことを――高松、おまえはルーザー兄さんの子供が、むざむざ不幸になる所なんて見たくないだろう?」 それはそうだ。だって―― ルーザーは世界で一番幸せになる価値があった。それなのに、あんな風に死んだ。 憎くはないか。ルーザーの死を片目で見遣りながら、今なお生き延びているかれらが―― 高松は低く嗤った。 「サービス――まさかあなた、私にこれだけ聞かせておいて、無関係のふりを装えというんじゃないでしょうね」 「高松!」 「まぁ待ちなさい。私も協力しようと云っているんですよ」 「高松……」 高松は、サービスの肩にそっと手を置いた。 「あなた一人に、辛い思いはさせませんよ。サービス」 数週間後―― 遠征から帰ってきたマジックの前に現れたのは、黒髪に黒い瞳の『自分の子』だった。本当のマジックの子はグンマと名付けられ、ルーザーの遺児ということで、高松が手元において育てた。 しかし、計算外のことがあった。まさか、マジックの子に、ルーザーの子に対する以上の愛情を、心の底から注ぐことになるとは―― |