悪夢

 あたしは喉が渇いたので下に降りて行った。ベッドサイドにはお酒もあるけど、冷たい水が飲みたくなったのだ。
 ……誰か泣いている。
 どこからか、すすり泣きが聴こえる。あたし達の控室の方からだ。
 あたしは意を決して中に入った。ミリィがいた。
「ミリィ……」
「――リサちゃん」
 ミリィは目をゴシゴシこすって、こっちを見た。
「見られちゃった」
 ミリィは舌を出す。
「何よ。ミリィ。どうしたのよ」
「置いて行かれちゃった。ハーレムさん、別の店で飲んでくるって」
「なによ。それくらいで泣いてちゃ、体がもたないでしょ。それとも、あいつになんかひどいことされた?」
「ううん。ハーレムさんは優しかったよ。でも……」
 そう言ってミリィは鏡台に突っ伏した。
「ハーレムさんは私のこと、女としては見てくれないんだ……」
「ミリィ、あんたまさか……」
「うん、そうなの」
 ミリィは顔を上げてあたしを見、にっこり笑った。
「ちょっと……本気みたい」
「…………」
 あたしはかける言葉がとっさには見つからなくて、すぐ隣の椅子に腰かけた。
 仲間の中には、ほれたはれたの問題ですぐ泣くヤツがいるけど、そんな原因でミリィが泣くのを見るのは初めてだ。
 それでは、ミリィもやっぱり女だったってことか。体は女でも、メンタリティは子供だと思ってたんだけど。
「いいじゃない。あんなヤツ。もっと他にもいい男はいるわよ」
「うーん……」
「それとも、あたしが言ってやろうか。あいつに」
「んーん、私が言う」
 ミリィがきっぱりと首を振る。
「私、子供じゃないんだもん。一人でハーレムさんに告白できるよぉ。リサちゃんこそ、ギデオンさんとこ、戻らなくていいの?」
「ああ、そうそう。あたし水飲みに行く途中だったんだっけ」
 でも、あたしは何となく立ち去りかねた。
「――行かないの? リサちゃん」
「いいわ。ギデオン寝てるし、ちょっと遅くなっても」
「リサちゃん、ギデオンさんと何かあった? ギデオンさんが寝ててもその寝顔を見ていたいって言うのが、リサちゃんだったんじゃなぁい?」
 ミリィは鋭い指摘をして、あたしをぎくりとさせる。
「いろいろあるわよ。ミリィ。いろいろとね」
 まさかその「いろいろ」の中に、自分の男がミリィの好きな男に惚れてる、なんてことがあるなんて言えない。ま、ギデオンからちゃんと聞いたわけではないんだけど。
 でも、そんなこと訊けないわね。
 ギデオンは正直な――嘘をつけない男。
 そのことをきいたら、あたしは彼を追い詰める。
 ちょっとでも彼を追い詰めるくらいだったら、あたしが死んだ方がマシ。

「ギデオン、起きてたの?」
 あたしが部屋に戻ると、ギデオンがベッドの上で片膝を立てていた。
「ああ――眠れないからな」
 ギデオンは、窓の外に目をやっているようだ。何となく、寂しそうな表情をしていた。ギデオンはあまり表情豊かという方ではないけれど――はっきりいって無愛想だけれど、私には、そう感じられた。
 彼の心の中には、誰が住んでいるのかしら。
 ねぇ、ギデオン、あなたは誰を想っているの?
 ふと、あたしの心に、怒りに似た気持ちが湧いた。
 それは、ていねいに積み上げてきたものを、今、壊そうと思うときの快感に似ていた。
「ギデオン」
 あたしは彼の前に回って、彼の目を真っ直ぐ見た。
「誰か他の人のことを考えて眠れなかったんじゃないの?」
 ギデオンの目に、一瞬動揺が走る。だけど、目を逸らしはしなかった。
 あたしはギデオンを追い詰めている。さっきの誓いに似た気持ちもどこかに放り投げて。
 あたしは更に踏み込んだ。
「その相手は、ハーレムでしょ」
 あたし達は数十秒間、睨み合っていた。
 あたしはじっと息を潜めた。
 屋根を打つ雨音に、ギデオンの返答は掻き消されないだろうか。全神経を耳にして待つ。
 やがて、はっきりと聴いた。
 ――「ああ」と、溜め息と共に吐き出された、ギデオンの答えを。

「ギデオン、大好きよ、ギデオン――ねぇ、ギデオンも私のこと、好き?」
「ああ」
「じゃあ――私と結婚してくれる?」
「俺も、ずっと考えていた。そのことを。――ジェーン、愛してる」
 あたしはテレビの画面を睨みつけていた。コメディらしく、サクラのわざとらしい笑い声がする。更にいうなら、テレビの「ギデオン」は犬だった。
 あたしはライオンに求愛するギデオンの姿を連想してしまった。
 ああ、可哀想なあたし。男に男を取られるだけでなく、動物に男を取られるという悲劇をも経験してしまったのね。女に生まれたからには、これだけは経験してくないという目に、同時にあってしまったのね。
「楽しそうね、リサ」
 仲間の一人が言う。
「楽しいわよ。エレン」
 あたしは笑いながら答える。
 ミリィは何か言いたそうにしている。
 こうなったらみんな、ギャグにしてしまうに限るわ。
 あの日、あたしは一晩中話した。
 あたしはギデオンをどんなに好きか――そして彼は……。
 そうよ。彼は、あたしを「女」として見てくれなかったんだわ!
「ずっと、妹みたいなもんだと思っていた」
 妹みたいなものだと思ったって――妹そのものですらないのね。まぁ、ほんとの妹だったら、あんなことできないけど。
 あたしはずっと、ギデオンの一番になりたかった。
 ギデオンも、一番好きな女性と結婚をしたかった。いつかあたしのことを一番好きになったら、プロポーズしようと思ってたと、彼は言った。――あいつが現れなければ。
 あのライオンモドキがギデオンの決心も、あたしの純愛も、みーんなわやくちゃの、めちゃくちゃにしてしまったんだ!
「ギデオン、ハーレムのこと好きなんでしょ」
 止めようとする心とは裏腹に、私はつい、相手を問い詰めてしまう。
「いや――いや、嫌いではない。しかし、リサの言うような恋情とは違う」
「嘘よ。でなかったら、あなたは自分の気持に気付いてないんだわ」
 それを聞いた相手は黙りこんでしまった。彼は、何かを考えているようだった。
 あたしはよけいなことを言ったのかもしれない。
 そうよ。このまま黙っていればよかったんだわ。ギデオンは、本当に何も気づいてないみたいだったから。
 予感はあった。でも、あたしがぶち壊した。彼が嘘をつくはずがない。だって、彼は、「誠実な男」なんだから。
(もう元には戻れないわね。あたし達)
 あたしは混乱の極に達していた。ギデオンはどうだったのかしら。
 出発のとき、彼はあまりハーレムの方を見ないようにしていた。
 滑稽の極み! その様子を見て、あたしは十年来の初恋が、音を立てて崩れるような気がした。
 ミリィの方も、首尾は上々というわけにはいかなかったようだ。
 それからあの二人がどうなったかなんて知らないし、知りたくもない。
「リサちゃん」
 ミリィが寄って来た。
「飲みましょう。ミリィ」
 あたしは陽気にグラスを上げた。
「身勝手な男どもに乾杯!」
「リサちゃん……」
 ミリィ、私達はおんなじなのよ。好きな男から「女」として見られていなかった、という点でね。
 あたしは、もうひとつのグラスに酒を注いでやった。そのとき、ミリィが叫んだ。
「リ――リサちゃんと一緒にしないでよ!」
「え……?」
 ミリィは、傷つけた自分が、一番傷つけられたような表情をして、回れ右して駆けて行った。
「……一緒にしないでよ、か」
 グラスの中の液体に映ったあたしの顔は、自分で言うのもなんだが、憂いを帯びて美しかった。今までギデオンとその思い出に支えられてきたあたしは、これから何を中心に生きていけばいいのかと考えた。

「…………」
 あたしは、昨夜のベッドで目を覚ました。
 ――夢か。なんかリアルな夢だった。それに変。
 というか、どこからどこまでが夢だったっけ?
 現実にこんなにリンクしている夢を見ることも珍しいことなら、それをはっきり覚えているなんて、もっとありえない。
 でも、あんな夢見るとはね。
 あたし、行動一筋の女だとばかり思ってたけど、そうとばかりも言えなさそうね。
 ギデオンは、もう隣にいなかった。
「リサちゃん」
 ミリィが部屋に来た。
「おはよう。ギデオンもう行った?」
「行っちゃったよ。リサちゃん、眠ってたでしょ。ギデオンさんのお見送りにも行かないなんて、リサちゃんらしくないね」
「いいわよ」
 自然にそんな答えが口をついて出た。
 ギデオンがいれば、やっぱりあたしはあのことをきいてしまう。大事なことを不用意に言いたくなかった。
 自分のヘマで、彼との関係が壊れるのはごめんだった。自然の成り行きでそうなるなら仕方ないけれど。
「あたしが起きれなかったのにも、なんか意味があるんでしょ。見送りに行けなかったのは残念だけどね」
 ミリィが出て行った後、あたしはカーテンを開けた。空は見事に晴れ渡っていた。
 体の中に活力が湧いてくるのがわかった。
 もう、ゆうべの悪夢は頭の中から追いやることにした。

後書き
これは、『誠実な男』の続編です。
ご都合主義の夢オチです。それでも、いつかは発表しようと思っていました。
今回、その願いが実現できて嬉しいです。


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