ダイエット Gは、ハーレムの護衛という名目で、付き従っていた。今回、ハーレムは、マジックの代理として、ガンマ団の統治国の視察をしていた。 Gはわくわくしながら、B町の煉瓦道を歩いていた。マロニエの並木が並んでいる。街並みもどこかハイセンスだ。天気はいいし、空気の匂いまで違う気がする。なにより、隣に愛しのハーレム隊長がいる。 なのに隊長ときたら。 ハーレムは、さっきからあらぬ方角ばかり眺めている。 この街には美人が多い。金髪、黒髪、ブルネット――いずれアヤメかカキツバタ。 (隊長ったら、私というものがありながら) Gには、他の女性に目移りする隊長が、許せなかった。 「隊長、よそ見しないでください」 ハーレムはおざなりに、 「おう」 と答えはするが、しばらく経つと、また同じことの繰り返し。 (もうっ、隊長ったら) Gは、心にもやもやができるのを、抑えられずにはいられなかった。 視察が終わった後、Gは自分の部屋に帰ってきていた。壁も家具も好みのものだけを揃えた、自分だけのお部屋。 レザージャケットから一番落ち着く格好、ピンクハウスに着替えたGは、お気に入りのぬいぐるみ、「ハーちゃん」に話しかけていた。 「ねぇ、ハーちゃん。隊長ったらひどいのよ。私というものがありながら浮気したりして」 Gには、ただ道行く女性を眺めていただけで、浮気ということになるのだ。しかし、それよりまず、ハーレムはGのことを恋人とは思っていないだろう。 「私、隊長好みのダイナマイトバディだと思うのよね。胸だってあるし、背だって高いし。それに尽くすタイプなのに」 Gは、はぁっとため息をついた。 「私、控えめだから目立たないのかしら」 余談ながら、プライベートではピンクハウスを着用する男として、特戦部隊ではハーレムに次ぐぐらい、有名なGである。 「やっぱり、隊長に、君の魅力に気付かせるしかないんじゃない?」 Gは、高い声になって、腹話術の要領で、「ハーちゃん」に喋らせた。 「これもこれも、これもこれも……だめね。どれもインパクト不足だわ。――こうなったら、あれを出すしかないわね」 Gは秘密のコーナーを開けた。 そこには――ミニのボディコンがあった。しかも、ご丁寧にピンクのラメ入りだった。 「買ったときは、ちょっと大胆かな、と思ったけど、隊長のためなら――私もついに大人の階段を昇るときが来たのよね」 Gは懐かしいピンクハウスを愛惜しそうに丁寧に畳んで、しまった。 さようなら、夢見るだけの少女の日々。 「これを着て、隊長を悩殺するんだから」 この日のために買っておいたとっておきの下着をつけて、いよいよボディコン着用の段となった。 が――。 「あ、あら?」 腰の部分が、脚で止まってしまった。それでも、無理に引き上げようとしたときである。 ビリッ。 聞きたくない音を聞いてしまった。 「わ、私……」 Gはそのままの格好で、がっくり膝をついた。 「なぁ、Gのヤツ、少しやつれたと思わないか?」 「ああ、なんか、顔色も悪いぜ」 ロッドとリキッドは顔を寄せて囁き交わしている。マーカーは仕事をしながら、片耳でそれを聞いていた。 Gは、心ここにあらず、といった態でパソコンのキーボードを打っている。 「おい、G。これ、データが間違いだらけだぞ」 ハーレムは紙切れを持ってきてGに見せた。 「あっ、本当。すみません!」 「それから――」 ハーレムはディスプレイを覗き込んだ。 「ここ、間違ってる」 「あっ」 「いったいどうしたんだ。おまえらしくねぇぞ。――最近おまえ、なんかおかしいぞ」 「いえ……なんでもありません」 趣味はともかく、仕事では滅多にミスをおかさないGとしては、こう失敗続きなのは、珍しいことなのである。 Gはぼうっとして、集中力を欠いているようだ。 今ある仕事はデスクワークだけだからまだいいようなものの、これが一瞬の油断も許されない戦場だったら、いったいどういうことになると思うのか。 これはもしかしたら、由々しき事態なのではないか、とマーカーは考えた。 「ちょっと待て、G」 マーカーは、帰ろうとするGを呼び止めた。 「なぁに?」 マーカーはGの様子を検分した。頬はこけ、顔は青ざめ、目に覇気がない。 「G、おまえ、この頃いつにも増して変だぞ。隊長にも言われてただろ」 「なんでもないわ、マーカー。なんでもないのよ」 Gは首を振って、無理に笑おうとした。 「そうか。おまえは、『隊長の有能な部下』の座まで捨てるんだな」 「え……?」 「翌日、俺は隊長に言う。『Gを辞めさせてくれ』とな」 「そんな……!」 「おまえみたいな奴は足手まといだ。おまえ一人の失敗が、部隊を危機にさらさんとも限らん」 マーカーは踵を返してGの前から立ち去ろうとした。 「ま……待って……」 マーカーは振り向いた。 「言いたいことがあるんなら、隊長に言うんだな」 「あ……」 部屋の扉が閉まり、マーカーの姿が消えた。 (ばかだ、私。小さなことで大きなものまで犠牲にしようとしているんだわ) あの日、ボディコンが入らなかったあの日、Gは決意したのだ。――ダイエットを。 食事もろくに摂らず、時間があれば体を動かし、サウナで汗を流す。毎朝のラジオ体操、ジョギングに始まり、仕事が終わったらプール、ジム、ダンベル、エクササイズ。矯正下着を身につけ、飲む物といえば、低カロリーのミックスジュースだけ。 りんごダイエットに始まり、塩もみ、こんにゃくダイエット、果ては逆立ちダイエットなんてものまで試してみた。 毎日祈ってもいる。「神様、どうか私にスリムな体をください」 そんな、体重計の数字の増減に、一喜一憂するような生活が続いていた。 全てはハーレム隊長のため、隊長に振り向いてもらうため、隊長にふさわしいオンナになるため――。のはずだった。 (私、何か間違えたのかしら。だとしたら、どこで間違えたのかしら――) いくら考えても、答えは出なかった。 「おい、Gは?」 翌日、ハーレムは他の部下たちに訊いた。 「え? 今日は見てないっすよ」 リキッドが答えた。 「ふぅん。無断欠勤なんて、ヤルじゃん、あいつ」 「ロッド」 ハーレムに睨まれ、ロッドは軽く肩を竦めた。 「ま、あいつ、ここんとこ様子がヘンだったからなぁ……ようやくアイツも自分の行く末考える気になったんじゃないスか? こんなところで鬼隊長にコキ使われたら、ダメになるとね。 「それはおまえじゃないのか? ロッド」 机に向かって書き込みをしていたマーカーが顔を上げて口を挟んだ。 「バレたか」 ロッドが舌を出す。 「……ったく、しようがねぇな、あいつ」 ハーレムがひとりごちた。 Gは団の庭にぼけっと座っていた。一本の大きな木の下で。 穏やかな陽の下、団員たちは連れ立って笑いさざめいている。 グラウンドで野球に興じている団員たちもいる。バットがボールを打つ音、ワーッ、ワーッという応援団の歓声が聞こえていた。 ボールが、ぽとっとGの近くの芝生に落ちた。 「すみませーん。……と」 頬の赤い、まだ新入団員のような初々しい少年が、Gに呼びかける。彼は一瞬ぎょっとしたようだった。Gがピンクハウスを着ていたからだ。 Gはのろのろと立ち上がって、ボールを投げた。 「行くわよー」 そう言って、ボールを放る。それを受け取ると、少年は一礼して立ち去った。 Gはまた木の下に戻ってきて座った。 (ここには――いろんな団員がいるのね) 今までこんな当たり前のことに、どうして気がつかなかったんだろう。今まで、ハーレム隊長しか見てこなかったから――。 悩んでいるときは、どうしたって今まで見ていたものを違う側面から眺めるようになるのだということに、Gは気がついた。 (みんな、いったいどんな気持ちで暮らしているのかしら。例えば――私がさっきの少年だったら、いったいどんな気持ちになるのかしら) Gは、野球に熱中している団員たちを眺めながら微笑んだ。 彼らには、何も悩みごとがないように見える。 否、それは表面だけのことで、本当はみんな、何かを抱えているのかもしれない。例えば、今はそうでなくても、自分一人だけで膝を抱えて泣きたいことも、あるのではないだろうか。 今の、己のように。 (私が役に立たなくなったら、特戦部隊を辞めるしかなくなるわ) Gは遠くに目をやった。緑が陽の光を受けて輝いている。 (特戦部隊を辞めたら、私はいったいどうなってしまうのかしら――) 「ここにいたか」 降ってきたのは、聞き慣れた低めの声。初めて会ったときから、今に至るまで、誰よりも慕わしいと感じた――。 「隊長?!」 振り向くと、ハーレムの姿がそこにあった。 Gは、できることなら抱きつきたかったが、自分にその資格はないのだと思い直し、代わりに自分の膝を固く抱き寄せた。 「何しに来たんですか」 Gは、いささかつっかかるような言い方をした。 「いや、何がなんだかわかんねぇから、とりあえず話に来ただけだ。――ここ、いいか?」 「どうぞ」 ハーレムはGの隣に座った。 「いい天気だな」 「そうですね」 「――あいつら、気にしてたぞ」 「そうですか」 「いったいどうした。このところ、おまえは変だぞ」 「ちょっとね――つまらないことです」 Gは淋しそうに首を振った。 本当のことを言ったら、隊長は、「馬鹿な奴だ」と笑うだろう。でも、いいか。これで最後になるのかもしれないのだから。 「私、ダイエットしてたんですよ」 「ダイエット? なんでまた」 ハーレムが驚いたように、軽く目を瞠る。 「着ようとしていた服が、着られなかったからです」 「それで、ダイエットしてたのか。その様子だと、かなり無茶してたな」 「はい」 涼しい風が吹き渡った。いつの間にか、グラウンドは静かになっていた。 「でも私――そのことで隊長に迷惑しかかけていないことに気づいたんです。それで、どうしていいかわからなくなって――」 「そうか。でも、おまえにとっちゃダイエットすることも大事だったんだろ?」 「隊長のお役に立てることの方が、何倍も大事です!」 Gは目に涙を浮かべながら叫んだ。 「だから、隊長のお役に立てなくなった私は、辞めるしかないと思ってました」 さわさわと、木々の梢が鳴る。風が髪をなぶっていった。 そうだ。それが今の私の気持ち。 言うべきことは全て言った。悔いはない。 「――そうか」 ハーレムが口を開いた。 「おまえを辞めさせる気はない。おまえはそこらの団員が百人束になっても敵わないほど、有能だからな。ゆっくり調子を取り戻せ。それと、あまり思い詰めるな」 ハーレムはそこで、Gに背中を向けた。 「ダイエットのことはともかく、おまえの気持ちはわからんでもないかもな」 「隊長……」 隊長が背を向けていてよかった、とGは思った。そうでなかったら、泣いているところを見られてしまいそうだったから。 「よーっす。お帰りー」 帰ってきたGの姿を見て、ロッドが片手を上げた。 「もうやだッ! 書類の束なんて見たくねぇッ!」 リキッドが悲鳴をあげた。 「なぁ、G。手伝ってくれよ。デスクワークはおまえの領域だろ」 リキッドは椅子から上体を反らせてGの方に顔を向けた。 「G」 いつもの無愛想な表情で、マーカーが近づいてきた。この中国人は、憮然としているか、皮肉な微笑を浮かべていることが多い。Gは思わず目を逸らした。 そのマーカーの表情が、ほんの僅かだが和んだ。 「隊長に、伝えたいことは伝えたか?」 それだけ言うと、マーカーはくるりと背を向けて、また自分の持ち場に戻っていった。 「あ……」 そこでGは気がついた。マーカーも、悪気があって言っているのではなかったと。純粋に、部隊のことを案じていたのだ。そして、多分、Gのことも。 Gは急いでロッカールームに走って行き、特戦部隊の制服であるところのレザージャケットに着替えた。 「よーっし! G、がんばっちゃいまーす!」 Gは腕まくりをしてパソコンに向かい、キーボードに指をなめらかにすべらせる。 「こらーっ! ハーレム!」 ガンマ団の総帥マジックが、凄い剣幕で怒鳴り込んできた。自分の席でふんぞり返っていたハーレムは、こころもち姿勢を正した。 「なんだ、兄貴か」 「『なんだ兄貴か』じゃない! この報告書はなんだ! 『右を向いても左を向いても美人ばかり。いい目の保養になった』などと書いてきおって!」 「あの町の人間の暮らしぶりを書いてこいって言ったのは、兄貴じゃねぇか。顔が美しいってのは、いいことだぜ。顔相が良い。つまり満足しているってことだからな」 「この文面ではふざけているようにしかみえんぞ」 「事実なんだから仕様がねぇじゃねぇか」 「いい加減にしないと、予算委員会にかけて、特戦部隊の予算を削減してやるからな!」 「なにぃ! それは困る!」 「嫌だったら、これからは真面目に仕事するんだな。それと、二度とおまえには視察に行かせん。誰か他の者に行かせる。わかったな!」 マジックは出ていった。 「あーあ。またひとつ楽しみが減っちまった」 ハーレムは脚を無造作に机の上に投げ出した。 「特戦部隊の予算削減か。やりかねんな。あの兄貴なら。こうなったら、俺が覇権握って総帥になるしかねぇかな。そうすりゃ予算も使い放題。なぁ、おまえらもいいと思うだろ?」 ハーレムがにやりとした。 部下たちは互いに顔を見合わせて、思わず苦笑した。あまり楽しい未来図ではなかった。 そんなことはまずないと思うが、絶対にないといいきれないところが恐ろしい。 Gはくすっと笑った。 (隊長が、私を部下としてではなく、恋人と想うようになる日はいつかしら) ハーレムは、「そんなことになったら、オレは即刻辞めます」と宣言したロッドに、減給を言い渡しているところだった。 (今は、『有能な部下』で構わない。でも、いつか、いつかでいいから――そのことを夢見ていてもいいですか? 隊長) けれど、このままの状態がずうっと続いていくのも、それはそれでいいかな。 Gは初めて、今まで頭に描いていた夢が、実際に叶っても叶わなくても、どっちでもいいかも、と思えた。 後書き ん~、後書き書くの、めんどくさいなぁ、と言いつつ書いてる私。 これは2002年に書いたやつですね。 マーカーが、ちゃっかりいい役をいただいてます。 PH・Gの作者、Fumiyaさんに、篤く御礼申し上げます。 |