Pigeon Blood

―――記憶の中のあなたは やさしく微笑む
(ソノ ウツクシサハ テンシノ ヨウデ)
そして私に 朗らかに言うのだ
(ツゲル コトバハ アクマノ ソレデ)―――

「ッ!?」
 脳裏に浮かんだ映像に、無意識に俺は飛び起きた。
 荒い呼吸を繰り返し、真っ白になった頭へ酸素を送る。
 少しして、やっと周囲に目を配る余裕ができた。
 そして気付くのだ。
 ……あぁ、夢だったのか。

 寝覚めは最悪だった。
 よりにもよって、子供の頃の夢を見るなんて。
「クソッ! 気分わりぃぜ!!」
 沸々と湧き上がる苛立ちと焦り。
 それを発散させるため、枕を掴んで投げつけてみた。
 ぼすっと壁に当たり、それから落ちた。
……こんなもんで、晴れるはずもねぇよな。

 ふと気付いた。
 体が寝汗でベトつき、髪が張り付いてきて気色悪かった。
 苛立ちは、よけいに増してゆく。
 気怠い体を引きずって、俺はバスルームに向かった。

 コックを捻ると、頭から冷水を引っ被った。
 冷たさに肌が粟立ったが、少しスッキリした気がする。
 ……このまま、俺の中の悪夢を流し去ってしまえ!

 ふと、目を向けた先に鏡があった。
 別人がいた。
 覇気の無い、いまにも泣きだしそうな顔。
 ……これが、俺?

 呆けた頭に、夢の内容が甦る。
 ピンぼけした映像で、アイツの笑顔だけが――いやに鮮明だった。
 ノイズが溢れ返るなか、アイツの声だけが――俺の脳内に反響した。
 ……幼い頃のトラウマ。忘れたい過去。
 今は怒りと苛立ち、そして僅かな焦燥感が、俺の心を乱す。
 子供の頃は恐怖と悲しみ、そして言いようの無い孤独感が、俺の心を苦しめた。
 どちらも、気分が悪くなる事に変わりはなく、現在も俺を苛め続けている。

 あの一言が告げられた時、俺がどれほど問い掛けたかった事か。
 俺が大切に育てていた小鳥を、笑いながら握りつぶしたアイツ。
 その微笑みのなか、笑っていない瞳が怖かった。
 ……言えなかった。

『鳥ーィ! 鳥ーィ!』
『どうして、ぼくの言うこと聞かないの?そんなに、この鳥のことが気になるのかい?』
 ……やさしく微笑む顔はとても綺麗で
でも、指を伝う赤はより鮮やかで―――

『――さぁ、ハーレム。ぼくの言うことを聞くんだよ!』

 ……小鳥の「赤」はどんな宝石も敵わないほどに美しかった―――
『いい子だ! ちゃんと、おとなしくなったね。ご褒美に、また新しい鳥を買ってあげるよ。今度は何色がいい?』
『……あの鳥。あの鳥が好きだったんだよォ~………』
 ……一瞬の間をおき、浮かべられたのは
 ひとつの曇りも無い、“いつも”の微笑み―――
『馬鹿だなぁ……鳥は鳥じゃないか!』

 ……子供ながらに、その言葉を受け止める
 胸を締め付けられるような苦しみとともに―――
 どうして、そんなコト言うの?
 あの鳥はボクが育ててた鳥で、他の鳥とは違うのに。
 同じ鳥はいないのに。
 お兄ちゃんには、同じに見えるの?
 なら、
ボクと同じ年で
ボクと同じ金色の髪で
ボクと同じ青い目だったら
他の子も、ボクと同じに見えてしまうの?
〈ボク〉は、お兄ちゃんにとって―――特別な存在ですか?
 
 ……結局、聞けなかった。

 いや、答えを聞くのが怖かったのかもしれない。
 アイツにとってはどうだったか、もう知ることはできないが、俺にとっては、やっぱり――

 ピ――ッ ピ――ッ ピ――ッ
 ベッドルームの方から、耳障りな電子音が響く。
 部下からの連絡だ。
「ったく! 人がいつまでも寝てると思って、気ぃ利かせてるつもりかぁ?」
 親切のつもりなんだろうが、気に障る。
 さき程までのとは、違う苛立ち。
 苦しさも焦りも、無い。
 いいかげん顔面に痛みを覚え、冷水を止める。
「うざってーんだよッ!!」
 後でくだしてやる部下への制裁を思い、皮肉な笑みが浮かんだ。
 目線の先。
 さっきは別人が映っていた鏡に目を向ける。
 ……もう、いつもの俺がいた。

 シャワー室を荒々しく飛び出し、インターホンを掴む。
「俺だ。なんか用か?」
『――起きてらしたんですか。もうすぐ会議の時間です、早くいらして下さい』
 用件を伝えると、ぶっきらぼうに切りやがった。
 ……マーカーのヤロウ、俺の返事を確認してから切りやがれッ!!
 手早く身支度を整え、俺の到着を心待ちにしている部下のもとへ向ってやる。
 と、背後の窓の外から鳥の鳴き声が聞こえた。
 反射的に、俺は振り返っている。

 ピチチッ ピピッ ピチチ………
 飛んでゆく小鳥の姿が、微かに見えた。
 夢の残像が脳裏を掠める。
 しかし、もう心揺さぶられることは無かった。
 ……いつまでも、アンタに縛られたままじゃねーぜ!

 苦笑が浮かぶ。
 そして、コートの裾を翻してドアへと歩を進めた。
 また軽やかな小鳥の鳴き声がした。
 だが、もう振り返りはしない。
 ……もう引きずられたりはしねぇよ。
 たまには、悪夢にうなされる事があるかもしれない。
 アンタが植え付けた記憶に苦しむかもしれない。
 けれど、いつまでも怯えていたりはしない。

 アンタが死んで、結構経った。
 だが、俺はまだアンタの影から解放されてはいない。
 しかし最近では、それも仕方ないのかもしれないとも思う。
 アンタという奴がいた事を覚えている限り、この記憶が消える事は無いのだから。

 ……そして、俺は消すつもりも無い。

 ただ、いつか。
 いつかこの夢に脅かされること無く、
 思い出として振り返れるようになれたらイイと思う。

 だって――
 ―― アンタは俺にとって
 やっぱり 特別な存在だったのだから ――


Tomokoのコメント
みかづきさん経由で、ささかずさんからいただきました、小説です。
ハーレムのルーザーに対する想いが切ないなぁ。私も、ハーレムはルーザーのことを特別な存在だと思っていたんではないか、と考えています。
ハーレムって、ああ見えていろいろひきずっている人だからねぇ…好き勝手生きてるように見えて、本当は葛藤だらけって感じで。反対にルーザー様はすっきりしてるんだけど(笑)。
ささかずさん、素敵な小説です。送ってくれたみかづきさんも、どうもありがとう。私は幸せ者です。
イラストは私の独断でここに入れました。これも「ピジョン・ブラッド」って題なんですよv

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